第12話 火魔法


くあっ、と大きなあくびが漏れた。

暖炉の炎がじんわりと暖かく、眠気を呼び起こす。

しかし眠るには些か早い時間帯。食後ということもあり、一時的に副交感神経が活発になっているのだろう。こういう時のコツは眠気に抗いすぎないことである。


ゆえに俺は椅子に体を沈め、机の上に足を投げ出すという極めて怠惰な姿勢で、眺めるように資料をめくる。今は自室に一人、気を遣う相手もいないので何も問題はない――、と思った瞬間。



「何見てんの?」



不意に自分以外の声がしたので、俺は椅子からずり落ちそうになった。

胸元から水色の蛇のような生き物が姿を現す。


「………………久しぶりだな、セイリュウ。……何か月ぶりだ?」


「いやあ、またそんなに寝ちゃってたのか。随分燃費が悪くなっちゃってねえ、ロニーには寂しい思いをさせて申し訳ないと思ってるんだけど、ふぁ~あ」


セイリュウが、先ほどの俺に負けじとばかりに大きなあくびをしながら言う。


「別に寂しいとは思ってないが……、じきに年に一度しか起きてこなくなるんじゃないか、お前。あ、そこ邪魔だからどいてくれ」


「寂しいと思えよぉ! ていうか喜べよ! 精霊様のお目覚めだぞ!? それがないとしてもキミの最大最高の親友が久しぶりに姿を見せたんだから、ハグくらいあって然るべきだろ!」


「そんな紐みたいな体をどうハグしろと……」


セイリュウはやれやれという表情をしながらも、それ以上の文句はないらしく俺の首に巻きついてくる。


「……とはいえ、あながちそれも冗談とも言えなくなってるんだ。ロニーさ、代わりの依り代を探してくれるって話、結構ボク期待してるんだけど何か進展あった?」


「おお」


そう言われて、俺は体を起こす。


「そうだ。お前に見せようと思っていたものがあるんだった」


「お? え? 嘘。マジ? もう用意してあります的な感じ? ロニーったら、さすが仕事ができるぅ!」


「これなんだが」


俺は引き出しから、ランタノ伝てに手に入れた水晶――、がくっついた岩の塊を、机に乗せた。ゴトリと音を立てて転がるそれに、セイリュウは興味深げに鼻を近づけた。


「…………ほぉ~……お? な、る、ほ、ど……? うーん、これは、なかなか……、あ~、はいはいはい……」


「一応ナラザリオのあれと近しい性質と思われるものを探してもらったんだ。マギア王国内ではなかなか見つからず結構苦労したんだが」


「うん、確かにものは同じみたいだ。ただ……、純度、サイズとか含め、内包している魔力量がちょっと……、探してくれと言っておいて非常に申し訳ないんだけれども…………」


「やっぱりだめか」


俺がそう問うと、セイリュウは少しの間唸った後に渋い表情で言う。


「うう~ん……、こんな家に住んだら体中傷だらけになっちゃうねぇ」


「え、そんな感じなんだっけ?」


「例え、例え」


「……そうか。まあ、住み心地についてはさておき、さすがにお粗末だろうなとは思ってたんだ。というかこれでいいなら、ハイドラに行く必要もほぼなくなるしな」


俺がため息をつきながらそう言うと、セイリュウは丸い目をぱちくりとさせながら振り向いた。


「ハイド、ラ……? 何か聞き覚えある……。なんだっけそれ」


「南にある隣国の名前だ。火山が有名らしい」


「あーーー、あそこかぁ!!」


途端、セイリュウが大きな声を出したので俺は顔をしかめた。


「――うるっさいな、なんだよ……」


「そこに行くのかい!? あ、そっか。この水晶の代わりを探しに行くっていう話か! ねえねえ、ボクも行きたいなあ!!」


「……俺がこのペンダントを忘れなければ嫌でもついてくることになる。場合によっちゃ叩き起こすような場面があるかもしれない」


妙に食いついてきたセイリュウに対し、俺がやや引き気味にそう答えると、セイリュウは目をキラキラとさせながら宙を旋回した。


「そっか、そっか。それは是非とも頑張って起きなきゃいけないねえ! あ、それで火魔法の書類を見返してたわけだね?」


「マギアよりも火魔法が盛んと聞いたから、念のため……。というか、お前もそういう認識なんだな」


「火山があるからねえ」


「火山があると、火魔法の適性者が増えるのか?」


「知んないけど、なんか関係ありそうじゃない?」


「適当なこと言ってると置いてくぞ」



俺は呆れながら、手に持っていた資料を机の上に広げた。

そこには数年前に一通りまとめ終えた火魔法についての考察が記載されている。一応、ダミアンと研究室の2人、あとはリーキースくらいしか俺が火魔法を扱える事実は明かしていないので、研究成果と言うにはやや個人的なものではあるのだが――。


「火魔法について聞かせてもらったのは、だいぶ前になると思うけれど、あれから何か研究内容に変化はあったのかい?」


「いいや、大筋についての考えは変わっていない。と言うよりも、積極的に研究を進めていないというべきかもしれないな……。各属性の魔法への考察を深めるよりも先に、現状の把握をしておくべきというのが今の俺のスタンスだからな」


「そっか、それで各地からの情報を集めてるんだっけ。ロニーの目的は知識の独占じゃなくて、魔法への認識の変革――。言ってしまえば、精霊教会騒動もそういうことだもんね」


「あれはまあ、俺の予定にはなかったことだが……。さておき」


俺はつい回顧モードになってしまう頭を切り替えて、目の前の資料に話を戻した。


「火魔法――、マギア王国における適正者の数は上から数えて5番目。近場で火魔法の適性者となるとダミアン様とダネルくらい。起きている現象としては目に見えやすいが、反面取り扱いが難しい魔法という印象だな」


俺は袖口の杖に魔力を注ぎ込む。すると手のひらの先が球状に発光し、その中央に小さな火の玉がポウッという音とともに生じた。


「とか何とか言いつつ、簡単に使って見せちゃって。この王国最強天才魔術師め~」


「どういう種類の煽りだよ……」


「――逆にボクは寝てる間にちょっと忘れちゃったよ。せっかくおさらいしてるなら、僕に説明し直してみてくんない?」


「ん。まあ、誰かに説明するのが一番の復習方法とも言うしな」


火魔法の謎は何と言っても、なぜ何もない空間に火が生じるのか――。

そもそも『燃焼』という現象は極めて複雑で、以前の世界の科学史を紐解いても様々な科学者が色々な理論を主張してきた分野である。

アリストテレスが四元素説を唱えたのが紀元前、火薬の発明は世界三大発明の一つとされているし、フロギストンという燃素が燃焼の原因であるという説が流行した時代もあった。

人類が火を扱い始めてから数十万年――、その原理が酸素との化合であると定義づけられたのは、やっとこさ十八世紀になってからである。


そう考えれば、精霊信仰が深く根付くこの世界において、火は精霊によって与えられた奇跡であるという考えで止まっていることもある意味で仕方がないというか、それだけ説明の難しい現象だと言えるだろう。


「確か、火魔法は水魔法の原理が応用されたものである、というのがロニーの見解なんだっけ?」


「そうだ。水魔法においては、水分子が魔素によって嵩増しされていた。魔素には近場の分子、ないしは原子をコピーすることが可能であると仮定すれば、水分子しかコピーできないというのはむしろ違和感がある。たとえば空気中にもわずかではあるがエタンガス、メタンガスが含まれていてそれを使えば燃焼は引き起こせるのではないか。あるいはブタンやアセチレンなど……」


「ンなるほどなるほど。つまり、火魔法は水魔法の原理が応用されたものであるってことなんだっけ?」


セイリュウが、神妙な表情を浮かべながらさっきと同じ台詞を繰り返す。

そして文句がましい視線を俺へと向けて言った。


「小難しい単語はよく分かんないんだもん。ちゃんとボクにも分かるように説明してくれなきゃ困るよ」


「すまんすまん。要は『空気中にある可燃性の何かがコピーされ、目に見えるレベルの燃焼を起こす』のが火魔法ではないか、ということだ。

この部分まではぶっちゃけそれなりの信憑性があると思っている。実際、火魔法の前段階で火を近づけたら激しい炎が起こった」


「んあ~っと……?」


セイリュウが分かりかけたようで分からないと言うように、悔し気に首を――、勢い余って体ごとひねる。

俺は水魔法の資料も隣に取り出して並べた。


「水魔法の研究で、魔法には認識されていないプロセスがある事が分かった。

手の先の魔素に働きかけて操れる状態にし、空気中の水分子をコピーし、それを回転させて球にするみたいにな。

それが火魔法でも同様に起きている。つまり、燃える何かをコピーすることと、発火することは別の問題だ」


そう言って俺はすぐ横の暖炉を指さすと、セイリュウは小さな頭を縦に揺らした。


「火種を近づけたら燃えたんだから、そこにはやっぱり燃える何かが充満してるはずっていう逆説的な話をしてるんだね?」


「大正解だ」


「やったぜ」


セイリュウはしたり顔でガッツポーズをする。

いや、こいつに握る拳なんてないのだが。


「炎が燃えるためには『燃える何か』と『火種』が必要。火魔法を扱う人たちはそれをごちゃまぜにやっているんだが、俺からすればかなり奇妙なことだ。可燃性の気体が増幅されている状態を、魔素の特性という説明で一度納得するとしても、ガスが発火する為の熱量を何もない所に発生させるというのは言うほど簡単じゃないはずなんだよ。つまり火種はどうやって生んでいるんだという問題だな」


「火打石も打たなければ火は起こらないってことだ。……ええ~っと、ありゃ、ロニーの研究資料でも、原理の特定には至ってないって書いてあるじゃない」


「魔素を操って停止、ないしは震動を加えることが出来る点までは確認済みなんだ……。だからその原理を利用して、一瞬でも発熱を引き起こすことは可能だろう。あるいは魔法の根幹を脳からの信号と仮定するならば、スタンガンの要領で火種は生じる…………、かもしれない。気体は発火点とは別に引火点があって、その温度自体は決して高くないからな」


「また難しい言葉がまた出てき始めちゃった――っと、まずい。

ロニー、ロニー。ちょっとストップ」


「しかし如何せん、起きている現象が観測するには小規模すぎて、現時点で俺に準備できる機材では確証が持てないんだ。事実俺はこうして火魔法を扱えているが、結局は火を生じさせるというイメージ部分に頼ってしまっているので、プロセスの細分化がどうしても難しい……」


「ロニ~? ごめんね、ボクが話振っといてなんだけど止まれるかな? おーい」


「あとは燃焼の持続時間などに個人差がある点についても、消費された可燃ガスや酸素がどのように供給されているかという問題も、まだまだ検討の余地があって、例えば……」


「ロ・ニ・イ~!!」


「………………ん? なんだって?」


「あそこ、あそこ」


顔を上げると、セイリュウが気まずそうな表情で部屋の入口方向を指し示している。そこでようやく俺は、ドアの隙間からこちらを覗いている人影がある事に気付いた。オランジェットである。

彼女は、無表情ながらどこか悲し気だった。


「あの……、お風呂のご用意が出来ましたので、お呼びに上がったのですが…………」


「――うわぁっと、そうだった! 俺が頼んでたんだったな! すまん、すぐ行く! ありがとう!!」


俺は慌てて立ち上がり、誤魔化すように机の上の資料を束にしてまとめる。

そんな様子を見て愉快そうにケタケタ笑い声をあげるセイリュウを、俺は手でしっしと払う。しかし、オランジェットがこちらを見つめる視線はさらに冷たくなるばかりだ。挙句の果てには、


「…………差し出がましいことを申し上げるようですが、もし何かお辛いことがあるのであれば私がお話し相手になりますので、あまり溜め込まないように……」


「大丈夫、オランジェット、大丈夫だ! 今のは何というか、自分の考えをまとめるために言葉にしていただけで、別にストレスのあまり見えちゃいけないものが見えたりとかはしてないから!」


「え、見えちゃいけないものは見えてるよね? 精霊様という高貴なる存在がさあ」


(うるさい、黙ってろ!!)



俺はその後必死でオランジェットに弁明し、自室で独り言をつぶやく不気味な主人という認識を修正するのに随分と骨を折った。

肝心のセイリュウはといえば、ひとしきり笑い終わった後「続きはまた今度だね」と言って水晶の中へと帰って行ったのだった。


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