第10話 片付けられた食堂で


窓から差し込む午前の日差しが俺の目に染みる。

鳥たちが羽ばたく遠く向こうには、澄み渡る冬の青空が広がっていた。

研究室の活動は、本日お休み。久しぶりに丸一日予定なしという喜ばしい日である――。本来ならばこれでもかと惰眠を貪ってやるのが有意義な休日の過ごし方というものだろうが、今の俺はとてもそんなのんびりとした心境にはなれそうになかった。


ダミアン邸の食堂で、俺は少し遅い朝食をとっている。

昨夜行われたパーティの面影は既になく、平生の装いに戻っているあたり、さすがにこの屋敷の使用人は勤勉である。

向かい側に座ったダミアンが言う。


「昨夜はあまりよく眠れなかったようだな」


俺は目の下を擦りながら苦笑いした。


「……もう会うことがないと思っていた弟と4年越しに再会して平気で眠れるほど、俺の神経は図太く出来ていなかったようです」


「なにしろ予期せぬ事だったからな……。訪ねてきたところまではよいとしても、その後の彼の行動――、魔法を発動しようとしたという意図は、聞いた話だけではよく分からない。敵意はないようだったという君とリーキース殿の意見もあったが、それでも……、などと私も色々と考えているうちに朝を迎えてしまったよ」


そう言われてよく見れば、確かに彼女の表情にも疲れが残っている。ダミアンは屋敷前門方向に横目を向けて、しばらくしてから言った。


「……すまなかったな、ローレン」


「――え? 何故ダミアン様が謝るんです?」


「昨夜、君とヨハンが予期せぬ再会を果たすことになってしまったのは、私の対応がうまくなかったせいだ。それがなければ、お互いもう少し心構えのできた状態で再会を果たせたはずだったし、パーティが中断することもなかったはずなんだ」


俺はまさかダミアンがそんな風に負い目を感じているとは思っておらず、大きく首を振った。


「ダミアン様のせいだなんてそんな……!」


「せめて君に一言相談していたら、ああはならなかったはずだ」


「それはルフリーネが俺の名前を呼んだタイミングの話でしょう。あれは半分事故のようなものじゃないですか」


「いいや、それにしたってあの時の私の対応はお粗末だったんだよ……。正直穴があったら入りたい……」


「そ、そこまで言われると、どんなやり取りだったのか正直気になりますが……。

しかしそもそもこれは、俺とヨハン――、あるいはナラザリオ家の問題で、他の誰かを巻き込むべき問題ではありませんでした。悪いタイミングが重なるのも、ひとえに俺がそういう星の元に生まれてきたせいで、ダミアン様はその被害者なんですから」


昨晩の我が誕生パーティは、窓際に現れた闖入者のために中断し、一時不穏な空気が流れた。俺やダミアンでさえ予期せぬことに混乱したのだから、傍から見ればさらに意味が分からなかったことだろう。

しかしその後、屋敷の主人たるダミアンとパーティの主役たる俺が「問題ない」と必死に説明したことにより、なんとか穏便に会を終えることができた。

予定よりは早いお開きとなったが、幸いなことにみな気のいい知人ばかりで、帰り際の様子を見る限りでは気分を害した者もいなかったようだ。……強いて言えば、オランジェットがややピリピリとした雰囲気で辺りに睨みを効かしていたくらいか。


招待客を見送った後、屋敷に残った俺とダミアンはそのまますぐに話し合いを行うつもりだった。


しかし、マドレーヌからの「多少なり情報を得てからの方がいいのでは」という提案があり、また個人的にも考える時間が欲しかったと言う本音もありで、その夜は一度大人しく寝ようと言うことになったのだった。


「被害者などと、そう他人行儀な言い方をされるのもまた寂しいのだが……。そうか。とりあえず、ローレンが怒っていないのならばよかった」


ダミアンはそう安堵の吐息を漏らす。


「感謝こそすれ、ダミアン様を責めるなどありえません。どころか、昨晩のうちにヨハンに関する情報まで集めていただいたというのですから、ダミアン様にはお世話になりっぱなしです」


「それは私と言うよりもマドレーヌの手柄だがな」


ガチャ――、


「差し当たり、確認できた情報をまとめたものがこちらになりますわ」


「うわ、びっくりした」


監視カメラで見ていたのかと言うようなタイミングで、マドレーヌが食堂の奥から姿を現し、流れるような所作で数枚の書類を俺たちの手元に置いた。

そこにはヨハンが魔術学校に入学し、王都騎士団見習いとして推薦された経緯、その後の予定などが端的にまとめられているようだった。


「…………さすが、仕事がお早い」


俺は本心からそう称賛を送りながら、書類に目を通す。


「簡単に要点をまとめますと――、今年の春に王都魔術学校に入学なされたヨハン様は、座学と実践魔術のどちらにおいても極めて優秀な成績を示し、同学年の生徒どころか上級学年の生徒を見回してもお相手になる者がならず、果ては魔術学校の教師さえ彼に教えることはないとお手上げ状態。その結果、極めて異例のことながら、学長からの特別推薦という形で騎士団への見習い入団が決まった……。そしてその入団は、はやくも1か月後からということでございます」


「…………なんと言うか、もう……。我が弟ながら、恐ろしいですね……」


ナラザリオでは幼いころから神童ともてはやされていたヨハンだが、その天才っぷりは4年と言う月日の間に衰えるどころか、さらに冴えわたっていたようだ。

俺の感想に、向かいのダミアンも苦笑を漏らす。


「私からすれば兄弟揃って末恐ろしい。いや、現在進行形で恐ろしいといった感想だがな。……ともあれ、1か月後に騎士団へ赴くと言うことは、逆に今はまだヨハンは魔術学校で寝起きしているということになるだろう。昨晩我が家を訪ねてきたのは特別な許可が降りてのことだったようだから」


「そのようでございます。仮にローレン様が今すぐ会いたいと仰っても、申請書を提出し、それが受理されなければ面会は叶いません。魔術学校は全寮制の閉鎖空間。貴族子息と王国の優秀な人材が集うという特性上、みだりに行き来が出来ないよう厳しく制限されておりますので」


「……じゃあ、マドレーヌさんはどうやってこの情報を手に入れたんです?」


「それは企業秘密でございます」


そう微笑むマドレーヌ。

これだけ出入りが管理されている魔術学校である。生徒の個人情報も丁重に扱われているのではないかと思うが――、ダミアン・ハートレイの立場を利用すればある程度たやすいのか、それともひとえにマドレーヌが優秀なのか。

まあ俺としては有難い話なので、深くは突っ込まないことにする。


「加えて、ヨハン様が訓練をお受けになる先が第二騎士団である点が心配でございますわ」


俺は一瞬、何故マドレーヌが問題として挙げたのかが分からなかったが、すぐにその意味を理解した。


「第二騎士団って、そうか……。リーキースさんの所か」


「まあ、リーキース殿が、顔を合わせた瞬間『あの時の不審者め』と斬りかかるとは考えにくいが……、事前に伝えておかなければトラブルを招くだろうな」


向かいのダミアンはそう、口元を歪める。

昨晩、リーキースがどこまでヨハンを視認したかは正直定かではない。距離は離れていたし、カーテンは風に揺れていたし、ヨハンの体の半分は屋敷の外にはみ出ていた。真正面からバッチリと顔を見たと言えるのは、会場内でも多分俺だけだ。

しかし、リーキースならば、身なりや背丈や髪の色から同一人物と見抜いても何ら不思議ではない。

俺はダミアンの言に同意した。


「そうですね、今度お会いした時にお話しておきます。まあ、事情があるだろうことは、リーキースさんも察して下さっていましたし、ダミアン様の言った通りのお人柄なので滅多なことにはならないとも思いますが……」


「逆に、そのあたりはヨハンが対処すべき内容とも言えるがな。半分は彼自身が招いたことだからな」


「…………そうかもしれません。何にせよ、ダミアン様に無断で屋敷に入り込もうとしたのはあいつが悪い。ヨハンも、もう子供ではないんですから……」


俺は自分の言った言葉に、まるで心がこもっていないことを自覚する。

その様子にダミアンは小さくため息を漏らした。


「……どこまで同伴が認められるかが微妙ではあるが、すぐに会いたいというのなら私の名義で申請をすることは一応可能だ。それとも、事を荒立てずにヨハンが王宮に来るのを待つか?」


「…………」


俺はそう問われて考え込む。

ヨハンが王都にいずれ来るだろうという予想はあった。母は4年前に既に、王都魔術学校への入学に向けて気を揉んでいたし、ヨハンの実力から考えれば当然であるとさえ言えた。

しかし、今のヨハンには跡継ぎとしての役目がある。ゆえに、卒業後はすぐナラザリオに帰らなければならないはずだ。ここで魔術等々を学ぶとしても、せいぜい3、4年。ただでさえ王国中の人々が集まるこのボルナルグにおいて、全寮制をとる魔術学校に入学しても出会う機会はないはず。

なればこそ、俺はヨハンの前に現れるべきではない。ナラザリオの名前を捨てた自分にはその資格もない。自分はヨハンを既に裏切ってしまったのだから―――、

そう考えていた。

果たしてそれは、体のいい逃げ口上だったのだろうか。


そして期せずして再会を果たしてしまった俺は。

口実を失ってしまった俺は、今どうすべきなのだろう。


俺はやや心配げにこちらを見つめる二人の視線を感じながらしばらく考え込んだ後、大きく息を吐きだした。


「…………もうしばらくだけ、考える時間をいただけますか。1か月のうちに、何かしら結論は出せると思いますので」


「無論、構わない。昨日の今日で結論を出せるような問題ではないと思うし、場合によっては第三者を介した方がよいということもあるかもしれない、がだ……」


ふとダミアンが、釘を刺すような視線を俺へ向けた。


「――はい?」


「結局一か月後、仕事などを言い訳にして何も決心を付けず、出会ったら出会ったでその時考えようなどという、投げやりな結論にならないよう気を付けなさい」


「ぐっ」


俺はダミアンの指摘した可能性をたやすく想像できてしまってぞっとした。


「図星という顔だな」


「い、いや、さすがにそんなことは……、ないはず…………」


我ながらあてにならなそうな言葉に、ダミアンはますます大きく嘆息した。


「君は自分のことを棚上げして、後回しにしがちなきらいがあるからな。魔術研究の見通しは遠大でも足元がおろそかになっては台無しだ。良くも悪くも自分を顧みないというか……。君ももう20なんだ。仕事以外の、健康や今後の人生についてなども考えるべき頃合いだと思うぞ」


「仕事以外に、ですか……? しかし、今の俺の立場は数年前には望むべくもなかった身に余るものです。これだけの見返りを受けて、魔術研究に人生をささげないのは罰当たりじゃないですか?」


「馬鹿者。その結果早死になどしたら、それこそ罰当たりじゃないか」


「その時は……、その時ですよ」


「こら、その態度のことを言っているんだぞ、ローレン!」


ダミアンがいよいよ眉を吊り上げてこちらを指さしたところへ、横に立ってしばらく傍観していたマドレーヌが口を挟んだ。


「ローレン様、手っ取り早く身を固めてしまうというのはいかがでございましょう。愛する伴侶が出来れば、現在の不規則な生活も改善されるかもしれませんわ」


「――――結婚ですか!? いやいや、今俺が結婚をしても相手に迷惑がかかるばかりで申し訳ないですよ。そもそも先進魔術研究室室長なんていう怪しい肩書の男と結婚したがるような変わり者な女性はいないでしょうし」


「何を仰います。第一王子に取り立てられるほどに優秀で、王都の貴族地区に家を持っていて、将来性がある。おまけに高身長で、知的な印象があり、性格もいいという、王都を見渡してもちょっと見つからないくらいの優良物件でございますわよ」


「またまた……。王宮には爵位持ちの金髪イケメンが闊歩してるじゃないですか」


俺が外を指さして言うと、マドレーヌはハンと鼻で笑った。


「金持ちの金髪など見慣れすぎてどれも同じに見えますわ。それに地位やお金も結構ですが、なにより大事なのは中身でございます。当屋敷の使用人たちなども「ローレン様って何してるかよく分からないけど穏やかな雰囲気が素敵じゃない?」などと噂しておりました。ローレン様がふっと台所にでも入って、ちょっと背筋でも撫でてやればイチコロですわよ?」


「あ、あんまりよくないと思うなあ、そういう言い方は!」


「何事も積極性は大事でございます。ところで、実際に一人、お勧めしたい結婚相手がいるのですがいかかがでしょうか」


挙句の果てにそんなことまで言い始めるマドレーヌに、俺は驚く。


「!?」


「はあ!? なな、何を……!?」


同時に、対面に座っていたダミアンがマドレーヌの口を塞ごうと両手を伸ばした。しかしひょと身を引いたマドレーヌには届かない。


「ローレン様も知らない相手ではございません。どころか、ローレン様の仕事にも理解があり、ローレン様に尽くすことが出来、すこしローレン様よりは歳が上なのですが、その分おっぱいが大きいです」


「ちょおっ!? マドッ、マ、マドレッ!? ばば、馬鹿じゃないのかっ! 何を言う気だ、お前――――!?」


ダミアンは勢い立ち上がり、凄まじい形相でマドレーヌにとびかかる。

しかしマドレーヌは華麗なステップでそれを回避し、俺に耳打ちをするように顔を近づけて来て言った。


「――つまり私のことなのですが」


「皿洗いでもしていろお前は!!!!!」


屋敷を揺るがすようなダミアンの大声が響き、マドレーヌは逃げるような足取りで引き下がって行った。

もはや涙目で呼吸を荒げているダミアンを落ち着かせながら――、あの人は主人をからかうためであれば手段を選ばないなと、半分呆れ半分感心するのだった。





「では、そろそろ帰ります。パーティのことと、その後のゴタゴタも含め、また色々とお世話になってしまいました」


玄関扉に手をかけながら振り返ると、腕組みをしたダミアンが微笑む。


「構わないさ。私が力になれることがあればいつでも気兼ねなく言ってくれ」


「そうさせていただきます。では、オランジェットも心配していると思いますので、これで――――。あっと、そう言えば」


「?」


「なにかお願いしたいことがあると、明日ノノ王女から呼び出されているんですが、ダミアン様は何かご存じですか?」


「……ノノが? さあ、なんだろうな。分からん」


「そうですか。ダミアン様も知らない用件となると……」


俺は心当たりのない呼び出しに首をひねりつつも、王都の午後の日差しを受けながら、ダミアン邸を後にしたのだった。

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