第8話 窓際から風
薄く窓を開けると、カーテンが風にたなびく。
夜の冷気は今の火照った体にちょうどよかった。
「――ふう」
俺は窓枠に体重を預けながら小さく息をつく。
場所はダミアン邸、食堂。
花で彩られた会場の中央にある縦長のテーブルには、料理や飲み物が所狭しと並べられていて、奥では楽器を持った男たちが音色を奏でている。
マギア王国の王都ボルナルグともなれば、かような催しは毎夜どこかで執り行われているのかもしれないが、音楽に合わせて楽しげにくるくる踊っているのはマギア王国の第四王女とジスレッティ公爵家ご令嬢、その周りを取り囲んでいるのも王宮関係者ばかりというのだから、そんじょそこらのパーティではない。
俺はまるで映画にでも迷い込んだかのようなきらびやかな光景を、少し離れた場所から眺めていた。
「――このような騒がしい会は、あまり君の好みではなかっただろうか」
ふと、横から声をかけられる。
ダミアン・ハートレイ。この誕生日会を計画し招いてくれたパーティの主催者である。先日二日酔いの彼女を見送って以来だが、今日はさすがに酒量をおさえているらしく、わずかに赤らむ程度だ。
「いやいや、そんなことはありません。みんなが楽しそうにしている様子を見るのは好きですよ。主賓扱いには不慣れというだけです」
「また年寄りのような感想を……。まあ無理に真ん中に立てとは言わん。ただ皆、君を祝いに来ているのだから、その気持ちだけ受け取ってくれればいい」
「勿論です。他でもない、このような会を開いていただいたダミアン様には感謝しかありません」
俺がそう言うと、ダミアンは目を細めて笑った。
「その言葉が聞けて何よりだ。改めて誕生日おめでとう、ローレン」
「ありがとうございます」
お互いのグラスがカチンと小さく鳴り、ワインを一口飲む。
そして会場を眺めまわした。
会場の中央で人目を集めているのは、可憐なドレスを身にまとったシャローズとルフリーネ。
それを遠めから、こけはしないかとハラハラしているのはシャローズお付きの騎士、ケリード。
手拍子をしながらも、口にはパンパンの料理を詰め込んでいるわが研究室の部下、テルビー。
人形を抱えて、その口元に油ギッシュな肉を突き付けているのは第五王女のハンナ。
11歳になり背は伸びたが、心配そうにあたりを見回す様子などは相変わらずの、元教え子レレル。
楽器の演奏を子守唄に隅ですやすや寝ている、同じく元教え子のアメリジット。
料理を運んだり飲み物を注いだりと忙しそうなマドレーヌとオランジェット。
あとは、王都の生活で何かと世話になっている王宮関係者と、ダミアン邸で仕える使用人たち。総勢20人になろうかという会場は、どこを見ても楽しそうだった。
と――、一人見当たらない者がいることに気づき首を巡らせたところで、ダミアンとは反対方向から声をかけられる。
王国騎士団第一騎士団長、リーキース・フォールランドである。
「王国きっての魔術師2人が並んで、何をお話かな?」
「なに、他愛もない話ですよ。しかしそうですね、リーキース殿まで揃ってしまうといよいよ戦力の局所集中が洒落になりませんので、少し離れていただけますか」
「はっはっは!」
ダミアンの冗談めかした物言いに、大きな声で笑うリーキース。
そんなやり取りからも分かる通り、2人は旧知の間柄で、軽口も叩ける親しい仲である。俺とリーキースが親しくなったきっかけもダミアン――、というか大概のお偉いどころのとつながりは、ほぼほぼ彼女の紹介によるものだった。
「しかし愉快な顔ぶれだな、ローレン」
「我ながら風変わりな交友関係だと感心していたところです。リーキースさんもお忙しい中わざわざお越しいただいてありがとうございます」
「ああ! 心配せずとも、別にお忙しくはなかったから大丈夫だ!」
「またまた……。仮にも騎士団長ともあろうお方が、暇なはずはないでしょう?」
「存外そんなものなのだ。それに暇なくらいがちょうどいい、我が国が平和な証拠だからな。強いて言えば、有事の為に刃を研いでおくのが本分だろうが、そこもそれ、俺は騎士団最強なのだからこれ以上刃を研ぐ必要もないという訳だ」
そう言って快活に酒をあおるリーキースに、ダミアンがツッコミを入れる。
「近年、治安が良くなったことは確かですが……、あまり油断していると足元を掬われますよ。例えば、すぐ隣の男などに」
「ふっ。俺は今、騎士団最強と言ったのだ。警戒すべき相手はきちんと警戒しているさ」
リーキースはその瞳の奥に、強者のみしか持ちえない光を宿しながら、にやりとした笑みを俺へ向ける。
「俺が王国最強の名を奪われることがあるとすればその相手はお前だろう、ローレン。俊才や非凡は数多おれど、俺が脅威を感じるほどの真の天才は今の騎士団にはいない。嘆かわしいことだがな」
「……そんな大層な肩書に興味はありませんし、背負えるだけの気概もありません。俺には先進魔術研究室室長の今の役職で精いっぱいです。王国最強の座は、お二方で奪い合ってくださいよ」
俺がそう言ってダミアンを振り返ると、彼女は小さく首を振る。
「無論私にも国王仕えの魔術師としての自負はある――。しかし残念ながら、武器を持ったリーキース殿と闘り合って勝てる見込みは薄いだろうな。……ところで、二人が手合わせをする現場に立ち会ったことがないんだが、戦績は現状どうなっているんだったかな」
「もちろん全戦全敗ですよ。ボッコボコにいてこまされましたとも」
俺がそう両手を振ると、ダミアンは「ほう?」と意外そうな表情をした。
「君が一方的に負ける様というのはなかなか想像が出来ないな。正直見てみたい気もするが……」
「おい、嘘はよくないぞ、ローレン! 俺とお前がまともにやり合ったのは最初の一回きりじゃないか。それ以降は形だけの模擬演習ばかり――、常々再戦したいと思って…………。いい機会だ、ダミアン立会いの下で白黒つけるべきではないか? どうだ!」
「…………リーキース殿? 何故腰の剣に手を当てているんです。まさか今ここで始めようというのではないでしょうね」
「話を聞いていなかったのかダミアン。今ここで始めるんだ、合図をしろ」
「我が家を倒壊させる気ですか?」
何処までが冗談か分からない会話の後、騎士団長と王都最高魔術師は笑い合う。別々に話すとそんなことはないのだが、こうして揃うとなぜか体育会系的なノリになってしまうのが困りものだった。
そんな俺の内心を察したのか、ダミアンがフォローを入れる。
「リーキース殿、その辺りにしておきましょう。ローレンがうんざりしています」
「む? そうか、冗談が過ぎてしまったなら悪かった」
リーキースが少しハッとした様子で、俺の方を向く。
「……いえ、別に構いませんけどね……。どうしてそう強い弱いにこだわるのかだけは分かりかねます。いいじゃないですか、優劣なんてはっきりさせなくても」
「王国騎士団は実力主義だからな。強ければ偉くなるという世界で、他に大した話題もないんだ。むしろ俺からすれば、それだけの実力がありながら最強の肩書に興味がない方が珍しいと思うがな」
「誰しもが体育会的な思考回路は持ち合わせてるわけじゃないんですよ」
「はっは、まあそれがローレンのローレンたる所以か。全力のお前を引きずり出すには、シャローズ様などにご命令いただかなければ難しそうだ」
「……その手は、わりと有効なので勘弁してください」
「それはいいことを聞いた。……おや? 可愛らしいお嬢様方も、お前と話をしたいようだぞ?」
ふとリーキースがそう言ったので辺りを見回してみると、向こうから二つの小さい影が手をつないで歩いてくるのが見えた。
ふりふりのドレスに身を包んだハンナとルフリーネだった。
「ロレーヌ、お友達が出来たの」
表情ではわかりづらいが、ふんふんと鼻を鳴らしているところを見ると、どうやら興奮しているらしいハンナが言う。
横のルフリーネも嬉しそうにつないだ手を揺らしていた。
「お友達に?」
「そ」
とは言っても、2人が顔を合わせるのはこの場が初めてのはずだ。
しかもさっき見た時は、ルフリーネは華麗なステップを刻み、ハンナは人形で遊んでいた。一体いつの間に仲良くなったのか……。
子供のこういうフットワークの軽さには驚かされることがある。
「それはよかったですね、ハンナ様」
「よかった」
ハンナは頷いて、ぬいぐるみをぎゅっと抱く。
実際、無数の見知らぬ大人たちが行き交う王宮内。比較的立場も近しい同性同年代の遊び相手と言うのは、俺が想像するよりも貴重なのだろう。
そしてそれはルフリーネも同様であるに違いなく、このパーティがそんな二人をめぐり合わせるいい機会になったことを俺は嬉しく思った。
「ローレン先生もハンナ様のお友達なんでしょ?」
ルフリーネがニコニコしながら尋ねてくる。
「友達……。ううん、まあ、そうだな。親しくしていただいているというか、お知り合いというか……」
「えっ」
「え?」
「…………ロレーヌ、友達じゃなかったの……?」
見れば、横のハンナが目を丸くして、ショックの表情を浮かべていた。
俺は光の速度で弁明する。
「ち、ち、違いますよ? ハンナ様。王宮関係者がたくさんいるような場所で、軽々しく王女様とお友達などと言ってしまうとその、多少問題がですね」
「仲良くしてたと思ったあのロレーヌはまぼろし……? ロレーヌは私の頭の中にしかそんざいしなかった……?」
そんな俺の言葉も彼女には届いていないらしく、ハンナは放心した様子で床を見つめ、とんでもない可能性を考慮に入れ始めていた。どうしたものかとあたふたする俺の横で、ルフリーネがいいことを思いついたという風に言う。
「じゃあね、この機に3人でお友達同盟を作っちゃえばいいって思うの。私が生徒で先生が先生だったのも言っちゃえば前の話だし。これからは先生と私も、私とハンナ様も、ハンナ様と先生もみんなお友達」
「お、お友達同盟? ……なんか意味が重複してる気がするぞ」
「名案! それは名案!」
俺は苦笑いをするが、ハンナはバッと顔を上げて飛び跳ねた。そしてクマのぬいぐるみの背中のジッパーを開けて、中から紙とペンを取り出した。ポーチも兼ねてるのかと俺が驚くのも気にせず、床に白紙を広げて何かを書き始める。
俺とルフリーネが覗き込むと、そこには大きく『お友だち同めいの決まりごと』と書かれていた。
「1つ……、お友だち同めいは……、みんな仲良し……。会ったらかならずお話をする……」
「なるほど」
俺が頷くと、ハンナは満足げに続きをしたため始める。
「2つ……、お友だち同めいは……みんな平等。敬語禁止…………」
「敬語禁止かぁ……。これは、ううむ……」
思わず唸る横から、ルフリーネも顔を覗かせる。
「ハンナ様、これ私もいいの?」
「当然。お友だちなのだから様もいらない」
「わっ、すごいねそれは。ええと、ハンナちゃんって呼ぶのか……」
本人がいいと言っているのだからいいのだろうが、さすがに抵抗を感じる俺たちの様子を見て、ハンナは文言を書き加えた。
「…………まもれない者は小指をうしなう」
「罰が重い!」
相手が王女だけに洒落にならない条文にひやりとしながら、しかし対等な関係性を求める彼女の気持ちを汲みたいとも思う。俺は失礼ながらペンを拝借してちいさく『時と場所を選ぶ』とだけ書き加えた。ハンナは少し考えた後に「仕方ない」と同意を示してくれた。
そこで、出来たばかりの同盟条約に目を通していたルフリーネが、ふと顔を上げて言う。
「ね、ローレン先生のことは、ローレン先生って呼んでいい?」
「ん? ハンナ王女が敬称不要と言ってるんだから、何と呼んでくれても構わないが」
というか立場的にはそもそも逆で、俺がルフリーネ様と呼ぶべき地位のお嬢様なのだが、かつての教え子という関係性のせいでその辺りフワフワしているのだ。
「私はできれば、今のまま先生って呼びたいんだけど」
「そのあたり、条約的にはどうなんだろうな」
「許可」
フレキシブルな条約のようで何よりだった。
俺たちはしばらく、細かな条文をつけ足したり消したりして楽しんだ。
ダミアンも人見知りと評していたハンナが、率先して友達とは何たるかを語る様子は
楽し気で、なんとも微笑ましかった。
そう言えば、いつの間にか会場にいたはずのダミアンの姿が見えなくなっていることに俺が気づいて、ふと辺りを見回したところで――――、
「――ああっ!」
ふと窓の隙間から吹いた風に、お友達同盟の条約文書があおられて、手から離れてしまった。
一度天井近くにまで吹き上げられた紙は、ひらひらと不規則に舞う。
「大変、ローレン先生! 同盟が破棄になっちゃう!」
ルフリーネが悲痛な声で叫んだ。
実際、会場の中央にはいまだ料理の載った皿が並べられているし、大勢の人間が歩き回っている。せっかく2人が頑張って書いた大事な文書が汚れては大変だと、俺は立ち上がって手を伸ばした。
「――――っ、と」
幸い、条約文書は誰に迷惑をかけることもなく回収された。
まあこれが汚れたって別に同盟破棄にはならないとは思うが、2人を見ると手を取り合って安堵の表情を浮かべているのでよかったのだろう。
俺は紙を手渡し、窓を閉めておこうと窓際に寄る。
しかし、
――――トッ
小さな音とともに人影が現れたので、俺は手を伸ばした格好のままで後ずさった。
しかも会場の誰かが急に現れたのではない。
窓の外から、何者かが飛んできたのだ。
「――――」
その何者かは窓枠に足をかけて、至近距離から俺とにらみ合う形になった。
カーテンの影が顔を隠すせいで、すぐにはそれが誰か分からない。
紺に近い黒髪に、高校生くらいかと思われる体格、猫のようなぱっちりと大きな目――――……。
そこで、俺の喉から「え」と声が漏れた。
どくりと心臓が跳ね、驚きとも懐かしさともつかぬ感情が体を震わせる。
「……ヨハン、なのか…………?」
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