第7話 慣れたもの


翌朝――。

俺が居間の暖炉の前で新聞を読んでいると、背後からゾンビのような足音が聞こえてきたので思わず振り返った。

俺は足音の主に朝の挨拶をする。


「おはようございます、ダミアン様」


ダミアンは腫れぼったい瞼を懸命に開きながら、おぼつかない足取りでこちらへと歩み寄ってくる。


「おはよう、ローレン……。頭が割れるように痛くて、昨日の記憶が朧気なんだが……、私はどうしてここで目覚めたんだろうか……」


「とりあえず何か温かいものでも飲みますか?」


「ああ、そうだな……。何かもらえるとありがたい……」


俺は席をダミアンに譲ると、キッチンへ適当な飲み物を用意しに行く。しばらくしてから戻ると、ダミアンはソファのひじ掛けにもたれかかっていた。いくら美麗な魔術師と言えど寝起きのぼさぼさの頭のままでは、打ち上げられた海藻のようにしか見えない。俺は目の前のテーブルにカップを置いてから、同時に温水で濡らしたタオルも手渡した。


「昨夜、ノノ様の寝室で集まった時に飲みすぎてしまったんですよ。夜中、ダミアン様のお宅まで負ぶっていくのは大変だったので、俺の家で寝てもらいました。思い出せましたか?」


「そうだったか、迷惑をかけてすまない……。楽しいとつい飲みすぎてしまうのは悪い癖なんだ……。うぷ」


「あ、吐くなら洗面所にしてくださいね」


「…………うむ、分かっている。大丈夫だ。一晩厄介になっておいて、挙句居間を汚してしまうなど、さしもの私もプライドが許さないからな」


「そのなけなしのプライドにはもはや何の信頼性もありませんが、背中を撫でたら少し楽になりますか?」


「ああ、辛辣さと優しさが同居していて複雑だ……。しかし、こと酒に関しては前科がありすぎて言い訳の余地がない……」


「俺があの場に呼ばれている理由の半分以上は、ダミアン様の介抱役なんじゃないかと思ってますからね」


ズズズ、とダミアンはホットミルクを啜り、ほーっと深い息を吐いた。

暖炉で温まったおかげもあるかもしれないが、登場時に比べれば顔色はずいぶんよくなったように見える。ダミアンはカップから顔を上げて、俺を見て言った。


「今まさに介抱されている身で言うのもなんだが、それは違うと思うぞローレン」


俺は不意にまじめなトーンで訂正を入れられたので、少し驚く。


「シャローズは言わずもがな、ノノもずいぶん君のことを気に入っているようだからな。少なくとも、普段の何気ない会話にも名前が出てくるくらいには」


「……それはまあ、あの場に呼ばれる程度の信頼をいただいていることは理解していますが、しかしダミアン様の親せきと言う設定だったり、シャローズ様との関係性ありきでは?」


「無論そう言ったところで警戒心が解けたということもあるだろうが、気に入られたのは単純にローレンの人となりの部分だ。人見知りのハンナも懐いているようだし、君には王族に気に入られる才能があるのかもしれないな」


ダミアンはそう言って小さく笑う。

もし本当だとすればとても光栄なことだが、しかし俺は別に王族に取り入ろうなどと大仰なことを企ててはいないし、気に入られるようなことをした心当たりがないので返答のしようもない。

嫌われるよりは好かれる方がいいとプラスに捉えておけばよいのだろうか。


と、不意に玄関の扉が開かれる音がしたので、俺とダミアンは同時に振り返った。

そこにはそれぞれの屋敷の使用人であるオランジェットとマドレーヌが並び立っていた。

マドレーヌは、椅子に腰かけ、ホットミルクを両手で抱えた、髪の乱れた主人を細い目で眺めてから、深く大きなため息を漏らした。


「ダミアン様、お迎えに上がりましたわ」


「……うむ、わ、悪いな」


返事をするダミアンの声が裏返る。

構図的にはお迎えに参上したメイドと主人なのだが、傍目から見ていると問題を起こして怒られている生徒と、学校に呼び出された母親のようにしか見えない。

ダミアンは気まずげに目を逸らし、せめて身なりを整えようとあたふたしている。


「申し訳ございません、ローレン様。度々の事、当家の主人がご迷惑をおかけしまして。すぐに持って帰りますのでなにとぞご容赦を」


「いえいえ、もう慣れたものなので。マドレーヌさんこそ毎度お疲れ様です」


「そうした労いの言葉が我が主人からも聞ければよいのですが……、まったく、いつどこに良識を落としてきてしまったのか」


やれやれとオーバーに首を振るマドレーヌに、ダミアンが異議を唱える。


「労いの言葉ならかけたぞ。さっきちゃんと『悪いな』って」


「あら、失礼いたしました。語弊があったようでございます。私が申し上げたのは、反省の意を態度で示してほしいという意味でございます。つまり、いい加減酒癖を直して真っすぐ自分の足でご自宅に帰れるようになってほしいということなのですが、いかがでしょう」


「うぐっ」


「まったくもってオランジェットが羨ましいですわ。ローレン様は大人としての良識をしっかりとお持ちでいらっしゃいますし、使用人に対しても礼を尽くしてくださいますもの」


そう振られたオランジェットは、何かを言おうとしたようだが結局無言にとどまった。肯定すればダミアンへの無礼に当たるし、否定すれば俺への無礼に当たると思ったのだろう。

……もしくは「うちの主人も約束の帰宅時間を守らないので困っている」と言いかけて辞めたのかもしれないが。ともあれ、ひとしきり文句を言い終えたマドレーヌは、ダミアンのお尻を叩くように立ち上がらせた。


いまだ酒の抜けきらない様子のダミアンはよろめきながら玄関へと歩いていく。その後ろ姿を多少気の毒と思わないでもないけれど、これに関しては酒癖を改めてもらうほかないだろう……。


去り際、マドレーヌが振り返って、思い出したように言った。


「ローレン様、お手紙が届いたかと思いますが、来週誕生会の準備をしてお待ちしております。是非親しい方を連れていらしてくださいませ」





数日が経った。

俺は各地から集まる情報の取りまとめを行う傍ら、セイリュウの水晶探しを続けていた。今のところ反応は芳しくないものの、国境沿いハイドラ近郊に駐屯する騎士団員たちにも話を聞いたりしている。今までは無作為にマギア王国内を探していたことから考えれば、ランタノのおかげで多少なり目星がつけられたことは有難い。


しかし、半面少し後ろめたくもあった。


ナラザリオ領の祠では、半ば過去の信仰の名残として放置されていた水精霊の水晶――。その真の特殊性に気付いたのは俺だけだった。俺以外のほとんどの人々にとっては、多少魔力が豊富に含まれている珍しい水晶石でしかない。

仮にこの水晶の出所を突き止めたとしても、魔術研究の前進にはならないだろう。先進魔術研究室室長の立場を利用した今の俺は、ある意味職権乱用と捉えられてもおかしくない。


しかし、もう1か月以上も眠ったままの水色の紐状生物――、考えればこの王都において最も付き合いが古く、事情も素性も知り尽くしている相手からの頼みを優先してやろうくらいの情は、俺にもあったのである。



コンコン――――。


ドアをノックし、重い扉を押し開く。

以前訪ねた時と変わらない広く整然とした室内、その最奥で書類の山の隙間からこちらを見つめるのは、どこか猛禽類を思わせる鋭い目と金色の髪が印象的な美男。

マギア王国第一王子、ヨルク・M・バーウィッチである。


精霊教会での審問会において初めて謁した時はまだ20代だったはずの彼も、既に30代に足を踏み入れたと聞いているが、彫刻のような完成された美しさには経年の影響は見受けられない。少なくとも俺が見る限りは。


「先進魔術研究室室長、ローレン・ハートレイ。定期報告に参りました」


「うむ、大儀である」


ヨルクはわずかに視線をこちらに向け、近くへ寄るように合図をした。

壁際に書架の立ち並ぶ少し王族らしくない部屋の内装を横目に見ながら、俺は執務机手前まで歩み寄った。


「王国騎士団の助力もあり、マギア王国全土の実態調査は着実に進んでおります。各地の特性と魔法属性の関連性についてはほぼ認められたと言って差し支えありません。途中経過ではありますが、進捗状況も併せて取りまとめてまいりました」


俺はそう言って、持っていた報告書類をヨルクに手渡す。


「……ふむ。研究活動が順調であることは喜ばしい。何より、其の方の報告は簡潔でよいな」


「左様でございますか」


「見ろ、この積み重ねられた明らかに不必要な量の紙の山を。目を通す前から肩がこる。その点、その方の報告書類は10分の1ほどだ」


ヨルクはそう言いながら、俺の報告書を摘まんでひらひらと揺らした。


「時間も資源も有限ですので無駄には出来ません」


「まさしくその通りだな。いずれそのように法律を作るべきかもしれぬ」


そう言ってかすかに微笑むヨルク。


ともあれ、前回の報告から付け加えることもほとんどなく、それこそヨルクの貴重な時間を消費せぬよう、俺は姿勢を正して退出の許可を待った。

しかしヨルクはそうはせず、背もたれに身を預けて窓の外に目をやる。小さく息を吐く音が聞こえた。


「時に、マリオロークは息災か」


俺は内心で少し驚きつつも答える。


「はい、お変わりなく。日々マリオローク様には多大なご協力を賜っております」


「で、あるか。この前すれ違った際には、むしろ若返ったようにさえ感じると言っていた。あれも其の方に負けず劣らず魔術馬鹿だからな」


「ヨルク様は幼い頃から、マリオローク様の魔術指南を受けておられたそうですね。王家との付き合いも古いと聞いています」


「うむ。リカルド、ノノ、レクサミー、シャローズも皆そうだ。どころか父上もマリオロークから魔術指南を受けていたというのだから、付き合いは古いどころの話ではないな。一線を退くと言った際には時の流れを感じたものだが、あれにまた活力を与えてくれたという意味でも其の方には感謝している」


「特別自分が何をしたという風には思いません。実際のところ、マリオローク様の魔術研究への熱意には驚かされるばかりで、活力を得ているのはむしろこちらです。偉人というのはあのような方のことを言うのでしょう」


「時を経てみて初めてマリオロークの偉大さは痛感される。あれがいなければ、事実現在の魔術体系は確立されていなかったし、王国の領土も少なからず窮屈だったことだろう。しかし……」


ヨルクはそこで一度言葉を区切り、俺の瞳を覗くように首を動かした。


「そのマリオローク・ドヴィリスコをして、その下で働かせてほしいと言わしめる其の方もまた異常であると私は思うがな」


「あまりにも恐れ多いお褒めの言葉と受け取らせていただきます」


俺がそう言って頭を下げると、満足そうに視線を手元に落とした。

頃合いかと思い俺が足を一歩後ろへと伸ばしたところで、背後からノックの音が聞こえたので振り返った。

ヨルクはわずかに俺を横目に見てから「入れ」と言う。


少しの間の後に静かな足取りで入ってきたのは、痩せてひどく猫背の人影だった。


「……失礼いたします、兄上」


「リカルドか」


ヨルクがわずかに驚きの表情を浮かべる。

部屋を訪ねてきたのはマギア王国第二王子、リカルド・M・バーウィッチ。ヨルクの2つ下の弟君に当たる。しかし二人の間に兄弟らしさはなく、ややくすんだ金髪に無精ひげをたくわえ、隈の残る瞳でじっと人を睨むようなリカルドは、兄のヨルクとはあらゆる点で対照的だ。


俺は慌てて道を開け、ヨルクに一礼をしてから部屋を後にする。

その際に、背後に二人の会話がわずかに漏れ聞こえた。


「父上――――、容体が芳しく――」


「ハイドラ――使者――、レクサミーと――」


「ノノ――――、騎士団――――」


そばだたせた耳が気になる単語をいくつか拾い上げるが、振り返って王族同士の会話に混ざるわけにはいかず、俺はそそくさと退室した。

閉まる扉の隙間から、リカルドの曲がった背中が見えた。


第二王子リカルド。

そもそも自室から出てくる機会が少ないようで、俺も会うのは合計で考えても4、5回目である。女遊びが盛んな第三王子ほどではないにしろ、第二王子に関してもあまりいい噂は聞かない。

国政には一切関与せず引きこもり、若くして半ば隠遁したような生活をしているのはある程度周知の事実として、夜中部屋の前を通った際に引きずり込まれ行方不明になった使用人がいるとか、あの不気味な瞳でじっと睨まれたと思ったらひとりでに花瓶が割れたとか……。まあ、後半に関しては根も葉もないものだろうが、王宮内での評判がよくないことは確かだ。


しかし、俺の抱く印象は少しだけ違う。

実際に言葉を交わしたことはないが、姿勢の悪さや不健康そうな顔つきなど、俺はそこまで不気味とは感じない。どちらかと言えば前世でよく見たというか、大学院の論文発表会前の自分などはほぼ同じような見た目をしていたような気がして、むしろ親近感を覚えてしまう。


今度シャローズに、どんな人物なのか詳しい人となりを聞いてみようかと思いつきながら、俺は階段を下って行った。

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