第5話 大切な約束
「アラァ、お客さん凝ってますねえ。ここなんかガチガチの針金みたいじゃないですの」
「あー……、気持ちいい。ルフリーネは肩を揉むのがうまいんだなあ」
「ほんと? まあ、おじいちゃんとおばあちゃんで慣れてるからね。多少怒られても、そのあとしおらしく近づいて肩揉んどけば大体ご機嫌になるから。チョロいもんよ」
「なんかあんまり気持ちよくなくなってきたぞ?」
「はい終わりー。先生、私も揉んで揉んで。勉強頑張ってるご褒美」
肩もみを切り上げたルフリーネは、慣れた素振りで俺の膝の上に座る。
その小さな肩を叩くと、視界の下で青色の頭が楽しそうに揺れた。
騎士団員たちとの軽い演習を終えた俺は今――、
グラウンドから一段上がった観客席に腰掛けている。
おおざっぱに石で組み上げられたそれは座席と呼ぶにはやや躊躇してしまうが、可動式の屋根などあろうはずもなく年中吹き晒しなので、石材以外を使う訳にもいかないのだろう。
それにしても、何千何万と収容できるはずの広々とした観客席に、ぽつんと2人だけというのは贅沢というか物寂しいというか。
体も冷えてきたし用事もないので、そろそろ退散しようか――。
と、俺がルフリーネの肩を叩きながらそんなことを考えているところへ、ちょうど視界の端から人影が近づいてきていることに気が付いた。
人影は3つ。美しい金髪をきらめかせている女性が2人と、その後ろに付いている腰の曲がった人物。
俺は驚き、反射的に立ち上がった。
「ノノ様、シャローズ様……!」
「わちょっ」
「あ、すまん。ルフリーネ」
膝の上のルフリーネを落としそうになり、慌てて抱きとめる。
ルフリーネは一瞬文句がましい目線を俺に向けるが、歩み寄ってきた相手を認めると、慌てて俺の左側へと回って居住まいをただした。
さすがにそのあたりの礼節は弁えているかと感心するが、しかしルフリーネが恐縮するのも当然――。
「ローレン、久しぶりね!」
「ご、ごきげんよう。ローレン様」
そう言いながらこちらへ歩み寄って来るのは、第四王女シャローズ・M・バーウィッチと、第二王女ノノ・M・バーウィッチであったのだから。
齢18になりますます溌溂さが増した向日葵のような印象のシャローズと、ウェーブのかかった金色の長髪がふわりと揺れる、百合の花のような印象のノノ。4つ違いの姉妹である2人が並ぶと、色のない演習場の観客席が、光が差したようにパッと明るくなる。
本来ならば気安く挨拶を交わすことさえ恐れ多い相手だが、ダミアンつながりで話す機会を得て以降、親しいと言って差し支えのない間柄となっていた。
シャローズが演習場を見回すようにしてから言う。
「あら、せっかく見学に来たのにもう演習は終わっちゃったのかしら」
「演習なら御覧の通りやっていますよ」
俺が未だ騎士団員たちが金属音を響かせる眼下を指してそう答えると、シャローズは「違うわ、ローレンの話よ」と口を尖らせた。
「俺は今日、氷魔法の訓練へのアドバイスをしにやってきただけだったので、もう用事は済んでしまいました」
「なんだ、そうなの」
シャローズは露骨にがっかりした様子でため息をつくと、背後の姉を振り返る。
「残念だったわね、姉様。一足遅かったみたい」
急に振り返られたノノはびくりと肩をすくめる。
「へ? ざ、ざ、残念って……?」
「――あれ、違ったの? 姉様がわざわざ演習場に見物なんて、ローレンが目当て以外にないでしょ? そういう意味だと思ったんだけど」
「えっ、ちが。ちょっとシャローズ、私はそんなつもりでは……! 騎士団員の方々の鍛錬の様子はどうかと、ふと気になっただけで……」
「でも姉様、むしろそういうの苦手じゃない。この前の武闘大会の時も理由つけて欠席してたくせに」
「あの時は本当に、たまたま具合が優れなくて、それで……」
ノノは容赦のないシャローズの問いかけに必死で弁明しようとするが、後ろになればなるほど声は小さくなり、しまいには俯いてしまう。
しかしそんな一挙手一投足にも気品が感じられるのがノノがノノたる所以であり、それは俺の中の漠然とした「王女様」のイメージを体現していた。
「ええと、俺に何か用だったんですか?」
俺がそう尋ねると、バニーユの肩口からノノが顔を覗かせる。
「いえ、その、用というほどのものではなかったんです。ローレン様が演習場に向かわれたので、久しぶりに氷魔法を拝見したいと思いまして……」
「はあん、それで演習場に顔を出してもおかしくない私を隠れ蓑に連れてきたのね」
「もう、あなたはどうしてそういう事を全部言っちゃうの……!」
ノノが白く柔らかそうな拳で、シャローズをポコポコと叩く。しかしそれが彼女たちなりのスキンシップであることを知っている俺は、2人のやり取りをほほえましく眺めていた。
「ご希望であれば、今から降りて演習に加わることも出来ますが」
「いえいえ、既にお仕事を終えておられるのにそんな我儘は申しません。またの機会に伺う事にしますので大丈夫です」
「そうですか、では……」
と、そこまで言って、俺たちは少し無言で見つめ合うことになった。
そろそろ演習場を去ろうと思っていた俺と、俺を訪ねてやってきたが用事のなくなったノノ王女。俺たちは同時に話題を失い、何か気の利いたことでも言わなければと頭をまわす。
そこへ助け船を出してくれたのは、お付きのバニーユだった。
「ノノ様、そう言えばちょうどいいお菓子が入ったので、のちほどお茶と一緒にお持ちしようと思っていたのですが、よろしければ皆様ご一緒にいかがでしょうか」
「……! それは名案ですね、バニーユ。だそうなのですが、いかがでしょうローレン様、シャローズも。ちょうどお昼時ですし、お食事の後にお茶をご一緒いたしませんか。お、お忙しくなければ……!」
見上げれば、冬空のどこか頼りない太陽は、真上に差し掛かろうとしている。
俺はじわりとした空腹感を実感しながら、その恐れ多くも素敵な誘いに頷き――かけた。
しかし、すんでのところで思いとどまる。
「す、すみません。せっかくお誘いいただいて恐縮なのですが、午後に商会の方で人と会う約束をしておりまして……!」
俺がそう言った途端、アニメーションのような速度でノノの表情が曇り、呟くように言った。
「そう、ですか。ご用事があるのであれば、仕方がありませんね……」
「本当に申し訳ありません。また後日機会があれば、その時には必ず……、あいてっ?!」
顔を伏せるノノ王女に必死に弁明しようとしたところで、俺は両側から脇腹をつつかれた。何かと思って見てみると、右側からはシャローズが、左側からはルフリーネが、ジトリと責めるような視線を向けていた。果ては、バニーユまで目を細めて口をへの字にしている。
俺は一歩下がって、無言の皆を見回した。
「こ、これって俺が悪い…………?」
〇
「――――はあぁ!? 王女様からのお茶の誘い断ってこっちに来たぁ!?」
王宮から居住地区を通り、さらに壁沿いに階段を下りた先。
商工会用の貨物運搬口で、馬車から降りてきた金髪ツンツン頭の男が大きな声を上げた。
「バッカじゃねえの、お前!? マジでバッカじゃねえの!? どういう了見してやがんだ。何でそんな素敵なお誘いを断って、こんなムサい親父との約束を優先してんだよ!」
周りからの目線を気にする素振りもなく、オーバーなアクションで叫ぶ男の名前は、ランタノ。以前、途方に暮れていた俺を可哀そうだからと王都まで運んでくれた行商人で、まさしく命の恩人と呼ぶべき人物だった。
しかし、出会い頭に馬鹿と怒鳴られたことについては、異を唱えざるを得ない。
「馬鹿って……、先に約束していた方を優先するのは当然じゃないですか」
「当然な訳あるか! 100人が100人王女様の誘いを優先させるに決まってんだろうが! お前は偉くなってもそういう根本的なところが抜けてやがるから…………分かった、もういい! 俺が王宮に行って王女様のお茶のお相手をして差し上げる!!」
「ランタノさんがいなくなったら、俺はここに何しに来たかわからなくなるんですが……」
「お前はここでしばらく正座して反省しているがいい! 戻ってくる頃には頭も冷えていることだろうぜ!」
「そもそも貴族地区に入る許可証持ってましたっけ?」
「あ!! 持ってねえーー!!!」
「うるさいなあ、もう。どうして俺の周りには声の大きい知人が多いんだ……」
俺は耳を押さえ、うんざりしながら溜息を吐いた。
ともあれ、そんなやり取りも終わり、本来の要件を済ますべくランタノは木箱を抱えて馬車から降りてくる。
「色のついた水晶ならいくらでも転がってるがよ、お前の言う特徴に合致するものとなると、とんと見つからなくてな……。ようやく見つけたのがこれなんだが、お気に召すかどうかは分からねえぞ」
「とにかく一度、見せていただけますか」
「へいへい、っと……」
ランタノが蓋を開けると、ぎちぎちに詰め込まれた石炭の山が顔を覗かせる。
しかしわざわざ石炭を依頼していたわけもなく、ランタノは箱の隅から白い布に包まれた塊を摘まみ取り、俺に手渡した。
「ほれ、これだ」
布を開いた瞬間、青く透明な水晶のツヤツヤとした光が目に入った。
しかし、よくよく見れば水晶と呼べる部分はほんのわずか。細かいトゲが岩石に張り付いているに過ぎなかったが、それでも今までの候補に比べれば圧倒的に、ナラザリオから持ってきた水晶の欠片に酷似していた。
実際に胸元からペンダントを抜き取って見比べてみる。
俺が持っているのはナラザリオの祠に祀られていた巨大な球形の水晶が割れた破片だが、それでもランタノが入手してきてくれたものと比べれば大きく、また透明度が高い。それこそ本人に聞いてみなければ分からないが、少なくとも俺の所感では――、
「セイリュウの新しい依り代とするのは、さすがに難しそうか……」
「ん? なんだって?」
思わず漏れ出た独り言にランタノが訝しむような反応をしたので、俺は顔を上げる。そして相変わらず反応のないペンダントを胸元にしまい直した。
「いえ、なんでもありません」
「やっぱりお気に召さなかったか」
「大きさや純度で見ると、やや物足りないというのが率直な感想ですが、これだけのものでも今までは見つけられませんでした。是非譲っていただけますか」
俺がそう言うと、ランタノは安堵したように笑った。
「そりゃあよかった。他ならぬお前からの依頼だったもんで、方々駆けずり回ってやっとこさ手に入れたものだったんだ」
「必要以上の手間をかけさせてしまいすみません。結局どこで入手できたんです?」
「ハイドラから流れてきた鉱石に混じってたそうだ」
「……ハイドラ王国ですか?」
俺は思わずそのまま尋ね返す。
ランタノは頷いてから、貨物運搬口の入口方向――、かすかに見える山並を指さした。
「元々ハイドラは金属鉱石の一大産出国なんだ。何よりでけえ火山がある関係で、マギアとは取れる鉱物の種類も違う。それでハイドラの商人仲間に色々と当たって、ようやく見つけたんだよ。ハイドラでも一般に流通しているものじゃないらしいが……」
「なるほど……。そもそもが、産地も年代も分からないようなものではあったんですが、他国から流れてきたものだとすれば、マギアで探しても見つからない理由も説明できますね」
「ともかく、今回の依頼は達成できたようで何よりだ」
「はい。王女様のお誘いを断って来たかいがありました」
「それは絶対にねえ」
「何にせよ俺にとっては大収穫でした。また何か頼むこともあるかもしれませんので、その時はよろしくお願いします。これが今回の報酬になります」
俺がランタノに布袋を渡すと、待ってましたとばかりに紐をほどき中身を確認する。そして「うっひょー、さっすがローレン! 太っ腹だぜ!」と歓声を上げた。
そう言えば王都に到着して数か月の頃、送り届けてもらった謝礼を渡そうとした際は「ガキがいらん気を回すんじゃねえ」と叱られた思い出があるが、俺が王宮で働き始めたと知ってからは全くそんなことも気にしなくなった。
無論、手間に応じた正当な対価だと思って支払っているので、喜んで受け取ってくれる分には全く問題ないのだが、俺としては別の心配が首をもたげてくる。
「……ランタノさん。お節介かもしれませんが、またギャンブルで溶かしてしまわないよう気を付けてくださいよ」
「!!」
俺がそう言うと、ランタノはぎくりと肩を震わせた後におそるおそる袋の中身をもう一度確認する。そして指を折って何か計算し始めた。
「アイツに銀貨5枚借りて……、アイツに負け分を払ってなくて……、あとは酒場の弁償代が1、2………………。あれ、ウソ……」
結局最後に残ったのは小指と薬指の2本だけ。
ランタノは己の指を、雨に濡れた子犬のように悲しげな表情で見降ろして、言葉を失っていた。
俺はため息をついてから「借りた分はちゃんと返して、これはまっとうなことに使ってください」と、布袋に銀貨を2枚付け加えたのだった。
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