第3話 お淑やかな訪問者
3年半前――、『魔法が使えない体質であった』と審問会で述べたことにより、俺は後日、王宮内関係者によりいささかの取り調べを受けることとなった。それはプテリュクスの枝についての学術的な興味の裏に、ダネル・モロゴロスが見せた奇跡との因果関係の確認したいという意味も含まれていたようだ。
結論から言えば、俺の説は無事に正式なものとして立証された。
その後、俺は詳しい文書の提出を求められたが、結局、極めて扱いの難しい懸案事項として秘密裏に処理され、国民たちにその事実が公表されることはなかった。しかし、プテリュクスという珍しい樹木からサンプルを得るためにナラザリオへ人員が派遣されたらしいことを考えれば、ドーソンあたりは何か勘付いているかもしれないと思っていた。
とはいえ、今や王都の貴族地区に居を構え、ヨルク第一王子に取り立てられているのだから迂闊に手は出せないはずである。
だからこそ、現に今俺はこうして生き延びているのだろう。
しかし変に名前が広まりすぎることもまた不本意だったので、風、火、土魔法を扱えるようになった事実は、限られた相手にしか明かさないことにした。
肩書は氷魔法、およびプテリュクスの枝の発見者だけで十分。これにさらに五属性の魔法適性を得た事を付け加えれば、一周回って不信感を招きかねない。
俺はあらゆる意味でこの世界におけるイレギュラーであると、自覚する必要があった。
○
この研究室を得たことによる利点の一つに、正確な統計情報の収集が出来るようになったことがあげられる。
例えば就学率――、この国の人々はどの程度の割合が、どの程度のレベルの魔術教育を受けているのか。
例えば識字率――、仮に俺の研究を今後世に広めたいと考えた際に、人々が文字を読めなければ伝える方法が限定される。
例えば、魔法属性の比率、地域による偏り方――、この世界では6属性が同列のものとして扱われているが、適正者の多い魔法と少ない魔法があることは明白だ。
これらの情報は、ナラザリオの一室で研究を進めていたのでは到底手にし得なかった。得られたとしてもせいぜい情報元が不確かなものか、ナラザリオ領内のデータを取るのが関の山だったろう。
それが、魔術研究室室長の権限で国民の戸籍情報を開示してもらえただけでなく、各地に駐屯する騎士団の協力を仰いで新たな統計を取ってもらうことも可能になった。
インターネットは勿論として、馬車以上の移動手段も手紙以上の通信手段もないこの世界。目的の情報を集めるのにも、時間と労力と費用が莫大にかかる。
ヨルクは最初、この調査活動の実施に難色を示した。しかし、新たな魔術の可能性を探るには現在の魔術の在り方を知る必要があるとしつこく説得し、この国の歴史において恐らくもっとも大規模かつ広範囲な実態調査が開始されたのである。
無論、正確性は100パーセントには程遠いが、参照するデータは多いほどよいに決まっている。集められた情報を各地の騎士団員たちに集計してもらい、最終的に俺たちが取りまとめる。それが当研究室の主だった仕事の一つとなった。
〇
「ローレン殿、魔法属性が地域性と密接に結びついているという通説は、統計的に見ても立証されたと言ってよいようですな」
マリオロークがそう言いながら、小さな数字が無数に書き込まれた地図を指す。
「港町パーロは水魔法適正者多し……、領内に広く森林部を有するアカダモは土属性と風属性多し……。なるほど、面白いように当てはまってますね」
「赤ん坊の折に、見て、聞いて、触れる機会の多い属性。それがこの偏りを生む一つの要因であるという推論を私も支持しますよ。これでもまだ、マギア王国全域の統計には程遠いですが、既にある情報について、まとめ始めてもよいのではありませんか?」
研究室内には俺とマリオロークの二人、テルビーは事務手続きの為に席を外している。俺は椅子の背もたれに寄りかかり、腕組みをしながら唸った。
「うーむ、そうですね……。地域ごとの偏りについてはさておいても、王国全体の数字は同じ比率に収束し始めているようなので…………」
精霊教会が全ての属性を等しく取り扱っているがゆえに、人々は世界の中には各属性の魔法が均等に存在しているものと思い込んで生きていた。
魔法属性に偏りがあるように見えても大概の場合は偶然で説明がつき、人々はそれ以上考えることをしてこなかったのである。
壁に貼られた大きな一枚地図を眺めながら、マリオロークが言う。
「適正者の多い属性順に、風、水、土、光、火、闇。各地から人々が集う王都の調査結果と合致する事から考えても、順位がこの先大きく変動することはないでしょうな」
「王国騎士団内の割合とも合致するんでしたね」
「左様。風と水が多く、火と闇が少ない傾向にあるという認識自体は長くありましたが、それは火や闇魔法を扱う難易度故に、優れた人材が現れにくいのだと考えておりました。今にして思えば、どうしてそれで納得していたのかという思いですが……」
やや自嘲めいた風にマリオロークは額を撫でた。
「人1人から見える世界など、元々たかが知れているという事ですね。あるいは不思議に思ったとしても確かめる術がなく、無意識に諦めていたのかもしれません」
「確かに、第一王子の名を借りて行っても数年かかる膨大な作業量。こんなことをしようと思い立つ変わり者も、それだけの実行力を持つ者も、今まではいなかったのでしょう」
「しかし、情報を集めてようやくスタートラインです。重要なのはあらゆる角度から事実を見てみること。しかも繰り返し、しつこいくらいにです。今俺たちの手元にある情報も所詮は一角度に過ぎない訳ですから」
そう、俺に分かるのはあくまで俺に見える範囲内の事象だけだ。
現時点で俺の立てている推論が実は全くの筋違いという可能性も大いにある。これまでの魔法の真実が全て精霊信仰に基づいていて、それを俺が打ち壊したように、俺の説も将来はより精度の高い真実に塗り替えられていくかもしれないし、むしろそれでよいのだ。
ただ、長い目で魔術研究について考えた時、今こうして情報を多く集めていることは有意義なものに違いない。
マリオロークは口元を結んで深く頷いた。
「そのあくまで謙虚な姿勢、見習わなければなりませんな」
「科学に終わりはありませんからね。とにかくマリオローク様のおっしゃる通り、魔法属性の割合については全体的な数値を出していった方がよさそうです。風属性魔法が全体のおよそ20%強を占めているのに対して闇属性は5%程度であること、この差の意味するところも――――」
――バンッ!!
「ローレン先生はいらっしゃいますか!? あ、間違えた、ノックが先だぁ!」
台詞をさえぎるように、人影が研究室に飛び込んできたので、俺とマリオロークは驚いた。勢いよく入ってきすぎてつんのめりそうになっているのは、よく見知った青色の髪の少女――、ルフリーネだった。
ルフリーネはつま先立ちでバランスを取った後、自身に冷ややかな視線が向けられていることに気付き、気まずそうに顔を上げた。
「……え、えーと、ノックからやり直した方がいい……?」
「いつも言ってるだろ、ルフリーネ……。俺はともかく、お偉方が来てることもあるんだから気を付けなさいって。すみません、マリオローク様」
「いえいえ、元気でよろしいと私は思いますよ」
マリオロークは孫に向けるような微笑みを浮かべながら、客用の椅子を一つ引っ張り出してくる。ルフリーネはその椅子にちょこんと座って頭を掻いた。
「また失敗しちゃった。もっとこうお淑やかに、ふわぁって感じで花をまとって登場するつもりだったんだけど」
「ならまず、助走つけて入ってくるのをやめろ」
「おかしいなあ、マナーのお勉強の時はちゃんと出来るのに」
ルフリーネは心底不思議そうに首を傾げる。
俺は3年半前に比べてすっかり身長の伸びた少女に、苦笑を漏らした。
ルフリーネ・ジスレッティ。
現在9歳、青色の髪を揺らす彼女は、かつて俺がダミアンの元で魔術教室の臨時講師を務めていた頃、教室の中で最年少だった教え子である。
教え子と言っても、場所が場所だけに皆お偉いどころのご子息ばかり。ルフリーネもその例にもれず、アンドレフ・ジスレッティ公爵の孫娘というどえらい肩書を持っていた。
彼女の授業を受け持ったのはたかだか数か月という短い期間だったが、ルフリーネは特別よく俺に懐いてくれ、王宮で働き始めて以降もこうして頻繁に顔を見せてくれている。
見るたびに身長が伸びている気がするのだが、おてんばな内面はそうそう簡単に変わらないらしい。
ともあれ――、
「まだ午前のこんな時間に来るなんて珍しいな、何か用があったのか?」
俺が飲み物を用意してやりながらそう尋ねると、ルフリーネはハッと驚いたように手を叩く。
「そうだった! ローレン先生を呼びに来たんだった!」
「呼びに来た?」
ルフリーネは俺からカップを受け取りながら、ニッコリと頷く。
「リーキースさんがね、ローレン先生に迎えをやるって言ってたから、じゃあ私が行きますってお使いを頼まれたの。先生、今日演習場で授業するんでしょ?」
俺はしばし何のことだろうと考えてから、ようやく「やべ、めっちゃ忘れてた!」と声を上げたのだった。
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