第33話 英雄になる権利


一晩が明けた。

いや、明けたどころではない。目が覚めたらすっかり日は上り切り、もう昼近くだ。


眠りについた時間を考えれば、たっぷり12時間は熟睡していたらしい。

その間は夢さえも見なかったので、やはり疲れていたのだなと自覚する。

しかし気兼ねなくたっぷり眠れたおかげで、頭は随分冴えていた。


俺は頭を掻きながら、ベッドから起き上がる。

上着を着替えて、窓際に歩み寄ると暖かな陽光が身を包む。振り返れば見慣れた私室、こうしていると昨日までの事の方が夢だったような気さえする。

しかし残念ながら、俺の最終審問は明後日へと差し迫っているという、目をそむけたくなる事実が依然としてのしかかっていた。

と、


コンコン――。


見計らったようにドアが小さくノックされる。

俺が「はい」と返事をすると、返ってきたのはマドレーヌの声だった。


「お目覚めでございましたか、ローレン様」


「はい、ちょうど起きた所です。相変わらず、見計らったかのようなタイミングで……。え、監視カメラとかついてないですよね?」


「カンシカメラ? 申し訳ございません、何のことか分かりかねますが、長くこの職に就いておりますと、ある程度タイミングが分かるようになるのですわ。

さておき、お渡ししたいものがございますので、鍵を開けていただいてもよろしいでしょうか」


「あ、はい。……渡したいもの?」


俺は急いでドアの鍵を開ける。

ドアの向こうのマドレーヌが持っていたのは、一冊の本だった。


「保管していたこれを、お渡ししておこうと思いまして」


「これって…………。ああ、象騒動の時に持って帰った本、預けていたんでしたっけ」


「書庫で保管しておりましたが、持ち主がお越しになられたようですので」


俺は一瞬マドレーヌが誰の事を言っているのか分からなかったが、すぐに意味を理解する。


「――そうか、すっかり忘れてました。

あれ、でもそれなら俺じゃなくて直接ダネルに渡した方が……、そう言えばダネルは今どこに?」


「一階の客室にてお休みいただいております。一度声はお掛けしたのですが、まだ部屋の外には出て来られないようですわ」


「……そう、ですか。ひょっとすると、勝手に部屋から出ることに抵抗があるのかな……」


「その辺りの事情もございますし、何より拾い主がお渡しするのが筋かと思いまして。

よいと仰られるのであれば、私からお返しいたしますけれど」


マドレーヌはそう言って、本を少しひっこめる素振りをする。

俺は首を振ってから、本を受け取った。


「いえ、俺が返します。ダネルとは話したいこと……、話さなければいけないことがありますしね」


「それがよろしいかと存じます。朝食の用意も出来ておりますので、お話が終わりましたら一緒に食堂までいらしてください」


「分かりました」



俺は一度机に戻り、引き出しから必要なものを取り出して、ダネルの部屋へと向かった。ダネルの部屋は俺の部屋のちょうど真下、中庭のすぐ目の前らしい。

俺は扉の前で少し頭を整理してから、意を決してドアをノックした。


「ダネル、起きてるか?」


「――――! は、はいっ。あの、ええと、起きてます……!」


「入ってもいいか?」


「ど、どどどど、どうぞ。あ、そっか、鍵を開けないといけないですね。少し待ってください…………、あいてっ!」


扉の向こう側からドタドタと慌ただしい音が聞こえ、しばらくしてから鍵が開かれる。ドアを開いたダネルは、おずおずとした様子で俺を見上げた。


昨晩の話によれば、亡き者として存在自体を隠匿されていて、そもそも聖堂の外へ出てくること自体が生まれて初めてだというダネル。

その初めての外出で、よく話も分からないままにカイルに連れて来られ、挙句知らない家で一晩を過ごしたというのだから、帰ったときの事を考えれば不安になるのも当然。


無論こちらからしても、教皇の隠し孫だという少年を秘密裏に匿っていることは大問題。いつまでもという訳にはいかない。

だからこそ、俺とダネルは今ここで話をしておかなければならない。

それは俺の為でもあり、ダネルの為でもあった。


俺は部屋に入り、椅子に腰かけた。


「まずはこれを返しておこう。君の本なんだろう?」


「!」


俺が取り出した本を見て、ダネルの目が輝く。

ダネルは本を受け取ると、大切そうに抱きかかえた。


「あ、ありがとうございます……! 

本当に、本当に大事なものだったんです。別の新しい本を買えばいいようなものじゃなくて……、このままなくなったらどうしようかと思ってました……」


「俺も持ち主に返すことが出来てよかった。

しかしあの時――、何でテラスからこの本と一緒に落ちてきたんだ?」


俺がそう問うと、ダネルは困ったような、もしくは少し恥ずかしがるような表情で笑う。


「あの日、あそこにいたということは、騒動についてもご存じですよね」


「ああ、勿論」


俺は頷く。さすがに象を取り押さえるために王女と……、とまでは言わない。


「ちょうどカイルと一緒に遊んでいた時だったんですけど……、せ、聖堂の外ですごい音がして、思わずテラスに外を見に行ったんです。そしたらちょうど建物が大きく揺れて、持っていた本を落としてしまって……」


「それを取ろうと手を伸ばして、バランスを崩したのか?」


「えっと、自分でも何であんなことをしたのかよく覚えていないんです……。そのくらい夢中で、カイルが止めるのも聞かずに、手すりから身を乗り出しちゃったんだと思います。

後でカイルやほかの大人たちからとっても怒られました。普通なら骨が折れるどころじゃなく、死んでいてもおかしくなかったって……。だから、ローレンさんにはすごく感謝しています。ずっとお礼を言いたいと思ってました」


「俺としてはたまたまあそこに居合わせただけで、君を助けることが出来たのも偶然だった。こんな言い方をするとなんだが、本当に運がよかったんだな」


「…………」


ダネルは唇を噛み、考え込むように俯く。

本を強く抱きしめるダネルの体は、小さく震えていた。


「自分が落ちてるんだって分かった時……、何て言うんでしょう、その、いろんな思い出がバーッて頭の中に流れて、時間の流れがゆっくりになって」


「……走馬灯、というやつかもしれないな」


「そう、だったかもしれません。僕はあの時「あ、ここで死ぬんだ」って思いました。でも、不思議と怖くはなかった。僕は今までずっと聖堂の外に出ることが出来なかった。その言いつけを破って外に出てしまった。だから死ぬんだって、なんだか納得しちゃったんです。なら仕方ないのかなって……」


ダネルはそう言ってから、馬鹿馬鹿しいでしょう? という風に悲しげに笑う。

それは9歳の少年が浮かべ得るような表情には見えなかった。

彼は外の世界を知らない。だけど決して無知ではない。本の中から、外から来た人間の中から世界の事を知って、その上で諦めきってしまっていたのだ。

その異常性を、絞り出すように言葉を紡ぐ少年からひしひしと感じる。


この少年を救ってやりたいなどと、会ったばかりの俺が言うべきではないことは分かっている。それは傲慢と言うものだろう。

だが、ダネルやカイルが救いを求めてここへやってきた事は分かる。

一度裏切られた大人という存在に、もう一度縋らざるを得なかった事――――。

それを思うと否が応にも、父や母にいないものとして扱われていた過去の自分と重ねてしまう。


俺は言う。



「でも――――、こうして今、君は生きている。

言いつけを破って聖堂を抜け出しても、天罰なんかどこにも下っちゃいない」


「――――!」


俺がそう言うと、ダネルは驚いたように目を丸くした。


「……その本、少し読ませてもらった。

英雄が魔法と剣で戦いながら冒険していく話だ。俺も昔はそういうのをよく読んでた。憧れるよな、強くて誰にも負けない主人公。

でもダネルはどうして、その本だけを大切に繰り返し読んでるんだ?」


「……ど、どうして……? それは、だってその、カ、カッコいいから……?」


「それだけか?」


俺が改めて問い直すと、ダネルは抱きかかえていた本を見下ろし、タイトルの箇所を指でそっとなぞった。

そして、息を大きく吸ってから言う。


「な、なりたいから……。僕も、この本の英雄みたいになりたいって思ったからです……。でも、これは物語だから……、現実はそんな風にうまくはいかないんですけど……」


震えるダネルの手に、俺は手を重ねた。


「英雄になる権利は誰でも持ってる。

それは誰からも奪われてはいけないものだと、俺は思う。

憧れを憧れのまま終わらせる必要なんてない。

死んでも仕方ないなんて、もう絶対に言うな。

だってカイルは君を助け出そうと、あんなにも必死だったじゃないか」


「英雄になれる、権利……?」


「ああ」


「…………い、今からでも、僕は英雄になれるんでしょうか……。誰かの話を聞いて、それを羨ましいと思うだけじゃなくて、僕自身が……」


俺とダネルは同じだ。

立場と境遇が多少違うだけである。

だからこそこんなにも、ダネルを放っておけないと思うのだろう。

ただ、俺には16年間、望んでいた言葉を言ってくれる誰かがいなかった。ならば俺はその誰かになってあげたいと思う。


「なれるさ。君がなりたいと思えばな」


俺は胸元の水晶を指で軽く弾いた。

すると、水色の紐状生物がくるくると螺旋を描きながら浮かんでくる。



「――――まったくもう~。僕には頼らないように善処するって言ったばっかりなのに、困っちゃうなあ。ロニーったら僕がついてなくちゃ、てんで駄目なんだもんなぁ~」





「――――来たか、カイル」


俺が部屋に入ると、父が机に肘をついて睨んでいる。

ローレンが解放されてから丸一日以上、すっかり夜も更けてから帰ってきた父の顔は、ひどく荒んでしまっていた。眉間には深いしわが寄り、目の下にはうっすらと隈が浮かぶ。

審問会の跡片付けで今の今まで休む暇もなかったのだろうことが窺えた。


「…………父様、話っていうのは何?」


「かなり面倒なことになった。例のお前のところの臨時講師についてだ」


「面倒な事?」


父は苛立たしげに、舌打ちをする。

しかし、とりあえずダネルを連れ出したことで責められる様子はない。黙って教会に行っていたこと自体、バレてはいないようだった。


「2日後、ローレン・ハートレイの最終審問が行われる事になった。

王宮の連中まで顔を出す大規模なものだ。そこに、お前にも招集がかかったのだ」


「…………お、俺に……?」


俺は驚いた振りをするが、内心では納得する。

昨日ダネルを預けて帰るときに、ダミアン先生が『またすぐに顔を合わせる事になるだろう。残念だがその時は対立する事になるが――』と言っていたのだ。


「参考人としてお前の出廷を要請して来ている。ローレン・ハートレイの例の資料をお前が部屋から盗み出した件について、あちら側はお前が犯人だと確信しているということだろう。腹立たしいことだが、無視するわけにもいかない」


「…………その通りだって、証言すればいいの?」


俺がそう尋ねると、父の顔が途端に険しくなり、驚くような大声を上げた。


「馬鹿者!! そんな事を審問会で証言してみろ!! 一生盗人のレッテルが貼られたまま生きる事になるんだぞ……ッ!!」


「――――」


俺はその剣幕に、言葉が出ない。

父は荒々しく椅子から立ち上がり、ずんずんと俺の目の前まで歩み寄ってきて言った。


「お前には将来がある。こんな所で傷をつけるわけにはいかん。いいか、お前はあの資料については何も知らない。ただ、魔術教室の講師が怪しげな魔術の話をすることを不審に思い、私に報告したと言う事にするんだ」


「――だ、だって、実際にあの資料を盗んだのは俺だよ……!? う、嘘を証言しろって言ってるの?」


「向こう側とて証拠がある訳ではない。お前が魔術教室の生徒で、精霊教会側の人間だからそう言ってきているだけだ。いいか、カイル。事実は後からいくらでも捻じ曲げられる。

あの資料はお前からの報告により、私が調査をさせて存在が判明したものだと言う事にする。資料を押収したのはローレン・ハートレイの身柄を確保した時だ。だからお前は今回のことには、一切関与していない。よく分からないし、間違っても盗んでなどいないと堂々と証言すればいい。あとは私がなんとかする」


父は俺の肩を掴み、額がくっつくほどに顔を近づけて言う。


言っている内容が無茶苦茶だということは、俺にだって分かった。

しかし父の目は鬼気迫っていて、俺の反論など求めてはいない。


「繰り返せ、『私は誓って、資料を盗み出してはいません。父に授業についての話をしただけです』と」


「そ、そんな、でも――――」


バチンッ!!


俺が首を振りかけた瞬間、頬が激しく叩かれる。痛みに視界が一瞬真っ白になった。

俺が睨み返すと、父は今度は俺の体を引き寄せて、抱きしめる。

そして涙声で俺に語りかけた。


「……分かってくれ、これは全てお前を守るためのことだ。もしお前がそう証言すれば、お前に盗人というレッテルが貼られることもなく、教会全体を助けることにもなる。これは嘘ではない。精霊を冒涜しようという連中を退けるための、意味ある証言なのだ。

いいか、カイル。私はひとえにお前のことを思い、お前を守るために言っている。

……頼む、私にはお前が全てなのだ。お前を失ったら、私にはもう何も残らない。

今は分からないかもしれない。だが、いずれ分かる。私の行いが全てお前のためだったということを。私は親として、お前を守る義務がある。お前は優秀だ、勉強もそつなくこなし、魔術の将来性もある。お前には輝かしい未来が待っている。そしてゆくゆくは、精霊教会の幹部として、皆を率いていくという偉大な使命がある。

その過程で、あのローレン・ハートレイという存在など路傍の石に過ぎない。あのような若造のためにお前の人生を棒に振る必要はない。分かるだろう? もしここで下手な証言をすれば、教会全体の威信が揺らぎかねない。そうしたらお前だけでなく、私や、教皇様や、ダネル様の立場さえ危うくなるかもしれない。

お前の勇気ある発言が、みんなを救うんだ。お前は私の誇らしい息子。なあ、カイル。私はお前を愛している。お前も、そうだろう? なあ――――?」


改めて間近から俺を覗く父の目は、今まで見たことのないものだった。

それは俺を見ているようで、俺の向こうの別の何かを見ているようでもある。もし俺が今回の父の言いつけに従わなかった場合、一体どうなってしまうのだろうと、俺の全身を恐怖が包む。


真実を言うか、嘘を言うか。

俺は今、ローレンと実の父親を天秤にかけているのかと、いまさらのように気づいたのだった。





2日後、場所は精霊教会、審問会場にて――――。

最終審問会が開廷した。

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