第34話 最終審問開始



「――――これより、ヨルク・M・バーウィッチの名の下に、ローレン・ハートレイへの審問会を執り行う」



審問会場に、聞く者の背筋を正すような明瞭な声が響く。

国民ならば誰しもがその名を聞いたことがあるはずのヨルク第一王子は、噂に違わぬ金髪長身の美男子だった。緊張感の張り詰める会場にありながらも圧倒的な存在感を放っており、まるでそこだけスポットライトが当たっているかのようにさえ見える。


そしてその背後には、精霊教会のトップたるネロ・モロゴロス教皇が座っている。

また上段の端の席にはシャローズ、俺のすぐ背後の席にはダミアンの姿がある。冷静に考えて、ここまでの人物たちが一堂に会する機会というのはそうそうないだろう。

その全員が会場の真ん中に立たされている俺へ視線を注いでいるというのだから、正直言ってストレスで胃が口から出てきそうだった。


ヨルクの影響か、審問会場を包む雰囲気も先日のそれとはまるで別物だ。

精霊教会側の人間は皆一様に表情を固くし、審問会の成り行きを窺っていた。


「まずは、このような場が設けられた経緯を述べておく。

そもそもは、精霊教会がローレン・ハートレイへの不当な審問会を行なっているという密告がダミアン・ハートレイ魔術師からあり、事実確認の必要を認めたものである。……改めて、この申し立てに間違いはないだろうか」


ヨルクが言葉を投げかけると、背後のダミアンが立ち上がった。


「はい。我が庇護下にあったローレン・ハートレイが、屋敷へ侵入してきた教会員によって半強制的に身柄を拘束されたこと。また、一方的な審問会が開かれ、結果的にその身に危険が及んだことを主張します」


「うむ。では、それを受けての精霊教会側の立場も、ここで明言してもらおう」


ヨルクが教会陣営に目線を向けると、一人の男が立ちあがる。

一目ですぐ「カイルの親父さんだ」と分かった。少しきつい目元がそっくりだ。確か、ドイル・フーゴ―という名の司教だったはずである。


ドイル司教は、ヨルク王子の質問に対して大袈裟にかぶりを振り、こう答えた。


「申し訳ございませんが、ダミアン殿のおっしゃられる『不当な審問会』というところにつきまして、教会側としては認知しておりません」


「認知、していない……?」


ダミアンは表情で異議を示すが、ドイルは馬鹿にしたような笑みを浮かべたまま続ける。


「確かにローレン・ハートレイに、精霊への冒涜の嫌疑があがっていたことは事実です。しかし、我々が行ったのはあくまで事情聴取というもの。審問会が執り行われたなどという事実はなく、記録も一切残っておりません。ひょっとしますと何か、認識の相違があったのかもしれませんな」


「……ローレンを殺そうとまでしておいてよく言えたものだ……。いっそ感心する」


「おっと、お気をつけください、教皇様の御前です。あまり物騒なことをおっしゃられると、今度は貴女が冒涜の謗りを受けかねません。もっとも、この場でそれを判断されるのはヨルク様ですが……」


名を呼ばれたヨルクは、その美しい顔に眉根を寄せ、少し困ったように息を吐いてから言った。


「残念ながら――――、王宮側の事前検分では、告発にあったような不当な審問会が行われた旨の資料は見つからなかったようである……。押収されたのはあくまで、事情聴取でのやりとりが記された資料のみだ」


「……恐れ多くもお聞かせいただきたいのですが、その検分というのは如何様に行われたものでしょうか」


「書状の通達と同時に、王宮の人間が調査を行った。その時に提出されたものだと聞いている」


それを聞いたダミアンは表情を歪め、苦々しく呟いた。


「…………なるほど、仕事の早いことだ……。あるいは――――」


その『あるいは』という部分にはひょっとすると、調査に入った者の中に教会側の人間がいた可能性が含まれていたかもしれない。しかし公の場において、憶測で発言をする訳にもいかず、ダミアンはその先の言葉を飲み込んだ。

ドイルは不敵に微笑んで言った。


「そちらがどのような疑いを仰ろうとも、我々には恥ずるべきところはございません。それとも、そのような審問会が行われたという明確な証拠でもお持ちなのでしょうか?」


「あいにく頼み込んでも、聖堂の中には入れていただけなかったものでね。しかし、その時教会員は確かに「ローレン・ハートレイの審問会が行われている、加えて教皇が参席している」と発言していましたが?」


「……さて、どの教会員でしょう。特徴などはお分かりになられますかな? 名前は?」


「銀髪でにやけ面の細長い男だ」


「さあ、それだけでは何とも……。何せ当教会は膨大な数の信徒をかかえておりますので……」


「…………」


ダミアンはとぼけ顔のドイルを鋭く見上げるが、この問答を続けても無意味らしいことを悟って、それ以上の反論をしなかった。


ダミアンや俺とて精霊教会がある程度の証拠隠滅を図ってくるだろうことは覚悟していた。この世界には録音機器も写真技術も存在せず、あるのは紙に文字が記された事後記録のみ。それでなくても精霊教会というのは扱いが異質な閉鎖的組織である。まさか審問会自体を無かったことにしてくるとは思わなかったが、悔しいかな、それが虚偽だと客観的に立証する術はない。教会側の人間が証言でもしない限りは。


睨み合うこちら側と教会側を、しばし眺めていたヨルクが言う。


「審問会の有無はさておき、此度の問題のきっかけたる研究資料については、一応目を通させてもらった」


そこでふと、ヨルクの鷹のように大きく鋭い瞳が俺を射抜く。


「『魔法物理学基礎』と題された、数十枚にも及ぶこの研究資料。

これは全て其の方によって作成されたものということで間違いないか――、ローレン・ハートレイ」


「……はい、間違いありません」


「ふむ……。語るべき部分は無数にあるが、先に私の所感を述べておくと、だ……」


ヨルクは手元に目線を落とした。そして悩ましげに、顎を指でさする。

俺だけではない、教会側の人間もダミアンやシャローズも、ヨルクが例の資料に対して何と言うのかを、固唾を飲んで待っていた。

この一言がこれから行われる審問会の行方を示唆するものだと、皆が理解していたからである。


ヨルクはその双眸をわずかに細める。


「…………俄かには受け入れがたいものであった。

今までの魔術研究とは明らかに色を異にしており、精霊教会側が問題視したこともむべなるかなという印象である。この研究内容が一般に普及すれば、どう転んでも混乱を招くだろう」


その言葉を聞いて教会側の人間が一斉に口角をあげる。

だが、少し間をおいてからヨルクはこう続けた。


「しかし、氷魔法と言うものの実在については、既に立証済みであるという。

これについてはとても興味深く思う。私としても一度見てみたいのだが、どうか」


「――――は、はい。では……」


俺はヨルクが求めるまま、氷魔法を手元に生み出して見せる。

主に後ろ側の席からどよめきが起こった。ヨルクも身を乗り出し、興味深げに氷の球が宙に浮かぶ様を見つめて、驚きの表情を浮かべていた。


「……氷魔法と言うものは、長らく空想上のものかと思っていたが、これは……」


俺がいつまで浮かべて見せればいいのだろうと思い始めた時、言葉を発したのはドイルだった。


「氷魔法の存在については、確かに我々も驚きました。

水魔法の発展型として新たな魔術の可能性が示唆されたことについては認めます。しかしそれでも――、結果に至るまでの精霊の存在を否定するかのような思想、既存の魔術の枠組みを壊すような考え方については断固として認めるわけには参りません。研究資料については没収をし、然るべき魔術研究家に検証をさせるべきであり、またその研究活動を容認していたダミアン・ハートレイ女史についても責任の一端を追求するべきだと主張します」


ドイルは身振りで、俺に魔法を取り下げるように指示をする。

それを受け、背後のダミアンが勢いよく立ち上がった。


「確かに彼の研究については、前々から把握していました。彼の魔術研究の信憑性についてはご覧いただいた通りだと考えます。しかし、此度のような問題が起きているように、一部反発を招きかねないと判断し、公にするタイミングについては慎重を期していたのです。今回の一番大きな問題は、教会側が過ぎた介入を行い、一方的な審問会の末にあまつさえローレンごと研究内容を葬り去ろうとした事にあります」


「発言内容にはお気を付けいただきたい。

先ほど説明があった通り、そもそも審問会が行われた事自体が誤りなのです。我々はあくまで精霊に仕える身として、危険思想の有無を判断すべく、正当な事実確認を行っただけです。我々が越権行為を行った、ましてやローレン・ハートレイに手を下そうとしたなどというのは、根拠のない被害妄想です」


「被害妄想? ではローレンの私的な資料があなた方の手に渡っている事については、どう弁明されるおつもりか」


「正当な手続きの元、調査のために預かったものです」


「正当な、手続き……?」


ダミアンがドイルの開き直った物言いに、不快気に目を細める。


「ヨルク様、ローレン・ハートレイの資料を預かった件については、提出された書状にある通りでございます」


「――――ふむ」


ヨルクが横の係員に目線を向けると、一枚の書状が手渡された。ヨルクは書状に軽く目を通してから、ダミアンをちらりと見る。


「教会側から提出されたこの書状には、ローレン・ハートレイの研究資料について、詳細の確認のために提出を求める旨。精霊教会からの呼び出しに応じるかどうか、同意を求める旨が記載されている。……サインもされているようだが」


「――――サイン?」


「ああ、ローレン・ハートレイとな。双方の意見には行き違いがあるように思う。本人の意見を聞こう」


書類の隠滅の次はこれか……、と俺はため息を吐きながら事実のみを述べる。


「……そのようなサインをした覚えはありません。書状の内容も、こちらの意志を確認するようなものではなく、精霊教会本部へ来なければ即刻異端者として処罰するというものでした。そもそも、研究資料は書状を提示される以前に持ち出されていました。

その書状は偽物です」


ドイルは俺の発言に対しても怯む様子はなく、大きく鼻を鳴らした。


「ハッ! 我々が資料を捏造したと!? ヨルク様、精霊様に誓ってそのようなことはありません。我々としては、彼らが言われのない事実をでっち上げようとしているようにしか見えませんな」


あまりにも清々しい開き直りっぷりに、俺とダミアンはいよいよ閉口する。

とんでもない面の皮の厚さだ。彼らが至高と掲げるはずの精霊に対して、嘘を誓っても恥じる様子がない。プライドも何もあったものではない、もはや言ったもんがちの何でもありじゃないか。


暴走するドイルの弁舌は止まらない。彼は攻撃の矛先をダミアンへと向け直した。


「ここまで事を大袈裟にして……、ひょっとするとダミアン殿は、我々の権威の失墜を目論んでいるのではありませんか? そうすると筋が通ります」


「……私が、何を目論んでいると? 何にどう筋が通ると言っておられるのでしょう?」


「ダミアン殿の魔術の腕については言わずもがなです。しかし反面、精霊教会の活動には非協力的だったという意見を耳にしました。王宮と教会の関係拡大についても懐疑的であったとか……。信頼して息子を預けていた身としては、非常に残念な風説ですが…………、ローレン・ハートレイの研究を匿っていたことも然り、前々からこのような思想を抱いておられ、此度の事情聴取をここぞとばかりに問題に仕立て上げようとなさったのではありませんか?」


「精霊教会側の権力拡大について賛成ではなかったことは認めましょう。しかしその事と今回の事は全くの別問題。自分達のした事を隠すのみならず、問題をすり替えようとしておられるその態度は、不愉快と言わざるを得ません」


「不愉快なのはこちらです。いいですか? ダミアン殿の仰られるような事実があった証拠は、今この場のどこにもないのですよ。

ヨルク様……、お分かりでしょう? ダミアン殿はヨルク様からの信頼を笠に着て、我々を不当に陥れようとしております」


「…………」


ダミアンとの舌戦に熱を帯び前のめりになっていたドイルは、ヨルクの方を振り返る。

ヨルクは渋面を作り、言葉を選ぶように言った。


「……私には、どちらが真実を述べているのか分からない。

ダミアンとは兼ねてからの付き合いもあり、申告について問題ありと判断はしたが、目に見える資料に関しては精霊教会側の発言を裏付けている。提出された資料が捏造である可能性は正直考えたくない。それは長い間培われてきた精霊教会と王宮の関係性を瓦解させかねないからだ。――――ネロ教皇、あなたのお考えを一度お伺いしたいと思いますが」


ヨルクがそう言うと、審問会場にいる者全ての目線が上段の奥へと注がれる。

長い沈黙ののち、かすれた囁き声が聞こえてきた。


「…………此度のローレン・ハートレイへの事情聴取については、儂の預かり知るところではない。全てはドイル司教に任せてある。ドイル司教の発言が、精霊教会の正式な意見である」


「…………」


それを聞いたヨルクの顔はますます苦々しいものになる。

ダミアンの友人としての立場、精霊教会と関係を築いてきた王子としての立場の間で揺らいでいるのだろうことが窺えた。

ダミアンの申告の通りに精霊教会が虚偽の資料を作り上げ、不当な審問会を開いていたとしても問題。教会側の発言の通り、ダミアンが教会側を貶めようとしているとしても問題。どちらかを信じればどちらかを疑うことになる。

教皇も発言を避け、その裁定が自分次第という今の状況は、ヨルクからすればとんだ厄介ごとに巻き込まれたものだという心境だろう。

しかし事態はどちらかが誤りを認めなければ収まりがつかないところまで来ている。



ヨルクは質疑応答の時間を設けるように命じ、一度横に座っていた臣下に進行を委ねた。


だが、話し合いはますます平行線の様相を強め、もはや精霊教会側はダミアンが精霊教会を転覆させようとしているという陰謀論めいた論筋を繰り返すばかり。

無意味な時間だけがただ浪費されていった。


俺はこの状況を俯瞰的に見て首を傾げる。

こんな茶番は王族まで招いておいて行うものではない。

文書の真偽はもはや誰にも判別がつかず、あることないこと思いついたままに言いたい放題。それはなりふり構っていない分、精霊教会側の意見が優勢に傾いているようにさえ見えた。


俺はいい加減うんざりして、ダミアンを振り返った。ダミアンもちょうど同じことを考えていたようで、深くため息をついてから言う。


「……こんな事を続けていても、意味があるとは思えません。

そもそもの食い違いの部分、魔術資料が持ち出されたのか、任意で譲り渡したのかについてはっきりさせておきたい。ここで、申告していた通り、証人の召喚を要請します」


「分かりました」


ヨルクから進行を任された代理の審問官がダミアンの要求を認めると、会場横の扉から係員に連れられた少年が入廷してきて、俺の立っていた場所と入れ替わりになる。


「――――証人、名前を述べなさい」


審問官が形式的に問う。


「……カイル・フーゴー、です」


そう答えるカイルだが、俺からは表情はよく見えない。


そこでかわりに、上段のドイルがカイルへ、真っ直ぐに視線を向けていることに気づいてぎょっとした。その表情が先ほどまで舌鋒鋭く捲し立てていた時のものと、余りに変わっていたからだ。それは息子が審問会場に名指しで召喚されたことへの不服を物語っているようでもあり、カイルに無言で何かを訴えかけているようでもあり、責めているようでも、懇願しているようでもあった。


俺は緊張に震える背中を見つめ、3日前の彼の言葉を信じることしか出来なかった。

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