第31話 罪と理由
「あー……、さっぱりした。
風呂は命の洗濯っていうけど、ホントだよなぁ……」
俺は湯船にたっぷりと浸かりながら、天井を見上げて言う。
湯が体の中まで染みわたり、とろけてしまいそうだ。正直いつまでもこうしていたいが、うっかりすると寝落ちてしまいそうになる。
俺は汚れと疲れをさっぱり洗い落とした所で、脱衣所への扉を開こうと立ち上がった。と――、その時、
「ローレン様」
「どわあ、ビックリした! マ、マドレーヌさん?」
「ご入浴中失礼いたしますわ。ダミアン様が急ぎお呼びなのですが、あとどのくらいお待ちするよう申し上げればよろしいでしょう」
「……ダミアン様が? えーと、ちょうど上がる所だったのですぐ行きますが」
「かしこまりました。ではそのようにお伝えいたします」
「しかし、急ぎですか? 審問会についての事は、ついさっき粗方話し終えたと思ったんですけど」
「実は新しくお客様がお見えなのです。ダミアン様をご指名ではありましたが、厳密にはきっとローレン様へのお客様かと」
「…………お客様? こんな時間に、しかも俺にですか?」
「さようでございます。
用意が出来ましたら、応接間までお越しください」
俺は眉を顰める。
そもそも俺がこの屋敷にあって、来客などというものはありえなかった。王都に来て数か月間、名と存在を伏せて研究活動に勤しんでいたからである。
確かに審問会で「俺はローレン・ハートレイです」と名乗りはした。しかし、それにしたって思い当たる相手がいない。唯一の心当たりと言えるシャローズは、ついさっき話を終えて王宮に戻ったばかりだ。
だとすれば、いよいよ誰だろうか?
首をかしげながらも手早く着替えを済ませ、俺は応接間へと向かった。
食事をとり、事情を説明し、風呂に入って、あとは寝るだけと思っていたので、どうしたって体は重い。寝る時間なら審問会の合間にもたっぷりあったが、精神的な疲れというものがある。
話の通じない老人たちから攻めたてられ、精霊教のトップとサシで対面し、ガラの悪い双子に殺されかけて――、疲れない方がどうかしているだろう。
本音を言えば、お客様には明日以降にまた出直していただきたいところだが……。
「失礼します。ダミアン様、お呼びで――――」
扉を開けた瞬間、部屋にいる全員の視線が突き刺さる。
同時に、俺への来客という言葉の意味を悟った。
応接間に備え付けられた向かい合わせのソファ、テーブルを挟んで手前側に座っているのは他でもない魔術教室の生徒の一人、カイル・フーゴーであった。
「カイル…………」
しかし見逃せないのは、その横にもう一人少年が座っていることである。
居心地が悪そうに身を強張らせる緑髪の少年は、少し怯えた表情で俺を見つめていた。
部屋の入り口で思わず足を止めた俺に、奥側に座るダミアンが言う。
「せっかく気兼ねなく休んでもらおうと言った矢先に、また呼び立ててしまって悪いな。ローレン」
「いえ……、それは構いませんが……、しかし何故今ここにカイルが……」
「それをこれから話してもらう。君に謝罪をしたいというのが、どうやら本心かららしいと判断し、一旦招き入れることにしたのだが」
「…………謝罪、ですか……」
「勿論、昨日今日の出来事についてだろう。まあ、とりあえずかけてくれ」
俺は手招かれるままに、彼女の横へと腰かけた。
ソファがぎしりと音を立て、向かい合う4人の間に何とも言えない沈黙が流れる。
向かいに座るカイルは、いつにもなく縮こまってまるで借りてきた子猫のようだ。
ひょっとすると、ここへ通されるまでにもひと悶着あったのかもしれない。
「――さて、招き入れはしたが、しかしここからの判断はローレンに任せようと思う。謝罪を受け取るべきは君だ。ローレンが、もとより謝罪など受け入れる気はないと言うのであれば、ご両人にはおとなしく教会へ帰っていただくが」
「そ、それは、少し意地の悪い言い方ですね……。
そんな言われ方をすれば、とりあえず事情を聞くとしか言えないのでは?」
俺はダミアンの言葉の裏側を読み取ったつもりでそう応えるが、しかしダミアンは大きく首を横に振って言った。
「いいや、そんな事はない。
言っておくが、今誰よりも怒っているのはこの私だ。ローレン、君よりも強くな。
……まず私は自分自身に怒っている。
此度の審問会において、私の庇護下にある君が教会側に身柄を拘束された事は、まごうことなき私の失態だった。君を一人にし、精霊教会の連中に不当な審問会を許したことを、私は深く悔いている。
しかしだ、事の発端が資料の盗難にあり、それさえなければこのような事態は起こらなかった事もまた、純然たる事実なのだ。
その資料を盗んだのが私の魔術教室の生徒の一人であり、今頃になって訪ねて来たというのだから、そりゃあ穏やかではいられないさ。なあ――――、カイル」
ダミアンは最後に一段声を低くし、容赦なく正面のカイルを見据える。
カイルはダミアンに名を呼ばれ、わずかに肩を震わせた。
「まず、そもそもの確認をしておこう。
君はローレンの部屋から、研究資料を盗んだことを認めているんだな?」
カイルは口元を曲げながらも、ゆっくりと深く頷いた。
「…………はい。あの資料を盗んだのは、俺です……」
「……ふむ。
カイル、君のしたことは庇いようもなく犯罪だ。
ローレンの部屋に無断で入り、大切な資料を盗み去り、第三者に渡した。
あの資料がどれほど重要だったかは、もはや問題ではない。
ただ君が、罪を犯したということに私は怒っている。
もちろん私は君にとって一魔術講師であり、生活態度についてとやかく言う権利はないだろう。だが私の身内がその被害を被ったとあれば話は別だ。
我々が君を憲兵団に突き出さないのは、君が子供だから、教室の生徒だから許してやろうという温情だと思うか? ――――違う。もはやそのような次元の話ではなくなっているからだよ。
……改めて問おう。君は意図的に資料を盗み、その上でローレンを陥れようとしたのか?」
カイルは途中までダミアンの説教をじっと聞いていた。
しかし、最後の問いの部分でバッと顔を上げる。
「ち、違う……! 俺は、ローレンが審問会にかけられればいいだなんて思ってませんでした……! 確かに資料は盗んだ。でもそれには理由があって……、それにすぐに返すつもりだったんです……!」
「………………理由?」
思わずそう声を漏らしたのは、俺である。
カイルは俺の方を向き、強く頷いた。
「……馬鹿な事をしたっていうのは、自分でも分かってる。元々、許して欲しくて来たんじゃない。ただ……、今その理由を説明できなかったら、永遠にその機会はないと思った。だから親にも内緒でここに来たんだ。
もちろんダミアン先生の言った通り、話を聞くかどうかはローレン次第だ。あんたに任せる……」
「…………んん……」
俺は唸りながら背もたれに身を預ける。
正直、今俺がカイルに抱く感情が何かと問われれば、憤りだと答えるだろう。
よくもやってくれたな、てめえのせいで散々な目に……、と怒鳴りつけたいという思いもないではなかった。
しかし、その怒りの部分は既にダミアンがすっかり代弁してくれていて、もはや付け加えることもない。自分の事で自分以上に誰かが怒ってくれていると、思いのほか冷静になれるものだった。
すると今度は困ったことに、カイルの言う『理由』という部分が気になり始めてくる。俺の中の天秤が、怒りから知的好奇心へと勝手に傾いていく。これは俺の悪い癖でもあった。
加えて、カイルの隣にじっと座る少年。見間違うはずもなく、聖堂の上から落ちてきたところを救った【例の少年】である。あのときは教会員に回収されてしまって、話す隙もなかったが――――。
俺は一つ大きく息を吐いてから言った。
「まずはとりあえず、理由を聞こう。
ダミアン様の言った通り、どんな事情があろうとも窃盗は窃盗。
だがそれはそれとして、事情があったのであれば、それも聞くべきだと思う。
……まあこれは、自分が理不尽な審問会にかけられて改めて思わされたことでもあるが」
「あ、ああ……! ありがとう……」
「礼を言うのは早い。まだ俺は話を聞くと言っただけだ。
それともう一つ、本題に入る前に確認しておきたい。カイルの横に座っている子についても説明してくれ。確かあの時、ダネルと呼んでいたか――?」
不意に名前を呼ばれた緑色の髪の少年が、驚いて椅子の上で小さく跳ねる。
横のダミアンが俺へ尋ねた。
「何やら事情に関わっているというので一緒に通したのだが、ローレンの知り合いだったのか?」
「知り合い、とは少し違います。ダミアン様にも一度お話ししたと思いますが、象騒動の時に聖堂の上から落ちてきた少年ですよ」
「……ああ、それが彼か」
ダミアンが納得したように頷いた横で、勢い良く立ち上がったのはダネルだ。
目を大きく開き、口をあわあわとさせながら、俺を見つめていた。
「え、え、あ――、あの時僕を助けてくれた人ですか……!? 僕が手を滑らせて、手すりから落ちちゃった、あの時……!?」
「ん? 逆にそうと知らずに、ここに来てたのか……?」
「カカ、カイル! 何で教えてくれなかったんだよ! 僕の命の恩人じゃないか……! そうとは知らずすみませんでした……! と、とは言っても、あの時のことはよく覚えていなくて、誰に聞いてもちゃんと教えてくれなかったし……、今お話ししてた、し、審問会? とかの話も何が何やらで……、とりあえずカイルが何かしでかしちゃったらしいことだけ……」
「審問会についても知らない? あれだけ大騒ぎになってたのにか?」
「え、ええと、それは、あの…………」
落ち着きなく狼狽えるダネルは、救いを求めるようにカイルの顔を見る。
カイルはダネルを座らせ、少し考えるようにしてから言った。
「ダネルは今回の事は、ほとんど何も知らない。……こいつは、ほとんど部屋から出してもらえないんだ。今日ここへ連れ出しててきたことも、教会の連中には秘密だ。バレたらすぐに連れ戻されちまう」
カイルはそう言って、背後の扉をわずかに振り返る。ダネルは心配げにカイルの横顔を窺っていた。2人の表情は真に迫っていて、とても嘘を言っているようには見えない。カイルの言った内容が本当ならば、ダネルは教会内に隔離されているので、今回の騒動についてもほとんど知らなかったという事になる。
ダミアンも話の不穏さを嗅ぎ取ったのだろう、露骨に眉をひそめて問う。
「……部屋から出してもらえない? 連れ出してきた?
教会側の事情はよく分からないが、何故ダネル少年はそのような扱いを受けているんだ? 何より、彼が今この場にいる理由が分からない。今回の事とどういう関係がある?」
ダミアンの疑問は至極もっとも。
俺は彼女の言葉を拾う形で続ける。
「ダミアン様の言う通り、問題はここへダネルを連れてきた意味だ。
今の言いぶりからしても、とても穏やかな話には聞こえない。
ダネルの正体が俺が思った通りだとすれば尚更……、だ」
「!?」
俺がそう言うと、少年2人が同時に驚きの表情を浮かべた。
ダネルは目を丸くしながら、俺とカイルの顔を交互に見ている。カイルも動揺を隠し切れない様子で、顎を震わせながら問う。
「ロ、ローレン……。ダネルの正体に、心当たりがあんのか……!?」
「……その反応からすると、外れてないみたいだな。別に確証があったわけじゃない。ただ俺は今日、聖堂最上階――、ネロ教皇の私室に通された。
そして1枚の肖像画がかかってるのを見たんだ。そこには、まだ若い教皇とその息子夫婦が並んで描かれていた。一目で親子なんだろうと思った。
……特徴的な髪の色をしてたからな」
「……!? ローレン、それはつまり……!?」
今度驚きの声を上げたのはダミアンだった。
彼女も俺の言わんとしていることの意味を理解したのだろう。
俺はダミアンに答える代わりに、向かいの少年たちに目線を向ける。
カイルはダネルと目線を交わした後、意を決したように頷いた。
「ああ、そうだ。
こいつの名前は、ダネル・モロゴロス。
ネロ教皇にたった1人残された家族、血のつながった孫だ」
「――――」
横から息を飲む音が聞こえる。とりあえず招き入れただけの少年が、精霊教会教皇の孫だと聞かされれば、驚くのも無理はない。
フルネームを明かされた当の本人は、なんとも居心地が悪そうに体を小さくしていた。しかしダミアンが真に驚いているのは、少し別の部分のようだった。
「……この少年が、教皇の孫……? そんな馬鹿な、教皇の孫は7年前の事故で――――」
それは、俺のおぼろげな情報とも一致する。
ダネル・モロゴロスと言う少年は、あらゆる意味でこの場にいるはずがない人物なのだ。
「これは父様から『絶対に誰にも言うな』と強く言われてたことだ。
でも、ダミアン先生とローレンには今日全部を話す。……話さなきゃいけないと思った。それで俺が例の資料を盗んだことと、ダネルをここに連れてきたことの理由が説明できるかは、正直分からない……。だけど、今はこれが俺に見せれる精いっぱいの覚悟なんだ」
カイルは決意を宿した目で、俺をまっすぐ見てそう言った。
話は、カイルとダネルの出会い――、5年前に遡った。
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