第29話 温もり


ヨルク・M・バーウィッチ――――。


マギア王国王家バーウィッチ家の長男にして、次期国王最有力候補。

美麗な容姿と細身で筋肉質な体型は、他国の女性からも人気を集めるほどであり、実直な性格とより良い国づくりのために労力を惜しまない姿勢は国民からの信頼も厚い。文武兼備かつ、魔術の技量にも文句の挟む余地はないという、まったくもって絵本から飛び出してきたような王子様だ。


そんな雲の上の人物が、俺の名が書かれた書状をよこしただなど、何の冗談だろうか。なぜそんな人物が俺を知っていて、しかも助けようとしてくれているのか。

俺は聖堂の最上階でしばし呆然としていた。


俺より分かりやすく驚きの表情を浮かべていたのはボイジャーで、あんぐりと開けた口は顎が外れはしないかと心配になる程だ。

ただこの空間で1人冷静なのは、ベイジャーだった。

ベイジャーは頭をかきながら教皇が匿われているはずの部屋へと近づき、声を投げかけた。


「…………どうなさいますかぁ? 次期国王様直々の書状となれば、いくらなんでも無視できません。この状況を王宮の人間に知られるのもよくありませんし……、少なくとも一度ローレン君の解放には従うということで、よろしいですかね……?」


声はすぐには返ってこない。

不安になるほどの静寂の後、唯一返答を聞き取ったらしいベイジャーが俺へ振り向いた。


「『もうよい……』だってさ。ローレン君」


そう目を細めるベイジャーの言葉にはなんとも現実味がない。

俺は思わず問い返してしまった。


「だってさ、って……。一体何がどういうことだよ……」


「あはぁ、さすがに予想外って顔だねぇ。僕もまさかここまでの名前が出てくるとは予想外だよ。案外全て、君の筋書き通りなのかとも思ったけど」


「俺にそんなコネがあるわけないだろ……。

どうなってるのか訳がわからない。もう、ここに来てからずっとだ」


「なら、事態を全て正しく把握している人なんて、どこにもいないのかもしれないねぇ。

まあとりあえずさ、今更こんなことを言うのは白々しいと思うだろうけど、一度お家へ帰りなよ。もうどんな意味でも僕たちに君を止めることは出来ない。……迎えも来ているみたいだから、さ」


「――――迎え?」



俺は追い出されるように、教皇の部屋を後にした。

訳が分からず、納得もいかないまま、俺は長い階段を降りていく。

それは何だか、授業中に1人早退する時の居心地の悪さと似ているような気がした。


俺の横をフラフラと飛んでついてくるセイリュウが言う。


「な、なにが、どうなってるのロニー……? ちょっと僕、話についていけてないんだけど……」


「いや、本当に俺にも分からん……。とりあえず分かってるのは、無事でここを出られるらしいってことだけだ」


「まあ僕はロニーさえ無事ならそれでいいや。ふぁあ。さっきのドンチャン騒ぎでくたびれたし、しばらく水晶に戻ってるね?」


「ああ、本当に助かったよセイリュウ。ありがとう。ゆっくり休んでてくれ」


「あっは。こんな時くらいロニーも殊勝になるんだねぇ。でもお礼なんていらない、僕とロニーの仲じゃないか。とりあえずしばらく寝るけど、また危なくなったら呼んでおくれよ。その時は頑張って起きるからさ。

――――だって、まだ終わってはいないんだろ?」


「……どうやらそういう話らしいな。出来ればもうお前の世話にならないよう、善処したいところだが」


「それならそれで、全部終わった後にゆっくり話を聞かせてもらうとするよ。ふあぁあぁあっと……」


セイリュウは特大のあくびを一つ残して、水晶の欠片の中へと消えていった。



俺は長い階段を降り、一階へ辿り着く。

ここまでですれ違った教会員たちは何やら皆忙しそうに走り回っていたが、俺の顔を見た途端に慌てて道を譲るのは滑稽だった。


さて、帰れと言われてもどこから出たものか、と俺はあたりを見回す。

すると階段横の大きな扉が開いているのを見つけた。

覗いてみると、数週間前にオランジェットと見物に来た時に入った礼拝堂へ続いているらしかった。

どうせなら真正面から帰ってやろうかと、俺が敷居を一歩くぐった瞬間――――、


「ローレンッ!! 無事か!?」


そう俺の名を呼びながら走ってくる、紅く長い髪の女性が視界に映った。

言うまでもなく良く見知った顔である。


「ダ、ダミアン様……!? わぶっ」


ダミアンは駆け寄った勢いのまま、両手で俺を抱きしめる。

全身を包みこむ強くやわらかな抱擁。

俺の顔のすぐ下にダミアンの頭があり、ふわりといい香りが鼻孔をくすぐる。

……これは状況的に抱き返していいものだろうかと少し悩んだ後、俺は彼女の背中をポンポンと叩いた。そう言えば直接人の温もりを感じるのはどれほどぶりだろう。俺は思わずそんなことを考えてしまった。


しばらくしてから体を離したダミアンが、心配げに俺の顔を覗き込む。


「遅くなってすまない、しかしとにかくこうしてまた再会できてよかった。怪我はないのか? 酷い目に合わなかったか? 審問会はどうなった? いや、今はとにかく腹が減っただろう、帰ったらたらふく食事を用意してあるんだ」


「ええ、俺も話さなければいけないことと、聞きたいことがたくさんあって……。

あ、そうか。あの第一王子からの書状はダミアン様の計らいだったんですね」


俺はそこでようやく、先の書状の意味を理解する。

ダミアンは本来、今日の審問会に召集される予定だった。しかし俺が審問会で氷魔法の実在を証明した結果、予定が大きく変わってしまって審問会に登壇することはなかった。

ダミアンはいずれかの段階で異変を察知し、王宮へ赴き、超特急で王子からの書状を取り付けた――、という事なのだろう。それは王都最高魔術師で、王族からの信頼も厚いダミアンだからこそできた圧倒的ウルトラC。

俺にさえ予測が出来なかったのだから、教会側に予測できたはずもない。


「ああ。だが勿論私だけの力ではない。それに、タイミング次第では逆効果になるやもと危惧していたのだが、こうして無事だったところを見れば間に合ったようだな。書状の内容は君も聞いたのだろう?」


「ええ、改めて再審が執り行われるとかなんとか……」


「最終審問は3日後という事になった。正直言って、また君を衆目の前に立たせるのは心が痛いのだがな」


「……そう、ですか。3日後……」


俺はそう呟いて、足元に目線を落とす。その先に例の審問会場があるはずだった。

もう一度、ひたすらに自分の考えを押し付け合うあの不毛なやり取りに応じなければならないのかと考えれば、どうしたって気は重い。

願わくば、今度こそ公正な審議が行われることを望むばかりだが、こちらに3日の猶予があるという事は、向こうにもそれがあるということでもある。

奴らはまた、ガラリと出方を変えてくるのではという嫌な予感があった。


「気持ちは分かる。しかし精霊教会の此度の審問会での越権行為は、もはや無視できない。すべてを明るみに引きずり出し、君にしたことの代償を支払わせなければならない。大丈夫、今度は私もついている。もう君は一人じゃないん――――」


「もちろん私も応援しに行ってあげるからね、ローレン!」


「!? あれ、シャローズ様!?」


ダミアンのセリフを遮るように背後から飛び出すしたのは、王家第四王女シャローズ・M・バーウィッチである。

決め台詞の腰を折られたダミアンが無言でシャローズを睨んでいるが、シャローズはそんなことに構う様子はない。


「ビックリした? でも、ダミアンのお願いをヨルク兄様に口利きしてあげられるのなんて、私以外にいないでしょ?」


「いや、シャローズ様が関わっておられるだろうとは何となく思っていましたが、どちらかと言えば驚いたのは何故ここにいるのかという方で……」


「ちょっと、何その言い方! 私がここにいてはまずいっていうの!? 私だってローレンが大変だって言うから心配してたのに! ひどいわ!」


「ち、違いますよ。俺のためにご尽力いただいて、その上わざわざこんな所まで足を運ばせてしまったのが、申し訳ないと言ってるんです」


「他人行儀な言い方してもう! 私とローレンは親友なんだから、アリガトウドウイタシマシテオワリでいいの! それに象騒動の時の借りもあるし、恩返しも兼ねてこれですっきりトントンでしょ?」


シャローズはぷりぷりと頬を膨らませながら、しかしどこか楽し気に俺のお腹をつつく。俺は「あれ、親友だったんでしたっけ……!?」と言いながらも、されるがままにしていた。


「シャローズ、その辺にしておいてやれ。ローレンは疲れているんだ。続きなら家に帰ってからだ」


「そうね。3日後に向けての作戦会議もあるし、なによりお腹も減ったしね!」


シャローズはニッと笑うと、入口の方へ方向転換した。ダミアンも呆れたように笑いながら、それに続く。


俺は2人の背中を追いかけようとして、ふと背後に高く掲げられる六体の精霊像を振り返る。初めて見た時とは、随分と印象が変わってしまったものだ。


「…………」


俺の脳裏に、この3日間の映像が断片的に浮かぶ。

奪われた資料、有無を言わさず閉じこめられた聖堂の地下、皮肉げに笑う老人たち、氷魔法、聖堂の最上階、教皇、双子の刺客、部屋にかけられた肖像画――――、象騒動の最中、テラスから降ってきた少年、カイル、古びた一冊の本――――。


いまだ分からないことが多く残っている。

それらは一本の線に繋がりそうな気配を見せながらも、固く複雑に絡み合っていて、解き目がどこにあるのか分からない。

しかしさすがにこれ以上物を考える気にはなれず、俺は早く早くと急かすシャローズ達の方へと急いだ。





「はあ!? もう終わって、帰った……!?」


俺は忙しそうに駆け回る教会員を物陰に引っ張り込んで、何が起きたかのあらましを聞いた。しかし返ってきたのは予想外の返答。

信じがたいが、どうも本当らしい。


聞き出した断片的な情報をつなぎ合わせると――、

ローレンの審問会は教皇の命令で終了。

その後、ローレンは教皇の部屋に呼び出され、どのような話し合いがなされたか分からないが、ローレンは最終的に解放された。

だがあいつへの審問会自体はまだ終わっていない。国側が何か言ってきたらしい。


「ここまで来て無駄足になっちまったって事か……? 

最悪の事態にはなってねえみてえだけど、しかし何がどうなったらそんなことになるんだ、マジであいつ何者……。いやともかく、そんなこと言ってる場合じゃねえ」


ここであんまりウロウロして、父に存在がバレたら面倒だ。

そもそも抜け出すのに時間がかかったこと自体、父が無駄にチンタラしていたからなのだが、結局間に合わなかったのだから仕方ない。

帰ったという事はローレンは今、ダミアン先生の家にいるということ。


「もう一回戻るしかねぇか……」


となると問題は検問所だった。教会関係者の行き来に甘いとはいえ、子供一人で何度も通ったらさすがに顔を覚えられる。と、そこでふと窓の外を見下ろすと、聖堂の裏手に見慣れた馬車が停まっていることに気がついた。


「……今日は帰らねえって言ってたが、帰りのために馬車は待たせてんのか……。一緒に来たとしても執事のジジイくらい。御者は今の教会の事情は知らないはずだし、内緒で屋敷に連れ戻してくれって頼んだら、なんとかイケるか……?」


聖堂の中は広く入り組んでいて、おまけに今は教会員たちがバタバタと騒がしく俺に構ってる余裕などない。ここからあそこまで見つからずに降りることは訳ない。

御者に頼んで、貴族地区まで戻って、ダミアン先生の家を訪ねて、それから……。


その時、何気なしにポケットに突っ込んだ手が、一枚の紙に触れた。


「――――」


ひょっとして何かの役に立ちはしないかと、持ってきたものだった。

そこで一つの考えが浮かぶ。


そうだ。

どうせなら、どうせ全て事情を打ち明けるのならば、あいつを連れ出して行った方がいいんじゃないのか――――? 


次の審問会がどういう結果に終わるかは分からない。

いや、例えどちらに転がったとしても、もうあの魔術教室に通うことは出来ないだろう。あの資料を盗み出してしまった時点で、あの教室の生徒としての資格を失ってしまったのだ。

つまり審問会が終わったら、ローレンと会う機会は二度となくなるという事だ。


なら今しかない。

今やらないと、俺はきっと一生後悔する。

そもそも、ずっと外へ出たがっていたあいつを連れ出したくて、こんなバカな事をしでかしてしまったのだ。

どうせなら最後までしでかしきってしまおう。


そう考えると、蜂の巣をつついたような今の状況は、またとないチャンスだ。

あるいは、最初で最後のチャンスかもしれない。

もちろんバレたら殺される。

でも、あいつとローレンを会わせられれば、もしかして――――。



俺は速やかに、かつなるべく人目に触れないように、上階へと駆け上がった。ありがたいことにそこは、普段教会員たちがほとんど足を踏み入れない、関係者以外立ち入り禁止の廊下の先。

教会員の影はどこにもなかった。


廊下の角を折れた先の、外側からしか開かない扉。

俺は足元のレンガを一つ外して、裏に隠してあった秘密の合鍵を抜き取ると、ドアノブに差し込んだ。



「――うわ、びっくりした。カ、カイル? 今日は礼拝の日じゃないのに、なんで?」


俺は息を整えながら、部屋の真ん中で本を読んでいたらしい幼なじみを見下ろす。


「ど、どうしたの? そんな怖い顔で睨んで……。そういえばさっきから教会全体が騒がしいみたいなんだ。何かあったの?」


「…………ここを出るぞ、ダネル。今から」


「――――は!??」


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