第23話 正しさ、間違い②


「…………は? それは……、どういう意味でしょうか」


「その通りの意味だ。16歳の小僧に、これほどの分量を書き上げる気概があるとは思えん。

誰だ、やはりダミアン・ハートレイか」


「いえ、さっきも言ったはずです……。その資料は俺が全て書き上げたものです。ダミアン様は俺に寝食の環境を与えてくれてはいますが、その資料の内容には関与していません」


すると、さっきとはまた別の教会員が声を上げる。


「妙な庇いだては逆効果だぞ。どのみち本人に確認させてもらうが、仮にも王都最高魔術師ともあろうものが、かような危険思想を抱いていたとあれば大問題だ。素直に言ったほうが後々になって楽だぞ、お互いになぁ!」


「――俺は真実しか言っていません。そんなに疑うのであれば、内容の暗唱でもしてみせましょうか」


審問官は目線でその教会員を座らせると、静かに言う。


「……そうか。ならば改めて、この資料の是非についての責任は貴様にあると言うのだな?」


「初めから、そう言っているつもりですが」


「分かった。そう書き留めておけ」


「――はっ! もし今述べたことが嘘であっても、これからの審問でボロが出るだろう。見ものだな!」


別の教会員がひときわ大袈裟に鼻を鳴らして笑うと、会場全体からまたも失笑が起こった。まったくうるさい外野だ。俺はこめかみに浮かぶ青筋を指で押さえつけるのに必死である。


審問官は続ける。


「では、ここに書かれている魔術は精霊の奇跡ではないと言う文言、どのようにしてそのような結論に至ってしまったのかを説明しろ」


「まず誤解を訂正したいと思います。別に俺は精霊の存在を否定しているわけではありません。魔法と精霊の関係性について、現行の認識には疑問の余地があると述べているだけです」


俺がそう言葉を返すと、またも外野から言葉が飛んでくる。


「同じことではないか! その考えこそが精霊への冒涜、危険思想に繋がると言っているのだ!」

「よくもそんな事を外聞もなく言えたものだ!」

「ここが今まさに精霊の御前だというのに」


審問官はその意見に頷いて同意を示すと、俺を厳しく責める様な目線で射抜く。


「まさしく皆の言う通りだ。魔法とは精霊により与えられたものであり、切って切り離せるものではない。与えられた力を己のものと思い込む貴様の考えは、あまりに傲慢、厚顔無恥と言わざるをえん」


「まったくですな、審問官殿。ダミアン女史は一体どんな教育をしているのか」

「ええ、ええ、前からあの女の偉そうな態度は如何なものかと思っていたのです!」


あげく聞こえてくる野次に俺ではなくダミアンに向けられたものが混ざり始め、さすがに俺は言い返した。


「だから、ダミアン様は関係ないと言っているでしょう……! 先に言った通り、この資料は全て俺が自分で作成したものです! 外野は少し黙っていただけませんか!」


「が、外野だと、この小僧が……!」「なんと反抗的な態度だ」

「少しはしおらしく出来んのか。まだ自分がここに呼ばれた理由をわかっていないと見える」

「まったく、教皇様が聞いたら何とおっしゃられるか……!」


しかし教会員たちは俺の発言を受けてますます興奮するばかり。

審問会場は一転騒がしくなり、手を握り合わせて精霊像を拝むものや、立ち上がって机を叩くものまで出始めた。

もはや発言をするしないのレベルではなくなり、いちいち反論するのもバカバカしいと思い始めたところで、



――――カンカン!



と木槌の音がし、騒然としていた会場に一気に静寂が満ちた。

審問官は場が鎮まったことを確認すると、咎める様な目線を、あろうことか俺に向ける。


「ローレン・ハートレイ、発言には気を付けろと言っているだろう。審問会が進まない。我々の貴重な時間を割いて審問会を開いてやっていることを忘れるな」


「お、俺は問われた事に答えているだけです……! 進行の邪魔をしているのは、あの人達ではありませんか」


「……進行を妨げているのは貴様の態度だ。加えて、礼儀もなっていない。

この場にいる者は全員、みな人生を精霊信仰に捧げた選ばれし信徒。そして貴様は精霊冒涜の嫌疑によって呼び出された犯罪人なのだ。再三言っている通りに、もう少し自分の立場を弁えろ。我々の神経に障るような今の物言いを続けていては、心証はますます悪化するばかりだな」


「…………ッ」


何故こいつらが騒いでいるのに俺が叱責されなければならないのか。

小学校の学級裁判だってもう少しまともに進行されるだろうに。


人間というのは、自分達を多数派と自覚すると際限なく増長する生き物だ。

彼らにとってすれば、絶対に正しい自分達に、いくら経ってもへり下る様子のない俺の存在の方が奇異に映っているのだろう。

周りを取り囲む老人たちは言うまでもなく、最初は淡々と述べるばかりだった中央の審問官もしだいに言葉の刺々しさを隠さなくなってきている。


「無理解な貴様にも分かるよう言ってやろう。

魔法とは生まれた時に精霊に授けられた奇跡の力であり、我々はその奇跡の一端を信仰ゆえに手にしているのである。そのことを忘れれば人々は感謝を忘れ、豚のように醜く堕落していく。

そのような奇跡の御業をあげつらおうなどと、精霊への冒涜でなくしてなんだと言うのだ。このような的外れな数字と屁理屈で、魔法を解明したような気になっているのも、甚だ愚かと言わざるを得ない。精霊教会の教えを十全に理解していれば、このような勘違いは起こり得なかった。全ては貴様の不信心さから起こった悲しい勘違いだ」


「…………屁理屈……」


例えばここで、大人しく「はい、その通りです」と言えばきっと彼らは満足するのだろう。

しかしそんな心にもない台詞を吐いてやるつもりはない。精霊教会側に正しいと信じる教義があるように、俺にも曲げられない正しさがある。


それにここで折れれば、俺の考えに理解を示してくれた大切な人々を裏切ることにもなるのである。


「……ではあなた方は、その資料の内容はすべて屁理屈だらけの誤りでしかないと仰るのですね?」


「そうだ。ここに書かれている内容は全て愚かな妄想だ。世界とは目に見える範囲ではなく、より大きな次元で存在していることに気づかない、若さゆえの誤りだな」


「より高い視点に立った時の世界のあり方については、確かに俺の考えなど及ぶところではありません。しかしそれは、目の前で起きている一つの現象を軽んじる理由にはならない。目の前で起きていることの連続で、世界は成り立っているのではありませんか?」


「貴様は屁理屈を言わせたら大人も顔負けだな。

しかしいくら戯言を並べ立てようと意味などない。ダミアン・ハートレイの屋敷の本棚には歴史書がないのか? この国の歴史は精霊信仰に始まり、精霊信仰によってここまで発展している。その歴史の中では精霊以外を信仰する考えや、精霊信仰を排除しようという輩もあった。だが、そのような道を外れた者たちの考えは淘汰され、今日のこの世界がある。何故淘汰されたか? それは間違っていたからだ。正しい者だけが力を得て、歴史を形成していくのだ」


「勿論先人たちの魔術研究に対しては敬意を持っているつもりです。ただ、先人達も幾度とない研究と知識の更新により、今日の魔術体系がある。しかし、今この時点も歴史の1ページに過ぎません。今日の常識が、明日以降も正しいとは限らないのではありませんか? 

逆にお言葉を返すようですが……、その資料にこそ、ちゃんと目を通していただいたのでしょうか? その上で、本当にその資料の内容はすべてが誤りだと思われたのですか? 先から述べているように俺は精霊の存在の否定も排除もしていない。別角度から事象を観測してみているだけです」


俺がやや食い下がると、審問官は不快げな表情を浮かべて俺を見下ろした。


「目なら通した。小難し気な言葉をそれらしい書き方で持って回ってはいるが、この内容はなにひとつ精霊教教典と通じる部分がない。ゆえに、誤りだ」


「――――は? 教典とは違うから、ゆえに誤り……?」


瞬間、俺はめまいに襲われる。

どうりで話が通じないわけだ。そもそもの前提がかけ離れ過ぎている。

あの審問官は俺の資料に目など通していない。もしくは、はなから間違いだという色眼鏡をかけて思考を放棄している。


彼らは資料の内容が間違いであることを望んでいる。

魔法は奇跡の力であってもらわなくては困るのだ。

何故なら、彼らが今まで説いてきた教えが揺らぎ、彼らの背後に掲げる精霊の威光が弱まるから。


ああ、なるほど。これはまさしくガリレオ裁判ではないか。

提唱された真実が今までの教理を覆してしまう場合、真実の方をもみ消してしまったほうが楽だという、まったくもって非科学的態度である。


こんな奴らが横行している世界に、俺の魔法科学の考えを広めるなんて出来るはずもない。


俺のこめかみの青筋がブチリと音を立てた。


「こんなのは馬鹿げてる……、話にならない……!」


「――――何と言った? ……おい」


審問官が片眉を上げ顎をしゃくると、後ろに立っていた大男が一歩前へ出る。

しかし俺は振り返り、厳しく睨み返した。

大男は一瞬身を竦める。


「…………いまだ反省の色が見えないな、ローレン・ハートレイ。

自分の考えが全て正しいとそう思い込んでしまう若さゆえの愚かさ、そして頑なさ。まったくもって――」


「では、根拠を示していただきたい」


俺はいい加減耐えきれず、審問官の言葉を遮って言った。


「…………根拠だと?」


「その資料を俺が書いたことは認めました。そしてそちらの思想に反することも理解しました。しかし、何をもって俺が誤っているというのか、その根拠を述べておられないのでは?」


「貴様には耳がついていないのか、今先ほどまで精霊の奇跡について親切に教えてやったではないか」


「いいえ、それは根拠とは呼べません。根拠とはもっと理論に基づいて、ここがこうだから間違っていると、相手を納得させられるものであるべきです。貴方のおっしゃったのは、理解ができないから間違っているという暴論だ」


「なに…………?」


会場がかすかにどよめいた。

教会員達は一段高いところから俺を見下ろし、哀れなものでも見るかのような目線を向けている。


しかし今更そんなものでは怯まない。

階段から落ち知恵を得て、ヨハンやセイリュウの手を借りて魔法に目覚め、ドーソンとの決別を経て今までの生活を捨てた。


そうして今の俺がある。

正しいと心から言える信念がある。


「これが精霊の名の下に開かれた審問会だというなら、正しい道へ導くというなら、しっかりとした根拠を持って俺の研究を否定していただきたい」


審問官はしばし目を丸くしていたが、やがてわざとらしく鼻を鳴らす。


「……ふん、もとより貴様の主張の誤りを正すためにこの審問会は開かれている。

だが勘違いをするな。主導権は貴様にはない。貴様は裁かれる側だ。

正しいか間違いか、それは全て我々の手にある」


「ええ。もし納得できる根拠があるなら、俺はどんな決定も受け入れましょう」


審問官は俺がそう言うと、微かに口角をあげた。

そして横の補佐役に目配せをする。


「どんな決定も受け入れる、だな。おい、今の言葉も記録しておけ。

では、此度の審問会で貴様の危険思想が認められた場合、我々は貴様を教会員として預かり、間違いを正し、信仰を取り戻す機会を与えることとする」


「…………何ですって? 教会員として預かり……?」


俺は予想もしていなかった話に、思わず聞き返した。


「幸いに思え。精霊教会には希望者を募り、小間使いや雑務係として預かり受ける制度がある。この聖なる場所には外のように俗物からの誘惑はない。教典の定めるところにより、質素倹約を心がけ、日々祈りを精霊に捧げるのだ。心のうちの信仰心を研ぎ澄まし、世界の真理を悟る機会を得る。これはネロ教皇の深い温情によって成り立つ救済制度である」


「それはまさか、教会員としてここで暮らせと……? そんなバカな……。そもそも、一体どのくらいの期間そんな事をしなければ……」


「愚問だな。信仰に終わりはない」


「…………!」


足元から悪寒が走った。

嘘だろう。こいつらはひょっとして俺に、一生教会員としてここで暮らせと言っているのか……?


俺は周りを囲んでいる、薄笑いを浮かべた黒装束の教会員たちを横目で見回した。

同時に、今朝朝食を運んできた首元にアザのある女性教会員の姿を想起する。


「――――」


「ネロ教皇の与えられた温情に感謝するがいい。

悲しいかな、貴様同様、未だ精霊の教えを正しく理解できない者達が大勢いる。そうした者達と寝食を共にし、切磋琢磨することで人間としてより完成形に近づいていく。安心しろ、間違う事は罪ではない。正しく死ぬことが精霊教の教えだ。

さて――、ではここまではよしとして、この資料の内容について……、貴様がなぜ誤った考えを持ってしまったかについて審議の時間を用意する――」


「…………ッ」


冗談じゃない。

こんなところで一生を棒に振り、せっかく得た研究の機会を奪われてたまるものか。

精霊を信仰したければ勝手にやっていろ、人を巻き込むな。


審問官は俺が言葉を失っている事に、満足そうな表情を浮かべると言った。


「根拠を示せと言っていたな。

この資料の中に一目で間違いだと分かる箇所がある。それをこの公共の場で審議をしようではないか。わかりやすくて良いだろう」


「……一目で間違いだと分かる箇所? 一体どの箇所のことでしょうか」


審問会は返答をする代わりに左手を掲げた。

すると、1人の女性が静かに立ち上がる。


「可哀想な子。貴方の目は今、悪い夢の生み出した靄に覆われて現実が見えなくなっているのです。わたくしのように精霊様の声が聞こえれば、そんな悪夢も一瞬で覚めてしまうでしょうに……」


「精霊の、声が聞こえる……?」


「ええ、精霊様はあなたの一生懸命考えた魔術の仕組みとやらがまったくの作り話であると、そう仰っておられます。だなんて、逆立ちしても出来っこないと……。うふふ」



女性はそう言って、なにもない虚空をうっとりとした表情で見上げたのだった。

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