第24話 論より証拠


審問官は、端の席の女性に目配せをする。

すると女性は、宙を泳がせていた虚な目を俺に向けた。


「私には水精霊様の啓示が聞こえるのです。

精霊様は常に私にあるべき道を指し示し、私の信仰心を喜んでくださいます。

しかるに、資料の中のこのページ――――、こおり、んふっ、氷魔法ですか? うふふふふふ、失礼。水魔法を発展させたとかいう発見について書かれていますが、残念ながらあり得ません。水精霊様は、こんな魔法は存在しないとおっしゃっておられます」


女教会員は笑いをこらえるのに必死といった感じでそう言う。

彼女が指をさしているのは、こちらに来てから取りまとめなおした水魔法から氷魔法への発展方法が記載されたページである。


そしてまた目線を何もない空間に戻す。

そこにはどうやら彼女にだけ見える精霊がいるらしく、その精霊様は氷魔法などあり得ないと言っているらしい。


審問官が皮肉げに笑いながら言った。


「水が冷えて氷になる。ああ、たしかに子供でも知っていることだ。

だが長い魔術の歴史の中で、水魔法から氷を生成した例はない。

水魔法は現実の水とは似て非なるもの。それは精霊により守護されたものゆえだ」


「……成功した例がないからと言って、不可能とは限らないと思いますが」


「いいや、不可能だ。他ならぬ精霊がそう言っておられる」


(……やばい。これ、目の前で氷魔法使って見せたらこの連中はどんな顔をするんだろう。こっちがハラハラしてきた……)



正直言って俺は、思いの外早く訪れたを、どうしたものかと思案した。いや、あちらからすれば確かに分かりやすくあり得ないトピックだろうから、出鼻をくじいておきたいという考えは分かる。


氷魔法についてのこの世界での認識は、あの審問官の言った通りだ。

誰もが一度は考えるが、出来ないこと。

それこそ子供用の絵本に描かれるような絵空事とされている。


感覚としては、自分の子供が「手を羽ばたかせていたら、空を飛べるようになったと言い出した」ようなものなのだろう。そんなことを言われたら、俺だって「そんなバカな」と言うかもしれない。


だが、氷魔法は実在している。

そして勿論それは俺だけの特別な能力などでもなく、ヨハンやダミアンにも実現し得た水魔法の技術の一つである。

だから問題は、どのタイミングで氷魔法を見せつけてやれば良いかという事だった。


俺は今しばらく流れを見極めることにした。あのうっとり顔の女性に先に聞いてみたいこともある。


「……本当に精霊が見えておられるのですか?」


「ええ、子供の頃川で溺れかけるという事故があってから、精霊様の姿が見れるようになったのです。それから精霊様は私の問いかけに答えてくださり、常に正しい道へ導いてくれます」


「…………」


他の審問会員の反応からすると、彼女以外に精霊の姿が見える者はこの場にはいないようだ。いわゆる選ばれし精霊教徒という訳か。


審問官はやや身を乗り出して、どこか自慢げに言う。


「彼女はその事故以来、水魔法の扱いが格段に上達したという。現に当教会の中でも指折りの実力者だ。これがまず精霊の加護の証左である。

――――せっかくだから、ひとつ実演してみせてあげなさい」


「かしこまりました」


女教会員は頷くと、胸の高さに手のひらを掲げる。

わずかに発光したのち、手のひらの上にハンドボール大の水球が生成されて緩やかに回転しはじめた。

そしてその後、同じ大きさの水球が2つ追加され、ジャグリングさながらに等間隔で回転をし始めた。


「おお……」という称賛のどよめきが起こった。


女教会員は薄笑いを浮かべながら俺を見下ろす。

しかし俺が特段驚いた表情を浮かべていなかったので、彼女はわずかに眉を顰めた。


だが審問官ほか、周りの老人たちは満足そうである。

これが精霊教会で指折りの実力者なのか……。


確かに魔力量、魔術のレベルともに一般的な水準は超えているだろうし、小器用だなとは思う。だがナラザリオではヨハン、王都ではダミアンの魔法を見慣れている俺からすれば、だからどうしたという感じである。

同じことをやって見せろと言われれば、球の数を5倍に増やしてやっても構わない。


これが精霊の加護の証左と言われても、返答に困る見せ物だった。

俺は女教会員の曲芸については特に触れず、別の質問を投げかけてみた。


「興味からお伺いするのですが、精霊とはどのようなお姿をしておられるのでしょうか」


「精霊様のお姿は光の球のようで、その実体を掴むことは叶いません。ただ美しく静かに輝きを放ち、我々の頭上にあられます」


「……教会の精霊像などでは、蛇の姿をしておられるようですが?」


「あれはあくまで我々に分かりやすい形を取っているだけです。実際の精霊様に実体はなく、我々の想像の及ぶものでもありません。ゆえに神秘的なのです」


そう言って再びトロンとした表情で天井を仰ぐ女教会員。


「……なるほど」


俺の知っている自称精霊に意見の一つでも伺いたいところだ。

ここで俺が、自分にも精霊が見えます。小生意気でうるさい紐状生物ですよ。などと言えば、あの教会員は発狂してしまうのではなかろうか。


「――本題に戻る。以上の理由により、我々は氷魔法などという空想を声高に提唱するこの資料を見逃すわけにはいかない。何か異論はあるか」


審問官が言う。

俺は審問官がはやくも結論を出そうとしていることに、笑ってしまいそうになった。


以上の理由によりとは、いったいどの部分のことだ。

ただ女教会員しか見えない精霊の話を聞かされ、曲芸じみた水魔法を見せられただけだ。

氷魔法が実現不可能な理由など一切語られていないし、研究資料にも言及していない。


異論しかないに決まっているだろう。


「あります」


「…………どのような異論だ」


「氷魔法が空想だと言う部分です。氷魔法は確かに存在します」


「……理解に苦しむな。どうしてそう妄想にしがみつこうとする。何が貴様をそこまで頑なにさせている。なぜ精霊の奇跡をあげつらうのだ……! ならば、この場で水魔法から氷を生み出せるとでも言うのか……!?」



「はい、出来ます」



――――瞬間、審問会場が水を打った様に静かになった。

その場にいる全ての者の表情が消え、衣ずれの音さえさせずに俺に視線を注いでいる。


それほどに俺の自信に満ちた即答は、彼らの想定と違ったのだ。

きっと俺が狼狽し、何か理由をつけて実演はできない言い訳をするとでも思っていたのだろう。老人たちの目は理解できないものを前にした時のそれだったが、しかしそこには一抹の不安がよぎっていた。


万が一、あり得ないことだが、もしこの者が氷魔法などと言う未だかつてどの魔術師も実現させることができず、精霊さえもあり得ないことだと言った絵空事を、この場でやってみせたらどうしよう。

そんな表情だ。


「――――」


氷魔法を世に発表するタイミングについては慎重を期そう。

そうダミアンと約束したことを思い出す。だが、彼女もここにいれば同じ結論を下すに違いない。


何より今この場で、これ以上に俺の研究の信憑性を裏付けるものはない。

論より証拠。いつだって人々の固定概念を覆すのは、否定のしようもなく目の前で起こった現実なのだから。


「実演をしてみせて、よろしいのですね?」


俺は背後の大男をわずかに顧みてから、審問官に向き直って言う。

いきなり魔法を使って、取り押さえられては敵わない。大男は無言で狼狽ながら審問官へ目配せをしている。周りを取り囲む全員も等しく同じだった。


審問官はしばし無言で俺を睨んでいた。

彼の中で、あり得るわけがない、しかしまさか――。そんな感情のせめぎ合いが起こっているだろうことが読み取れる。


しかしここまで言っておいて、許可を出さないわけにもいかない。

わざわざ自分から釣り針に引っかかってきたのは、お前たちの方なのだ。


長い静寂ののちに、審問官は小さく、しかし多分に怒気をはらんだ声で言った。


「――――やれるものなら、やってみるがいい……!」


「ありがとうございます」


俺は手のひらを掲げる。

袖に仕込んだ杖の存在を再確認した。


そうだ、どうせならばぐうの音も出ないようにしてやろう――。


俺はそう思い、念入りに魔力を込める。


宙に生成されたのは、まず巨大な水の球。

さきほど女教会員が生成したのがハンドボール大だとすれば、俺が生成したのは運動会の玉転がし大である。

さらにそこへ同じ大きさの球が二つ追加され、緩やかに回転しながら、審問会場の中央で踊る。右回りで回転、続いて左回りに回転、縦回転と自由に飛び回るそれは、さながら巨人のお手玉のようだった。

曲芸ならこのくらいやって欲しいものだ。


薄暗い審問会場の中で巨大な水球が入り乱れる様はなんともカオス。そしておそらく見たことのない規模の魔法に、周りの老人たちは言葉を失っている。

しかしまだ、驚くには早い。


俺は宙の水球――、魔素と水分子が結合して出来た巨大な塊にイメージを集中させ、内部の魔素を停止させる。

俺の脳で思い描いたイメージは脳から首、首から肩、肩から右腕、右腕から杖、杖から空中に流れ込み、現実のものとなる。



巨大な氷塊が、宙に3つ浮かんだ。



肝心の審問官の反応が、暗いためによく見えないのは残念だった。

だがきっと、俺が想像しているような表情をしてくれているだろうと思う。


俺はしばしそれを見せつけるように漂わせていたが、いつまでもそうしていては邪魔なので、内部の魔素を再度振動させてやる。

すると氷は内側から砕けて、小さな粒へと変わり、足元にサアアアという音を立てて落ちていった。





本日の審問会は、中断となった。







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