第14話 脳



「なぜ我々は、魔法を操れるのか――?」



ダミアンが前のめりになっていた体を起こし、少し神妙な面持ちになる。

それも当然、この疑問は幼稚園児に『なぜ君は走れるのか』という質問を投げかけるに等しい。なので返ってくる答えは『気付いたら出来てた』――、この世界に置き換えれば『精霊のおかげでしょ?』となる。


しかし、魔法を科学的に解き明かす立場の俺としては、そこで思考を停止する訳にはいかない。人体には脳があり、筋肉があり、骨格がある。脳から発された信号は微弱な電流として神経を流れ、筋繊維を思う通りに動かしている。さらに遡れば、生き残るために体を獲得し、繁殖するために運動能力を獲得し、発展するために知恵を獲得してきたから、

という言い方もできるだろう。

ともかく、人間はなんとなく走れるわけではない。物理法則に則って、走るべくして走っているのだ。


それを俺は魔法にも置き換えたい。

物理法則に則って魔法を操っているのだと、俺は提唱する。


「難しい話は残念ながら私には分からないが、君の作った『魔素』という単語を借りるならば、我々の体の中には魔素が流れていて、世界にも魔素が満ちている。だから魔法が生まれているのではないか?」


「そこについては俺も同意します。体内の魔素と体外の魔素の反応が、魔法の第一歩。なんたって俺はその一歩を踏み出すのに16年かかったんですからね。

ただそれはあくまで前提。ここからは、話を次のステップに進めたいと思います」


「つまり?」


「魔素の有無は話の下敷きにすぎない。言い換えれば、だからといって魔法を意のままに操れる理由の説明にはなっていないということです」


「……ふむ、なるほど。言わんとしていることはわかる。私はそんなことに悩んだこともなかったが――、こんな銅板を用意しているあたり、ローレンには何か仮説があるのだな?」


「まあ、そんな感じです。なんですが……」


仮説があるというのはダミアンの言ったとおりだ。

しかし、俺の今立てている仮説はこの世界の科学レベルからかなり逸脱している。正直ダミアンにそのまま話して伝わるとは思えない。

それはダミアンの理解度がどうこうというのではなく、そもそも概念自体が世界に存在していないからだ。

だからといって、俺の頭の中の仮説だけで済ませる訳にもいかない。

こうして快適な環境を用意してもらっている時点で、俺にはこの研究内容をこの世界の人々に噛み砕いて伝える義務がある。


ダミアンはそんな俺の逡巡をどこまで見通したのか分からないが、少し力を抜いてソファにもたれると言った。


「まあ、とにかく一度聞いてみようじゃないか。分からないところは分からないと文句をつけてあげよう。そもそも私を呼んだのも既存の魔術知識を一通り押さえている私と、君の理論のすり合わせの為というのもあるんじゃないのかい?」


「はい、おっしゃる通りですね。コホン――」


俺はひとつ咳払いをすると、資料の一枚を広げた。

その紙には簡略的に人体の構造図が描かれている。骨格と、筋肉と、脳だ。内臓は省略してある。

この図自体には知識と矛盾するものはなかったらしく、ダミアンは「ふむ」と声を漏らして一箇所を指差した。


「ここだけ色がついているな。脳みそのところ」


「はい、まさしくこの話題の根幹は脳についてです。……脳が人間にとって重要な器官ということは、異論はないですよね」


「ああ、私は医者ではないので人体のつくりに詳しいわけではないが、脳が思考を司っている場所だという知識はある。ああ、心のあり場所が、心臓か脳かなんて論争を聞いたこともあるが、それは今関係ないのかな」


「ちょっと話が逸れるのでそれは置いておきましょうか。ともかく人間の意識や感情は脳の働きによるもの、これを一度念頭においてください」


ダミアンの言った内容は、しかし案外的を射ている。

心のあり場所――、前の世界における脳科学の歴史でも論点になった重要な話だ。心が脳にあると一番初めに提唱したのはたしか紀元前は哲学者の時代だったはずだが、ともかくこっちの世界にもそれに近しい認識は根付いている。

それは人類の発展に医学が必要不可欠なことを考えれば、脳の存在や働きが認知されるのは必然の流れだからであろう。


ただ、これは精霊信仰的にはグレーゾーン……、人体解剖実験は特例以外認められず、生きた人間への切開手術という概念もないようである。魔法への無闇な検証さえよしとされていないのだから、さもありなんという感じだ。


「本題に戻りましょう。ここから先の話はダミアン様の常識の外に出るかもしれませんが、少し我慢していただきたいと思います。

まず、脳は感情だけでなく身体の動き自体を司っている司令塔です。こうして今考えながら話しているのも、怒ったり笑ったりするのも、お腹が減ったり眠くなるのも、手が動くのも足が動くのも、全ては脳の作用であり、脳を欠けば人間は物言わぬ人形になってしまう。

こうした見地に立つと、魔法を扱う際に重要なイメージの部分は脳が担っていると言うことができます。魔法の生成には脳の働きが関与しているという逆説が成り立つ訳です――」


俺はそこまで喋って、ひとつ息をついてから更に続けた。


「ここまで来て俺はひとつの仮説を立てました。

もしかしてこれは、俺たちが筋肉を動かしているのと同じ理屈なのではないかと。

つまり【ごく微弱な電気信号】が、魔法が思い通りに動くタネなのでは、と」


「ん、ん、ん。すまん途中まではなんとなく理解できたんだが、最後の部分が分からない。デンキシンゴウ……?」


「今回の場合は、脳からの命令を体の各所まで行き渡らせるための伝令役、と考えてもらえれば結構です。

たとえば【右小指を少し曲げる】なんていう繊細な動作が苦もなく出来るのは、伝令システムが優秀だからです。あとはこの話を体の外に広げてあげれば、魔法の説明が付きやすくなる。人々は筋肉ではなく魔素という目に見えないものを媒介にして、イメージの伝達を体外に延長している。魔素は伝令を受けて、思い通りの形に変容する」


という訳か? 指が動くという部分が、それぞれの属性の魔法に分岐をしているだけで」


「俺の言いたい内容が伝わったようで安心しました。

まあ今のところ、これは突飛な思いつきの域を出ていません。現時点では全く見当違いの仮説かもしれないんです。ただこの説のありがたいところは、電気信号が介在しているのであれば、観測の余地があるという点なんです」


俺はそこまで説明して、ふと立ち上がった。

そしてソファの横、煉瓦造りの壁に手を当てる。


「ダミアン様の経験上、この壁の向こう側に魔法を展開することは可能ですか?」


質問の本質的な意味はきっとまだ伝わっていないだろう。

しかしダミアンは余計な口を挟まずに、俺の質問に対しての答えを探した。


「それはつまり、壁を傷つけずにということか?」


「そうです。向こうの部屋までの厚さは10センチ強といったところでしょうか」


「ならば無理だな。いずれの魔法でも壁への影響は免れないだろう」


ダミアンは少し顎に指を当てたのちに、そう即答する。

その答えは俺の短い魔法実践経験とも合致した。魔法を使う際には掌の先に魔素を操るための空間が生まれる。そこに障害があるとうまくいかないというのが、感覚的にも実際にも事実だった。


「しかし、よくよく考えればこれはおかしいような気がします。

空気中には魔素がある。でもレンガの中にも間を埋めるモルタルの中にも魔素はあるはずです。魔素に干渉しているのであれば壁の向こうに魔法が出現しても不思議はないように思うのですが」


「んー、そう言われればそうかもしれないが、出来ないものは出来ないからな……。

待てよ、ローレン。レンガの壁は無理だが過去に例外があったのを思い出した。

鉄の鎧だ、騎士の鎧を突き抜けて内部に火魔法を生じさせた魔術師を見たことがある。意図してではなく、偶然だったようだが……」


「おお、それです、それ」


向こうから具体例が出てくるとは思っていなかったので俺は少し驚いたが、実践経験豊富なダミアンならばそういった場面に遭遇しているのは不思議ではない。しかもその経験談は、この仮説に反するものではなかった。


俺は「そこでこれです」と、机の上の銅板を手に取った。


「厚さは壁には足りませんが、感覚的にはこの銅板ごしに魔法の発現は難しい……はずですよね?」


「あ、ああ。そうなる」


「では実証実験に移りましょう。俺が持っているので、手のひらを当てて板の向こう側に魔法を形成してください。属性は火属性以外ならなんでもいいと思います」


「う、うむ……」


ダミアンは戸惑いながらも、言われた通りに、銅板に右手をあて魔力を込める。


するとやや間があってから、銅板の向こうに小さな水の球が浮かび、緩やかに回転をし始めた。

ダミアンは無言のまま驚きの視線を俺に向けるが、これではまだ確証には至らない。俺は仕事机の脇に用意していたもうひとつの板を取り出す。銅板よりもはるかに薄いガラス板である。


「これで同じようにお願いします。厚さだけを見ればこれでも同じようなことが出来そうですが――」


しかし今度は、水の球は生まれなかった。

それは俺が1人の時に実証した結果と同じであり、先の仮説を後押しするものである。


「色々と原因を考えてみましたが、やはり一番可能性が高いのは電導率の差。銅は電気をよく通すのに対して、ガラスは絶縁体。そしてその違いが魔法の発現にも作用している。つまり、魔素は電気の影響を受ける。言うとなんとなく地味ですが、俺の中では大きな発見です」


「ゼツエンタイ……、とかいうのはよく分からないが、私のイメージと実際に起きた事象がズレていたのも確かだ。君のさっき言っていたデンキシンゴウとやらは、ガラスはダメでも銅板なら通り抜けられる。そうすると論筋が通るということかな?」


「本来脳から発せられる電気信号とはごくごく微弱なもので、銅を通り抜けるほどのものではありません。なので体外に放出されるまでの過程でおそらく電気が増幅されているのではないかと考えます。そもそもの発端として重力の干渉を必ずしも受けないはずの空気中に満ちている魔素が、なぜ外方向へ吹き飛んでいかないかが不思議だったんです。しかしもし電気に影響されるのであれば、地磁気などの影響で留まっているという可能性が生じる。この事実が真なら、今までの魔法研究の内容もかなり補完が――」


「うむ。言っている内容が全く理解できなくなってしまった。すまんが戻ってきてくれ」


「はっ――、すみません。またゾーンに入っちゃってました」


「一旦私にも分かるように話をまとめて欲しいのだがな。そもそも初めは光魔法について、という話だったと思ったぞ?」


「そうですね。えーと、端的に言うと『魔法を自在に操れるのは脳からの信号を電気によって体の外に発しているから』、また『魔素は微小な電流、あるいは電磁気の影響を受けている』という仮説が成り立ちます。これなら光魔法について説明する方法が生まれるんです……。ここからは光魔法の生じる過程について、ダミアン様のお力を借りながら検証していきたいと思います」


「……よかろう。その前にだローレン」


「はい」


「一度マドレーヌに紅茶を頼もう。君も喉が渇いたはずだ」


ダミアンは優しく微笑むと、ドアの外についた呼び鈴を鳴らしたのだった。











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