第13話 最初の疑問


「――こらっ」


ぽこり、と優しい拳が俺の頭に落ちる。


「よし。これで叱ったことになっただろう」


ダミアンは柔らかい拳をほどき、そう言ってにこっと笑った。

俺の部屋に家主たる彼女を招き入れるのは案外久しぶりだ。

ソファに腰を下すダミアンの真向かいに座る俺は、しかし、もう少し苦言が呈されるかと思っていたので拍子抜けをしてしまう。


「そ、それだけですか?」


「なんだ、もっと叱ってほしかったのか? 変わったやつだな。

まあ、本来ならもう少し言いたいことも出てくるだろうが、相手が君だからな。自分がした行いの危険性についてはよくわかっているだろうし、その上で君がそうしたと言うことは、そうするべきだったのだと私は推測する」


ダミアンは一片の疑う様子もなくそう言う。


「それによく考えてみろ、本来君が叱られる理由など何一つないのだ。真に叱られるべきは象を見世物にしようとした連中の悪趣味であり、取り逃した連中の危機感のなさであり、すぐに対処ができなかった連中の実力不足だ。それを差し置いて君を責めるなどというのは甚だ筋違いなのだよ。――ああ、勿論マドレーヌが君にお小言を言ったのは叱責ではなく心配ゆえだ。それは分かってやってくれ」


「そ、それは勿論ですが」


「分かってるならいい。騒動はおさまり、街の修繕は既に行われ始めている。王宮の連中も多少はバツの悪さを味わっているだろうし、現場にいたシャローズあたりが、我々の言いたいことを代弁してくれていることだろう」


「…………」


俺はダミアンのあっけらかんとした言い振りになんだか毒気を抜かれたような気分になる。だがもういいと言うものをこちらから食い下がるのもおかしな話なので、先の拳骨で話は終わったのだと納得して、気持ちを切り替えた。


「わかりました。では――、本題に入ってもいいでしょうか」


それを受けてダミアンが微笑む。


「ああ、それを楽しみにしていたんだ。研究に力を貸してほしいということだったが、私は何をすればいいのかな?」





『光魔法の解明』


それが目下、俺の積極的に取り組んでいる題材のひとつである。

【魔素の固定】がその正体であると睨みつつ、しばらく情報を集めていたのだが、これを証明し理論化するには、果たしてこの事が何を意味するのかを明確にしなければならない。


問題は、現在の俺に魔素の動きを可視化する手段がないという点だった。

強いて言えば魔素の動きが見えるらしい精霊の話を参考にする手があるが、残念ながら自分の目で確かめられない不確かな証言を研究の要とするわけにはいかない。ならば、できる方法は起きた現象から逆算的に魔素の動きを考えるしかない。


それには少し遠回りが必要なのだが……。



「光魔法が使えるようになっただって……?」


新たな属性が使えるようになった事実を告げると、ダミアンはさすがに驚きの表情を浮かべていたが、やがて笑いを漏らしながら頷いた。


「本来魔法属性の目覚めというのは幼少期にすむものと相場が決まっているのだが……。

やれやれ、そういった常識は君には通じないらしい。もしくは今の君の状態は、魔法に目覚めて4ヶ月の赤ん坊状態と言えるのかもしれないな。

ではそうだな、君の報告の後では物足りないかもしれないが、私も見てほしいものがある」


そう言ってダミアンが右掌の上に生み出したのは――、小さな氷の礫だった。俺が目を見開いてそれに顔を近づけると、しばらく宙で回転した後、氷は光の粒に姿を変えて消えた。


「一ヶ月ほど前だったかな? 君に氷魔法へ発展させるコツを聞いてから、ようやく最近一丁前に扱えるようになったんだ。まだおおっぴらに練習できないので、礫を前に飛ばす程度だがな」


「…………」


「?」


そこでダミアンは、俺がどこか遠い目をしながら氷の礫が回転していた場所を見つめていることに気づいたらしく、内心を的確に見透かした上で言う。


「……ヨハンには先を越されてしまっただろうか。彼は優秀だったからな」


俺はハッと我に返った後に「さあ、どうでしょう」と返したが、思いの外その声は小さいものとなり、ダミアンに届いたかどうかは分からなかった。



氷魔法については、まだしばらく世間への公表は避けると言う方向でお互いに納得し、話題は光魔法へと戻る。


とりあえず俺は、光魔法を使う者としての経験値が遙か上のダミアンに、現状の仮説をなるべく噛み砕いて説明する。

氷魔法を既に会得しているダミアンは思いの外すんなりと俺の仮説に共感を示し、先に聞いたシャローズとの戦闘についても含めて、ダミアンなりの光魔法というものについてを説明しかえしてくれた。


「君の言うところの【魔素の固定】という感覚は、正直私にはまだよくわからない。個人的な感覚だけでいうと光魔法とは【圧縮】だ。思い描いた場所にぎゅっと力を込め、透明な壁を作り出す。そして、それにはかなり意識を割かれる。特に光魔法を使いながら別の魔法を使うのには、私も数年の訓練期間を要した。私の知っている限りこの芸当ができる魔術師は数人だ。別に自慢をしたいわけではない、それだけ光魔法を維持するのには神経を使うと言いたいのだ。無理にイメージを言語化するならばそうだな――、たっぷりと水を含んだ泥を指の隙間から漏れないように握り固めているような感覚に近いかもしれない。ゆえに、油断をすればたやすく隙間から中身が漏れ、壁の機能を失ってしまう。たとえばアメリジットの光魔法の維持時間にムラがあるのは、集中力がそのまま結果に直結するからだ。それは当然壁の面積が大きくなればなるほど、固くしようとすればするほど、魔力を要する上に難易度も上がる。光魔法が使えても、それが実戦レベルに達していると自信を持って言える者は、騎士団の中でも案外多くはないんだ」


俺は先の暴れ象騒動を思い出した。

憲兵たちが懸命に繰り出した光魔法は、象を押さえ込むにはあまりに心許なかった。それはシンプルに、光魔法のレベルがダミアンやシャローズのレベルに及んでいなかったから……、ということなのだろう。

逆に、大した訓練も経ていない俺が光魔法を一応なりに扱えているのは、きっと魔力量で経験不足を補っているから。言うなれば泥を二つの手で包み込んでいるのではなく無数の手で無理やり押さえつけているに近いのではないか。


だとすれば、それはあまりよいこととは言えない。

同じだけの魔法を発動するのに消費される魔力が違う――、結果が同じならそれでいいかといえばそうではない。俺の体内に残っている16年分の魔力はあくまで16年分であって無限ではないのだ。だから、魔術の技巧レベルをあげることは魔力の消費を抑えることにつながり、今後の俺にとっての必須課題と言える。


では魔術の技巧レベルをあげるにはどうすればよいのか。

この世界において、その問いに対する解答は単純明快。


センス、そして正しい段階を踏んだ反復練習――である。


魔術は基本的に使えば使うほど上達する。しかし魔力量には人によって差異があるので生まれ持った才能の範囲を脱することは難しい。

子供の頃に魔術の訓練を受けても、魔力量が多くないために魔術師を諦めざるを得ない者は数え切れないほどいる。先日に見た王国憲兵たちも魔術のレベルや剣技のレベルが一定以上でなければ入団ことはできない。そんな選りすぐりの憲兵たちでさえその光魔法では暴れ象を食い止めることはできなかった――。

つまりは、それがこの世界の魔法のレベルなのだ。ダミアンやシャローズの魔法を見ていると、ついつい感覚が狂いそうになるのだが。


逆に、魔力量が十分だからと言って自然と魔術が上達するかと言えば、そういうわけでもないのでややこしい。

魔法の発動、安定、展開というステップでそれぞれ反復練習を正しく行わなければ、よい魔術は身につかない。正しいステップを踏むためには、魔術に詳しいものに師事するか、魔術書を用意しなければならず、それにはお金か文字を読むだけの素養がなければならない。

残念ながらこの世界では一般市民の教育レベルは決して高いとは言えず、識字率も日本のそれと比べれば絶望的にひどい。

この状況を改善するには大規模な教育改革が必要だと思われる。


――さて、そろそろ話を光魔法に戻さなければならない。


俺は自分自身の手で光魔法を発動してみた。


ステップ1:魔力を込めると、手の先の一定空間が淡く光って魔法空間と呼ぶべきものが生まれる。


ステップ2:その空間内にあるはずの魔素に働きかけ、動きを停止させる。その際には形状を意識しなければならないので、ダミアンの言うとおり【圧縮】もしくは【凝縮】と言う表現もあてはまる。


ステップ3:形成した魔法が崩壊しないように維持する。


魔術書に載っているのはステップ2と3のみだが、この手順は俺の読んだ限りの魔術書ではすべてに共通している。

あとは上級技巧として『壁の厚さを思うままに変化させる』『壁自体の形状を変化させる』というものがある。改めて探してみたが、足元に魔法の壁を生成して足場にしてみましょう、などということを書いている本はやはりなかった。


ちなみにシャローズの光魔法の応用の仕方については、ダミアンからの感想はこんなものだった。


「踏み台にする程度であれば私にも可能だ。しかし戦闘の最中に空中を飛び回るような曲芸はできない。あれはシャローズの身体能力とバランス感覚があってこそのものだ。おそらく君にも難しいんじゃないだろうか」


その意見に対してはたしかに異論なかった。

だが戦闘というものを想定しない場合、そこには光魔法の可能性がまだまだ眠っているような予感がしている。


俺はナラザリオ邸で行われた模擬戦を思い起こしながら、ダミアンの生み出す光の壁は浮いているのかどうかを尋ねてみた。


「浮いているな。元々は手のひらの先に壁を生み出すものの規模を大きくしているのだから、私にとっては当たり前のことだったが、いざ考え直してみると当たり前ではないのだろうか?」


ダミアンの言うとおり、俺が今一番不思議に思っているのはその点だった。

空中に壁が形成されることは水魔法と同じと考えれば違和感はない。魔法の使用時に、術者は何らかの方法で空気中の魔素に干渉し、そこに『限りなく無重力に近い空間』を無意識的に生み出している。

より正確に言えば『重力よりも魔素の働きが優先される空間』だろうか。その働きがあるゆえに、水魔法は空中で球を形成し、意図した方向に回転した。

光魔法について言い換えれば、空気中の魔素を無重力空間内で操作し固定している――、ということになるだろう。

しかし、だとすれば俺が目にしたダミアンやシャローズの魔法には違和感がある。


あの壁は何に支えられているのだろうか――、と言う点だ。


もし無重力空間にただ硬い物体が浮いているのだとすれば、本来それは【浮いた箱】であり【壁】ではないはずである。

たとえば部屋の周りを囲っている壁が壁たり得ているのは、上と下から押さえつけられているので、そこに固定されているように見えるだけだ。支えもなく無重力空間に浮いているとすれば、それは壁としての機能は果たさないだろう。


この世界にも存在している作用反作用の法則に基づき、加えられた力と同等の力が反対方向に働くはずだからである。


俺は自分自身で使ってみるまで、ダミアンの光魔法は立っている地面に接地しているため抵抗を生んでいるのだと思っていた。しかし彼女曰くそうではなく、シャローズなどは支えのあろうはずもない中空に光魔法を生み出して、それを蹴り、飛び上がっている。


光魔法は壁を生み出すだけでなく、魔法単体で特定の座標に維持することが可能――。

それが今、現象から導かれる事実である。

この座標の固定という部分、これに近しい事象を科学者だった頃の俺は見聞きしたことがある。





「最初は、シンプルな仕組みなのではと思いました。

しかし考えれば考えるほど、疑問が浮かぶ。光魔法は奥が深いです。そして同時に無限の可能性がある。俺は光魔法の解明が全属性の魔法の解明に大きく役立つと予感しています」


ダミアンは微笑み、強く頷いた。


「ああ、遠大な夢だ。私に協力できることがあれば助力は惜しまないぞ」


「光魔法について解明したいのはシンプルです。

光魔法はなぜ盾になるのか――、つきつめて、魔素の固定とは結局のところなんなのか。

これを実験しながら探っていきたい」


「んん、なぜ光魔法は浮いていながら相手の攻撃を防ぎ得ているのか……、という意味でいいのかな?」


「ええ、そういうことです。魔術書では精霊の御業、という以上に記載がない部分ですね」


「はっは、皮肉たっぷりな物言いだな。さてこの研究が完成した暁には、どう精霊教会の連中に明かしたものかという感じだが、先のことは後回しにしようじゃないか。

先入観は進歩の大敵、我々若者はより自由な発想で世界を変えていく気概がなければならないのだから」


ダミアンは快活に笑いながら言う。

紅い髪をなびかせて手を振り上げる様は、さながら舞台役者。『世界を変えていく』という表現は一瞬大げさにも聞こえるが、確かに今俺が為そうとしているのはそういうことだ。

ダミアンの言い振りも合わせて、にわかに胸に熱いものがこみ上げてくる。


「……ええ、そうですね」


「それで? 実験というのは何をするんだ。私は何をすればいいのかな?」


ダミアンは口角を持ち上げると、机に手をついて前のめりに問う。


「あはは、積極的に協力いただけてありがたい限りなんですが、光魔法の本格的な解明の前に、ここで一度基本的な疑問に立ち返らなければいけないと考えています」


「基本的な疑問?」


「はい」


俺は小さく頷いたのち、懐から一枚の板を取り出して机に乗せる。


「なんだこれは。なんの変哲もない銅板に見えるが……」


「おっしゃるとおり、なんの変哲もない銅板ですよ」


それは一辺20センチ、厚さ3センチほどの分厚い銅の板。

先日、オランジェットに言って手に入れてもらったものだった。要望通りの品物を、特に理由も尋ねずに用意してくれるあたりはさすがである。

と、ダミアンが向こう側から「だからなんだ、もったいぶらずに教えろ」というジトリとした目を向けていることに気付いて、俺は急いで今回の話の主題を明かす。



「光魔法のメカニズムの前に明らかにしたい疑問。

それは、魔法がなぜ術者のイメージによって左右されるのか――。


つまり、俺たちは、ということです」


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