第27話 仮面の男たち


痛い。

痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。



「ぁぁあああああ、あ゛あ゛あ゛っ……!!」



今までの人生で味わったことのない感覚に、俺は全身を打ち震わせた。

体の中に異物がねじ込まれた感触に脳が緊急信号を放つ。汗が吹き出し、全身の毛が逆立ち、心臓が風船みたいに破裂しそうだ。


倒れ込んだ勢いで地面を転がった。

すると当たり所が悪く【痛みの原因】がより深くに突き刺さる。


「ぁあ、があっ!!」


反射的に痛みの原因を排除しようと、俺は背中に手を回す。

ヌルリという生理的に不愉快な感覚があったが、とにかくこの痛みから解放されたい一心でそれを引き抜いた。


「――――ッ!!」


そこまでやって俺はようやく気づいた。

それが刃渡り15センチほどの鋭いナイフだということに。


ならば抜くのは逆効果だが、すでに遅い。

風にそよぐ草原の上にどす黒いナイフが転がり、俺の背中から噴水のように血が飛び出した。



 ○



「おい、バーズビー」


「…………」


「おい! バンナビー・バーズビー!!」


「ん。なに?」


「馬鹿かバンナビー・バーズビー、馬鹿なんだなバーズビー可哀そうに。なんでナイフで刺すなんてまどろっこしいマネしやがる。頭を飛ばせよ頭をよ。

しかも中途半端なところ刺しやがって、死ぬまで時間かかんじゃねえか、可哀そうによ」


「……だって。わざわざこんな遠くまで来たのに。すぐ殺しちゃあ勿体ないだろ?」


「勿体ないも何もねえんだよ、バーズビー。俺らは金を貰ってるんだからな? いかにスマートに無駄なく仕事を完遂するか、それが重要なんだなぁ、わっかんねぇかなぁ」


「そうか。それもそうだ。確かに君の言う通りだな。スピン。僕が間違ってた。次から気をつけるよ」


「わかりゃあいいんだ、バーズビー。俺は賢い子が好きだぜ。さぁ、分かったら早く息の根を止めてやるんだ、可哀想にな」


「でもさ。もうちょっと見ててもいいかい? せっかく死ぬんだからさ。眺めてたいんだ。もう少しだけさ」


「このゴミカスが!! 話を聞いてねえのか、バンナビー・バーズビー!! 死ね!! てめえが死ね!! 早くこいつを殺して、デリバリー・マーチェスの所に合流するんだよ!! 眺めてていいわけねえだろ!! 頭が可哀そうな奴だなてめえは!!」


「いたっ。いたい。分かったよ。でもさ。あんまりにもあっさりしてるからさ。だってアイツが殺し損ねたんだろ? それに随分な魔法をさ。使うって聞いてたからさ。ちょっと楽しみにしてたんだけど。拍子抜けだよね」


「ばっかだな。人間なんざ一刺しでもすりゃあ大概黙るもんなのよ。本とかじゃあ随分簡単に切った張ったの派手なドンパチを書きたがるがなあ、それはナイフの一つも刺されたことがない奴らが書いたからなのさ。可哀そうにな、想像力不足を派手な妄想で補っているんだなあ。しかも金持ちのボンボンは余計にそう、屋根のついた部屋と暖かい布団で守られて、箸より重いもんを持ったことがないんだ。可哀そうに。だからせめて楽に死なせてやるのが、親切ってもんなんだよ」


「そうか。スピンは本が読めるんだな。すごい」


「……はあ、てめぇどこに感心してんだバーズビー。まあいい、おめえは馬鹿だからしょうがねえさ、可哀そうにな。だが本くらい読めなくちゃいけねえぜ? もうお前も19になるんだからな?」


「本を読む前に字が読めないから仕方がないんだよ。でも最近数を数えられるようになったんだ。だって殺した人数が分からないと困るだろ?」


「おいおいバーズビー、てめぇ数が数えられるようになったのか。すげえじゃねえか。人生は日々勉強だぜ。いずれ文字も読めるようになるかもしれねえ。じゃあおい、問題だしてやろう。俺がいくつだかおぼえてるか?」


「うん。もちろん覚えてるよ。15だろ?」


「そうだ。じゃあ19足す15はいくつだ」


「えーとね。34」


「おいおい、本物じゃねえか!! バーズビー!!」


「正解? すごい? 僕すごい? ねえスピン」


「正解だよ。2桁の足し算が出来りゃあ大概のことは出来るぜ。一人でお使いにだって行けるし、賭けで負け分をちょろまかされることもねえ」


「お使い? ほんと? 一人で? マーチェスが許してくれるかな? 僕行きたいところがあるんだ。ずっと行きたかったところがあるんだ。恥ずかしいんだけど」


「バーズビー、誰にも言わねえから俺に言ってみろよ。俺とお前は家族、そうだろ? なあ、バンナビー・バーズビー」


「劇場にさ。行ってみたいんだ。この前ポストにビラが入っててさ。きれいな女の人が歌ってる絵が描かれてたんだ。あれ行ってみたいなあ。あの人を殺したらきっと綺麗だろうなあ」


「よおし、俺がデリバリー・マーチェスに一緒に頼んでやるよ。でもそうだな。劇場に入るんだったら入場料を払わなきゃならねえ。そしたらおつりをちょろまかされないように、引き算を覚えなきゃいけねえなあ」


「引き算は足し算と何が違うの? 足し算より難しい?」


「簡単さ。逆にすりゃあいいだけだ。例えば5つの人間がいるとするだろ、2つ殺したら生きてるのはいくつだ」


「待ってよ。指を使って数えるから。これが5だろ。それで2つ死ぬんだ。あ。3本だ。3本だよスピン」


「おいおいおい、いよいよ今夜はパーティだな!!」


「ちなみに。足し算なら指を使わなくても数えられるんだ。今日で殺したらちょうど237人目になるんだ。きっかり237。今夜はパーティ。だね? スピン」


「そうだな、バーズビー。だからさっさと殺しちまおう。仕事を済ませて早く帰るんだ、いいな?」


「わかった。あれ? ……あいつ。どこ行った……?」


「…………あ゛?」



 〇



意識がどんどん遠のいていく。

氷水にでも付けたように手足の先が冷たく、感覚がない。


魔法を。早く魔法を使って何とかしなければ。

杖は鞄の中に入っているはずだ。早く取り出さないと。

頭ではそれを理解している。


だがそう出来なかった。

本能的な恐怖が逃げることを選んだのだ。

それに、ガクガクと恐怖に震える手では杖を探し当てる事さえ難しい。そんなことをしている間にもう一度刺されたらどうする。そう考えたら、なおさら恐ろしくなった。

俺にはこの震えが、果たして痛みゆえなのかそれとも恐怖ゆえなのか、もはや分からなかったのだ。


何だあいつは。

いや、何だあいつらは。


物取り? 山賊? 人気のない所で、上等そうな服を着た者を襲っているのだろうか。金銭は持っていないが、もしかして荷物を開けて見せれば諦めて帰ってくれるだろうか……。


――いや、違う。


あいつらはそんなことで納得して帰るような奴らじゃない。

根拠はないが、感覚的に分かる。あれはもっと理解不能で、話が通じる類の人種ではない。出会った瞬間に踵を返して逃げるべき奴らだ。


俺はとにかく体をよじって進む。

体を低くし、草の陰に隠れるように進む。自分がどれほどの速さで動けているかは分からないが、とにかくこれが今の全速力だった。


あいつらが俺の姿を見失ってくれることを祈り、傷口を押さえながらながら、ただ逃げた。


痛い。痛い。痛い。

こんなに痛いことがこの世にあるのか?

もしかしてこれは、死ぬよりも痛いんじゃないだろうか。

痛いし、熱い。

傷口が焼けるように熱い。

手足が凍りそうなのに、傷口が熱いのだ。


もう訳が分からない。

訳が分からな過ぎて、涙が出てきた――――





「逃げても無駄だぜ、ロニー・F・ナラザリオ」




すぐ背後で声がした。


「――――」


気付けば俺は、仮面の男二人に姿をさらしていた。


俺は自分の今いる場所をよく見まわした。

気づかぬうちに丘の端、体を隠してくれる草原から抜け出してしまっているらしかった。男たちは仮面の向こうから確かに俺と目を合わせ、ゆっくりとした足取りで近づいてきている。


「随分と頑張って逃げたもんだなぁ、根性あんじゃねえか。悪くねえぜ、そういうの。この夕焼けじゃあ血の跡も目立たねえし、もうちょっとで見失ってたかもしんねえ。惜しい。可哀そうにな」


「ごめんよ。僕がナイフなんか使ったからだよね。ごめんね。最初から魔法で頭を弾き飛ばしてあげればよかった。ホントに反省してるよ。次はしないから」


「バーズビーもこう言ってんだ、許してやってくれ」


仮面の男たちは、一歩また一歩と近づいてくる。


一歩先を歩いているのが背の小さい仮面の男。

その後ろの背の高い仮面の男が、俺にナイフを刺した方だ。


俺は二人の男に向かって叫ぼうとした。

だが、腹筋に力が入らず蚊の鳴くような声しか出ない。


「………………、お、前たちは……、なんだ……ッ」


「ん? そうだなあ、たしかに名前を聞く権利ぐらいお前にもあるよな。よし、俺はスピン。こいつはバンナビー・バーズビーだ」


「よろしく。」


「違う……ッ、なんで、俺の名前を知ってて、……殺そうとするのか、聞いてるんだ…………!」


すると、スピンと名乗る背の小さい方が首をかしげる。

その動作は服装も相まってまるでパペットのようだ。夕日を受けて並び立つ二人の姿は、非日常感を無限に加速させていた。


「そりゃあ、おめえ、依頼されたから殺すんだよ。じゃなきゃこんな暑苦しい恰好をして、こんなクソ田舎までくるかよ」


「い、依頼……、だと…………?」


「そうさ。てめえを殺したい誰かがいたんだな、可哀そうにな」


「――――」


スピンが気の毒にと首を左右に振る。

俺は告げられた衝撃的な事実に、言葉を失った。


「残念だが依頼主についちゃあ俺らも知らねえよ? デリバリー・マーチェスは俺らにはそういうのは言わねえからな。どうしても知りてえってんなら呼んで来てやりてえが、あっちはあっちで忙しいだろうしなあ」


誰だか分からない名前を引き合いに出したスピンは、首を斜め後方へ向けた。

そのデリバリーなんちゃらと言う人物が、そっちの方向にいるはずだと言わんばかりの所作で……、


「!!」


俺は、目の前の男が目線を飛ばした方向に何があるかを理解した。


ナラザリオ邸だ。

ヨハンやカーラや、父や母らがいる屋敷である。


こいつらが殺し屋か何か、少なくともそれに準ずる輩だとして、その一派がどうしてうちの屋敷の方向にいるんだ。あっちはあっちで忙しいとは一体どう言う意味だ?


脳裏に最悪の光景がよぎった瞬間――、俺の右腕が意志と無関係に動いた。

とうに感覚のなくなって、恐怖に震えるだけだった腕がカバンを目指す。


「あ゛?」


「?」


仮面の男たちがその挙動に気付いて、声を漏らした。

しかし、魔法の発動の方が早い。


「――――おいおい、おいおいおいおいおいおいおいおいぃ!!

 なんだこりゃあ、なんなんだこりゃあよお!!」


「あ。あ。あ」




空から、巨大な氷塊が降ってきた。

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