第28話 パペット


水魔法とは操れるだけの魔素を、空気中の水分子に変身させる魔法――。

少なくとも、俺はそう理解している。


それは目の前にある水を操ることとは似て非なるものだ。ヨハンなどが普段やって見せているのが前者で、湖まるごと浮かべてしまった暴走事故が後者である。

では果たして魔術としての難易度が高いのはどちらだろうか。


答えは前者。

何もなかったはずの場所に水を生み出しているのだから、当然と言えば当然かもしれない。 ともかく、繊細な魔力調節などできるはずもない状況で、ありったけの魔力が注ぎ込まれた結果生じたのは、プール一杯分ほどの水の球だった。


「────」


俺の体に、俄かにアドレナリンが巡り始めたのを感じる。さっきまで痛烈に死を予感させていた背中の痛みが遠のき、指先にも血が届くようになった。


これならいける。

俺は半ば自分に言い聞かせるようにして、杖に魔力を注ぎ続けた。

巨大な水の球を空中に浮かべたまま、今度は、上下左右に動き回る水分子を停止させにかかる。脳内できれいなハニカム構造に整列した分子たちを想像すると、水の塊は強烈な冷気を放つ氷塊へと姿を変え──、空から降ってきた。

目の前の男たちが驚きの声を漏らす。

当たり前だ。これはかの王都最高魔術師をも驚かせた未知の魔法なのだから。


俺は氷塊の内部に亀裂を走らせ、いくつかの欠片に分解させた。

菱形の鋭い氷の刃が無数に生まれて、男たちの頭上に雹の如く降り注ぐ。まず一つが、ザクリという音を立てて突き刺さった。


「があっ……!! いてえええ、なにっすんだてめえ!!」


スピンが俺に向かって吠える。だが、彼の体は抵抗する間もなく無数の氷の礫の雨に叩かれ、切り裂かれていく。言ってしまえば、空からナイフが降り注いでいるのに等しいのだからさぞ痛いだろう。俺もよく知っている。


「どぉあああああああああああ、があああっ! ごふっ! ぶう……!」


「うっ。いたい。いたい。やめてよ。いたい。いたいよ」


「バーズビー!! 何やってんだ馬鹿、早く防がねえか!!」


「や。やってるよぉ。でも。防ぎきれないんだよぉ」


「ち、くしょぉ。死にかけの芋虫がよおおお!!」


氷の雨の向こうから阿鼻叫喚の声が聞こえる。

数十秒後には、およそ形勢は逆転していた。

どちらがより重症を負っているかは比べるまでもなく、仮面男の大小は揃って地面に転がり、のたうち回っている。致命傷を避けられたとしても、ろくに歩けはしないだろう。


「…………っ! はあ! はあ……!」


体の力を抜いた瞬間、乱れた息が漏れ、激しい立ちくらみに見舞われる。

俺は、いまだ手で押さえつけてもお構いなしに血を吹き出し続ける傷口を何とかしなければと考え、そして思いついた。


まずは魔力空間を傷口の周りに生成する。そして敗れた皮膚の代わりをするようなイメージで血液にも含まれているはずの魔素に働きかける。

分かっている。ぶっつけ本番で、そう上手く行くはずはない。

だが魔素の空間を形成したことにより、少なくともひたすらに血を失うという状況だけは回避できたようだ。とにかく今できることは、精密に魔素の動きをイメージすること。魔素で柔らかく丈夫な壁を生み出して傷口を覆う。


これ以上失われないように。

瘡蓋をするように。


そうだ、足りない分の血液を魔素で補うことが出来ないだろうか。

水分子が水魔法で水もどきに嵩増しされるなら、これも……。


幸い俺は、血管の構造や人体の造りを人並みには知っていた。

魔法がイメージに基づくならば、こんな無茶な理論のどれか一つでもひっかかってはくれまいか。そんな願いを込める。


「――――ふぅ、――ふぅ……」


息を整える。

大丈夫。血はもう失われることはないし、痛みはアドレナリンが何とかしてくれている。

止血用の魔法を維持しつつ、俺は2人の前に立った。


「……おい。お前たちの、目的は何だ……」


地面に這いつくばったスピンが、苦しそうに首を持ち上げる。


「…………あ゛あ゛!? だから、てめえを殺す事だよ!! 死ね!! 死ね!! 

おい、バーズビー!! てめえが一撃で仕留めねえからこんなことになった!! てめえも死ね!!」


「いたい。いたいよお。いたいのはいやだ。ごめんなさい。ごめんなさい」


「だあくそ、カスが! 使いもんになんねえな、こいつはよぉ!」


俺は仮面の男二人の痛々しいやり取りを見下ろしながら、それでも案外タフなことに驚いた。言ってしまえば全身に無数のナイフを突きさされたのと同じはずだが、その声は痛みに喘いでいるという風ではない。いや、痛みに慣れているのか?


「他にも、仲間がいるんだろう。俺を殺すためだけなら、屋敷に仲間がいるのは何故だ?」


「あ?」


「屋敷に仲間がいるのは、何故だと聞いてる……!」


「……へえ」


俺が目線で屋敷の方向を指し示すと、スピンは一瞬キョトンとした後に笑った。

仮面の端が割れ、まだ幼さが残る瞳が見えていた。


「意外とするどいじゃねぇのぉ。だが残念だな、さっきも言ったが俺らは大して聞かされてねぇのよ。デリバリー・マーチェスがあっちで何してるかは本当に知らねえんだなぁ」


作戦についても知らない。依頼主も知らない。

ただここで俺を殺す為だけに現れた2人。

スピンの言葉にどこまで信憑性があるかなど知った事ではないが、有用な情報はこれ以上得られそうになかった。


「……分かった、もういい。自分の目で確かめる」


俺はそう言って瀕死の二人の横を通り過ぎようとする。

とどめをさすのが面倒くさいとか、これ以上やったら人殺しになるという葛藤に興味は無かった。今はとにかく時間が惜しい。――なのに、


「おいおいおい、なに俺ら無視して行こうとしてんだよ。そりゃねえぜおい!」


血まみれの仮面をかぶったスピンがにやけながら俺を呼びとめた。


「なぁ、バーズビー。ひどいよな。可哀想だよなあ。こんな惨めな事はねぇぜ」


「うん。ひどいよ。悲しいよ。だって血がいっぱい出たんだ」


「よしよし、だがちょうどいいぜバーズビー。だってお前が自分で自分を刺す必要が無くなったからな、そう考えたら、ちょっとは可哀想じゃなくなるだろ?」


「あっ。ほんとだ。スピンは頭がいいなぁ」


スピンがズタボロの腕を伸ばす。

それに応じるように、バーズビーもずるりと体を動かした。

痛々しくて、あまりに見ていられない。まるで足をもがれた虫がもがいているかのようである。しかし、男たちの目の色は諦めではなかった。

スピンの指先が、バーズビーに触れる。


「よぉし、バーズビー。『パペットモード』だ……!!」


「うん!!」


瞬間、地面に力なく転がっていたはずのバーズビーの体が飛び跳ねた。

動けないはずだと安心していた相手がまるでバッタのように、不気味に飛び跳ねる。

全身が血まみれであちこちの筋が切断されているだろう男が――。


バーズビーの背中におぶさったスピンが、顔だけを覗かせて叫んだ。


「さあさあさぁああ! 世にも奇妙な血みどろ操り人形の殺人鬼だぁ! 縦横無尽に飛び回り、そしてお前の首を刈り取るぜ、ほらぁ!!」


シイッ――!


という風を切る音が聞こえたと思った瞬間、夕陽に煌く線が走る。

俺は本能的に避けようとし、だが背中に激痛が走ったので無様に地面に頭からつんのめることになった。直後、後頭部を強風が通り抜ける。

俺が顔を上げると、バーズビーがナイフを右手に持って、首だけでこちらを振り返っている。


「くっそ、外した!! すまねぇ、バーズビー! 腕がもげそうで思うように魔力が込められねえんだ!!」


背中のスピンが、バーズビーに向かって声をかける。


「いいよ。大丈夫。次は当たるよ」


バーズビーは肘を肩の高さまで持ち上げ、糸で吊られたみたいにカクカクとした動きで頷く。俺はあわや首が跳ねられかけた事実に戦慄すると同時に、混乱していた。

ろくに身動きも取れない瀕死状態の奴らが、何故あんな動きができる。


「ひひひはっはっはははぁ!! バーズビーの動きが読めるかぁ!? 大層な魔法も当たらなきゃ意味がないぜ!?」


ナイフを両手に持ったバーズビーが跳ねる。

地面を人つけるたびに別の場所に移動する様は、瞬間移動と言った方がしっくりくるほどだ。


「な、なんだこれは……!?」


「当ててみようぜ、ロニーちゃん!! 考えてるうちにお前は死ぬんだけどなあ!!」


スピンの声を合図に、バーズビーの体がぐんと音を立てて、さらに加速する。


「ごめんね。ごめんね。痛くしないから。痛いのは嫌だよね。だから。……死の?」


瞬きをするほどの間に距離を大幅に詰めてくる仮面の男が、死の予感を運んでくる。

もう目の前までそれは来ていた。


とにかく、杖に魔力を込める。

イメージはダミアンの光莉魔法だ。強度は及ばずとも、横に大きく伸ばした氷は、壁として機能するはず。バーズビーはそのまま頭から壁に突っ込むはずである。


「甘い甘い甘い甘ァい!! そのくらいのことは想定内なんだぜぇ!!」


壁の向こうからスピンの声が聞こえ、嫌な予感に頭上を見上げる。



「ばあ」



見上げた先、5メートルはある氷の壁の上から、仮面の男たちがこちらをまっすぐに見下ろしていた。


「あへは。へっへ。残念。終わりだよ」


「ああ、可哀想になあ」


バーズビーが奇妙な笑い声を上げながら、ナイフを持ち直す。

スピンの左目が笑う。

俺は、ため息をついた。


「お手上げだ……。今分かるのは、あの小さい方が何か小細工をしているという事だけだな。でも今は、考えている時間が惜しい……!」


「?」



――――ボフン!!


緊迫感にそぐわぬ音が草原に響いた。

視界が真っ白に包まれる。

夕日の光さえ遮るほどの、濃い水蒸気が生じたのである。


「――ああっ!?」


戸惑いの声を上げる2人を、濃密な水蒸気があっという間に飲み込んでしまう。


「くそっ! これじゃあ、意味が……!! バーズビー!! この気に乗じて逃げる気だぞ、探せ!!」


「で。でも。こんなんじゃあ探しようがないよぅ」


「おい! ロニー・F・ナラザリオ!! 何やってんだてめえ!! ぶち殺してやるから出てこい!! 死ね!! 死ね死ね死ね死ね死ね!!」


スピンの語気は荒いが、明らかに先ほどまではなかった不安の色が含まれていた。


「奴も手負いだ!! 近くで身を潜めてやり過ごそうって腹かもしれねえ!! とにかくナイフを振り回しゃあ必ず――」



「……何も見えず動けもしない。それが不安なのは分かるが、この状況で大声を上げるというのは愚の骨頂だな」


ゴッ、ゴッ……!!


鈍く思い音が二つ響いた。

小さな呻き声とともにスピンとバーズビーは重なり合って倒れ込む。

傍には、彼らの頭と同じほどの大きさの氷の塊が転がった。





杖を振ると、ワイパーで拭ったように視界が綺麗に晴れる。

草原の上には、今度こそ沈黙した二人の男が横たわっていた。


「……はあ……っ」


脱力感と共に俺は地面に膝をつく。

その振動で背中の傷に衝撃が走り、血が溢れた。


だが、せいぜい数滴だ。絆創膏のように魔素で覆うという応急処置はそれなりに功を奏しているらしく、傷口の色が濃く固まりかけているのが分かった。


「屋敷に……、はぁ、屋敷に帰らないと……」


俺はふらふらとした足取りで、丘を下った。

仮面の男二人に会敵してどのくらい経ったろう。もし屋敷にもこいつらの様な輩が行っているのだとしたら、もしかして、もう……。


頭をよぎる不穏な想像を振り払う。

そうしなければ、屋敷に帰るまでの数十分の帰り道の間に、不安で狂ってしまいそうになるからだ。


「そもそも、こんな状態で俺が屋敷に辿り着けるのかがまず問題だ……。くそ……、なんでこの世界に119はないんだ……」


痛みを誤魔化すためにそんな益体のない愚痴をこぼしたところで、不意に俺の名前を呼ぶ声が下。


「ロニー様!!」


日が落ちかけているせいで一瞬分からなかったが、声の主が駆け寄ってきたのですぐに正体が分かった。


「ロニー様!! ご無事ですか!?」


「ジェ、ジェイル……?」


「姿が見えないので随分と探したのですよ……。お待ちください、服が血まみれではないですか! いったい何が!?」


「……ああ、あいつらだ。っ、すまない、ちょっと肩を貸してくれ……」


ジェイルは寄りかかる俺を両腕で支えながら、草原に横たわる二つの人影を視界にとらえて、顔を歪めた。


「やはり、ロニー様の所にも……!」


心臓が嫌な音を立てて軋んだ。


「やはりというのはどういう意味だ。屋敷のみんなは……、ヨハンは、お父様やお母様は無事なのか……!?」


「子細な状況は私にも分かりません。とにかく、ロニー様の無事を確認しなければとここまできたのです。まずは、とにかく今は自分のお体のことをご心配ください」


ジェイルは心配げな目線で俺を見下ろすが、屋敷で何が起きたかは判然としない。

どころかジェイルには何者かが屋敷に現れたというところしか分かっていないようで、彼はいち早く俺の身を案じここまで……。


「――――――」


待てよ?

それっては、おかしくないか?


俺は思わず、もたれかかっていたジェイルの体から身を離した。


「いかがされました……? 早く逃げなければ……」


「ジェイル、いくつか聞きたい。まずどうしてここが分かった。俺は屋敷の誰にも行き先を告げてなかったのに」


「――――」


「そもそも屋敷を誰かが襲ったんだろう? その正体も確かめぬまま、父や母はほったらかしにしてここまで来たのか? 屋敷から数十分離れているこの場所に……?」


「ド、ドーソン様からの命令なのです……! ロニー様をいち早くお守りするようにと……!」


「お父様にだって俺の居場所が分かっていた理由がない。屋敷から外に向かったのを見た者がいたとしても、ここに居るとは限らないはずだ。むしろ街に下ったと考える方が自然じゃないのか?」


一刻を争う事態だ。こんなことを問いただしている時間はない。

それでも俺は尋ねずにはいられなかった。納得できる理由があればそれでいい、でもジェイルは意図的に明言を避けている気がして、それがとにかく気持ち悪かった。


先ほどまで抱いていた悪い予感よりもさらに、それは最悪な予感だった。


「ジェイル、答えてくれ。何故ここに来た。どうしてここが分かった。屋敷では一体何が起きている……?」


「…………」


二人の沈黙の間を、血の匂いを含んだ夕暮れの風が吹きすぎていった。

ジェイルはしばしの間、黙って俺を見つめ、やがて耐え切れないように口を開いた。


「いい加減に、していただけませんでしょうか……。悪趣味でしょう、あまりにも……」


「…………?」


それは俺に語り掛けた風ではなく、別の誰かに語り掛けているようだった。



「――――残念、面白くなりそうだったのにな」



背後から声がした。

俺は反射的に声がした方向を振り返る。

瞬間、俺の右手の杖が、水の刃で細切れにされた。


俺の背中の傷に蓋をしていた魔素が融解し、溜まっていた血が大量に俺の脚を伝う。


「うちの部下を随分可愛がってくれたようでありがとうよ。やけに慎重な依頼だと思ったが、保険をかけたがった理由も分かるぜ。だがまあ、自分の生命線をそんな風に分かりやすく晒す時点でトーシロだよ。危機感が足りねえ、今まさに殺し屋に襲われたばかりだってのに、お粗末に背後を取られてんだからな」


振り返った先で、男が1人、怠惰そうに立っていた。

その男は先の二人のようにコートを着ている訳でも、仮面をつけているわけでもない。

だけれど、俺は絶句する。頭が真っ白になる。


「まあ別に責められるこっちゃねえか。ご立派な豪邸でお幸せに暮らして、ついこの前魔法が使えるようになって浮かれてたんだからな。俺らみたいなアンダーグラウンドな輩なんて、存在さえ意識してなかっただろうさ。それも身内に裏切られるような真似されちゃあ尚更だ。だからまあ、しょうがねえ」


「――――――」


「しょうがねえが、とりあえず終わりだ。――――――死ねよ」



俺に死を告げたのは、

俺と全く同じ顔、

背丈、

服装をした


【俺自身】だった。

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