第26話 ナイフ


次の日、長かった雨が明けた。

窓から差し込む久方ぶりの陽光に目を覚まして、俺は首を持ち上げる。


「…………ンあ?」


俺はそこで自分がベッドではなく、机に突っ伏して寝ていたことに気が付いた。

見れば机に無様なよだれの跡が残っている。


「やっべ」


俺は慌てて口元をぬぐい、机の上を片づけようとした。

しかし、書きかけだったはずの紙が見当たらない。

確か氷魔法についてさわり部分を書きかけた所だったはずだが、机の下にでも落としてしまったのだろうかと、足元を覗き込む。


「……起きたか」


ふと、机の下に潜り込んでいた俺の背中に聞きなれない声がかけられる。

俺はその声に驚いて、机の下に頭を打ち付けてしまった。


「お、お父様……!?」


振り返れば資料の束を手に持ったドーソンが窓際に立っている。


「な、なぜお父様が俺の部屋に……?!」


「勝手に入ってはまずかったか?」


「いや、そ、ういう訳ではありませんが」


「朝食の席にまたお前の姿がなかったので様子を見に来たのだ」


「そんなことで、わざわざお父様がお越しになることは……」


ドーソンは狼狽える俺を横目に、資料を机の上にそっと戻す。


「――と言うのが建前で、お前の魔法研究に少し興味があったのだ。この前の話だけではよく分からなかったのでな」


俺はまさか父に見せることになるとは思いもしなかった資料を慌てて整え、散らばった筆記具も整頓した。


「ま、まだお見せできるほど大したものではありません。自分が読むために雑に取りまとめただけですから」


「たしかに多々理解の及ばない所はあったが、興味深い所も多かった。勉強が不得手だったお前の書いたものとは信じられない。子供とは知らぬ間に成長しているものなのだと驚かされた。もっと早くに、気付いていれば……」


ドーソンがわずかに目を伏せて言う。


「何故隠していた?」


父が言っているのは魔法の発現の事ではなく、おそらくこの研究自体の事だ。

それは純粋な疑問のようでもあり、半ば俺を責めるようにも聞こえた。俺は一応のため用意しておいた答えのうちの一つを返すことにした。


「不信心だと、叱られるかもしれないと思っておりました。この資料の中には精霊という言葉が入っていませんから」


ドーソンはすこし考えた後に、指を顎に当てて頷いた。


「なるほど。確かに精霊の話が出て来ない魔術研究資料というのは初めて目にした。先日の手合わせを見ていなかったら到底受け入れられなかっただろう。だからああした場で披露するのがよいと判断したわけか」


「そ、そうです」


「…………」


二人の間に何とも言えない沈黙が流れる。


俺の始めた研究がこの世界の人々――、信仰の厚い人々からは特に反発を買うだろうというのは研究開始当時から懸念として存在していた。幸いドーソンはそこまで過敏な反応を示さなかったが、しかし俺がこれまで考えを明かそうとしなかったのは、その点を心配しただけではない。その理由を、俺の中のロニーが唇を噛んで訴える。


――これまであなたが、僕を見ていなかったからじゃないか。

――僕が何をしようと、僕が何を考えていようと、一切の興味がなかったからじゃないか。


実際、ドーソンらの今の掌返しの様な態度を揶揄したい気持ちはある。

随分と都合がいいものだと言ってやりたい気持ちは嘘ではなかった。

母のエリアなどさらに分かりやすいもので、一件以降、急に呼び方がロニーちゃんに変わったではないか。それ以外の使用人も結局は同じだ。

ヨハンやカーラのように、魔法のつかえない俺を認めてくれていた者はほんのわずかだった。


「……私を、恨んでいるか?」


そんな俺の内心を見透かしたようにドーソンが問うたので、俺はどきりとした。


「恨む、ですか?」


「ああ」


ドーソンは短い問いにそれ以上言葉を足すことはない。

彼がどういうつもりでその問いを投げかけてきているのか、その本当のところは分からない。


改めて心の中で自問自答する。

俺は目の前にいる父親を果たして恨んでいるのだろうか。

憎く思っているのだろうか。少し考えた後、俺は短く簡潔に答えた。


「……恨んではいません。俺は魔法が使えなかった頃も充分恵まれていたのだと思います。

寝る場所と食事を与えられ、好きに時間を使うことが出来た。それがなければ、今の俺も無いんですから」


飾る所のない俺の本心だった。

感謝をしているとはとても言えない。だけれど別に恨んでいるわけでもないのだ。

あの時――――。ドーソンから「誇らしい」と微笑みをかけられた時、心の中の凍り付いた部分が溶けたこともまた確かなのだ。感情はYESかNOかで表せるほど単純ではない。そこに16歳の青年が混じっているのであれば尚更かもしれなかった。


「…………そうか」


ドーソンは短く頷くと、それ以上何も言わず俺の部屋を後にした。

最後に彼の表情によぎったのは、一体何の感情だったろうか。


しばらく閉まった扉を見つめていた俺は、やがて腹が鳴る音を聞いてはっと我に返ったのだった。





朝食を摂り終え、俺は中庭から声がするのを聞いて様子を見に来てみた。

声の主はヨハンだった。


「あ、兄様!」


俺の姿を見るや否や、手に持っていた剣を放り捨てて駆け寄ってくる。

それまで剣を交わしていたらしいジェイルも、俺に会釈をした。


「精が出るな」


「うん、見て汗だく! でも部屋にこもって勉強してるよりは何倍もマシだよ!」


「確かにお前はそうだろうな」


額に汗の粒を浮かばせたヨハンは満面の笑みで俺にまとわりついてくる。

着替えたばかりの服に汗が付くので引き剥がした。


「本当に母様ったらずっと部屋から出してくれなくてさあ。兄様が魔法を使えるようになってから特にだよ。兄様が寂しがってるから遊んであげなきゃって言っても、聞いてくれないんだ」


「俺が魔法を使えるようになってから?」


気になった部分を聞き返すと、額の汗をぬぐうジェイルが代わりに答える。


「先日の件がございましたから、エリア様の教育熱がまた盛り上がったのでしょう。ロニー様に家庭教師をつけるという案が却下されてしまったので、その分の余波がヨハン様に向いたようでございます」


「まったく、思わぬ弊害だよ」


「……睨むな睨むな」


ヨハンのジトリとした目線に、俺は苦笑するしかない。

もしジェイルの言ったことが本当なら、実際ヨハンにとったらいい迷惑だろう。


「今日はもう休憩になさいますか?」


「そだね。そうしよっか。

なにか甘くて冷たいモノ飲みたいなあ」


「かしこまりました」


ジェイルはそう頷いて屋敷の方へと歩いて行った。


俺はヨハンに手を引かれ、横並びで芝生に腰かける。

空を見上げると一かけらの雲もない突き抜ける青空。

本当に昨日までの長雨が嘘のようである。


「ねえ、兄様。ちょっと見て欲しいものがあるんだけど」


「ん?」


「水魔法をねまた練習したんだ。その成果を見て欲しいんだよね」


「そりゃあ構わないが、しかしせっかく休憩するところだったのにいいのか?」


「いいのいいの」


ヨハンはおもむろに立ち上がり、見慣れた動作で右手に魔力を込め始めた。

しかしすぐに現れるはずの水の球はなかなか姿を現さない。だがヨハンは唇を結び真剣そうである。黙ってそれを見守っていると、手のひらの先にわずかにきらめくものがある事に気がついた。


「ん」


俺は思わず顔を寄せる。

日の照る屋外という事もあり、細かな光の粒は肉眼でははっきりとは分からない。

しかし確かに、何か変化が起こっている。


「……どぁあ、駄目だー! 限界! 見えた? 部屋の中だったらもっと分かりやすいんだけど」


「もしかして今のは、氷の粒か?」


俺がヨハンを見上げて尋ねると。ヨハンは満足げに頷いた。


「そういう事だと思う。結構前から寝る前に氷魔法を練習してたんだけど、なかなかうまくいかなくてね。あえて、水をボールにする前の段階で固めてみるように意識したんだ。そしたらちょっと進歩があったの」


「なるほど、空気中の水分子をあえて魔素で増幅させず、魔素のままの状態で停止させれば、周りの水分子も止まる。意識する対象が魔素だけな分やりやすいのかもしれないな」


「…………た、多分それ」


「お前の発想力には驚かされるな」


俺が素直に称賛の言葉を向けると、ヨハンは満足そうに笑って再び腰を下ろした。


「はあー、とりあえずこれが途中経過ね! こうご期待!

でもこれすごい疲れるんだよね、何でだろうね」


「きっと慣れない魔力操作だからだろう」


「つまり慣れればいいわけか。じゃあまだまだ練習だなあ」


そう腕組みをして鼻息を鳴らすヨハンを、俺は微笑ましく見つめた。


「お前が勉強熱心でお兄ちゃんはうれしいよ。座学の方もそのくらい楽しんでやれればいいんだがな」


俺はそう言って芝生に寝転がった。

ヨハンなら「嫌いなものは嫌い」とすぐに拒否反応するだろうと思ったが、寝転ぶ俺の顔を思案顔でのぞき込んできて言った。


「じゃあ兄様が勉強を教えてよ」


「……え、俺が?」


「それなら頑張ってあげてもいいけど?」


「どういう態度なんだそれは。しかし俺にお前の勉強が教えられるかな……、今何をやってるんだ?」


「数学」


「あー、なら出来なくはない……かな? 分からないが」


「兄様が分からなかったら、僕が教えてあげるから」


「それはもはや訳が分からない」


「いいじゃんいいじゃん」


俺の体をヨハンがゆさゆさと揺らす。


「分かったよ、分かった」


「やったー!! 兄様大好き!!」


結局その日の午後は、ヨハンの部屋で一緒にお勉強をして過ごすことになった。

幸い俺の前世の知識の範囲内だったので、兄の面目は辛うじて保つことが出来た。





夕暮れの風が俺の足元を吹き抜ける。


視界に映るものすべてが赤く染められ、遠くの山の稜線を見やれば溶ける様な太陽が半身を浸していた。


俺は祠へと続く林道を上っていた。

ヨハンとのお勉強会が一段落し、俺は適当な理由をつけて屋敷を抜け出した。せっかく雨が上がったのに、セイリュウの元を訪れるのがこんな時間になってしまったのは申し訳ない。

せめてもの気持ちに、鞄に数冊の本を持ってきていたのだが歓迎されるかどうかは微妙だ。俺以外がどんな本を面白いと思うのか、よく分からないからである。


「しかし、今日も今日とて人影はないな。こんな人里離れた丘の上にあってはしょうがないが、あいつが寂しがるわけだ」


頭上で葉がすれる音の満ちる林道を抜け、丘の上に出る。

丘の上の祠は、夕日を受けて黒く濃い影を落としていた。

これもまた幻想的だ。


ここ数日の出来事を反芻しながら、膝丈ほどの草をかき分けて進む。

俺は、自分が少しウキウキしていることに気が付いていた。

セイリュウに報告する事が、手に余るほど出来たからだろうか。


「まずはお披露目がうまくいったこと。ヨハンのこと。湖の事。あとは王都へ来ないかと言われた事か。ひょっとすると、あいつからは全力で引き留められるかもしれんが……」


あとは、父と母と一応なり折り合いがついたこと。

甘いとかなんとか言われそうだが、こればかりは家族間の事だ。


そう言えば他の属性の魔法について、セイリュウはどのくらい知っているのだろうか。案外水魔法以外はあまり役に立たないかもしれない。

だが今後の事を考えれば、一度まとめて聞いておきたいところだ。万一王都に行くことになったら、ここへはあんまり帰ってこれないかもしれないし。


いや、気が早い気が早い。

まだ決まってないんだから。


俺は自分の中で勝手に期待溢れる想像が膨らんでしまう事に、苦笑を漏らした。

無邪気に喜ぶロニーを、山田陽一が呆れながら宥めているかのような場面が浮かぶ。

そして困ったことに、優勢なのはどうやらロニーの方らしかった。


『いいじゃないか、浮かれたって。今浮かれなくていつ浮かれるんだ。だって、これから全部うまくいくんだよ。魔法が使えるようになって、お父様やお母様にも褒められて、王都の最高の魔術師にスカウトされて。僕らの人生はこれから始まるんだ!』


いいや、分かってない。

人生ってのはいつどこでつまずくか分からない。こういう時こそ慎重にだな――――





ズブ。






……え」


声が漏れた。


背中に焼ける様な感触があり、俺の足が止まる。

振り返ると、やけに暑そうなコートを着た人影が立っていた。


表情は見えない。

何故ならそいつは仮面をつけていたからだ。



俺は足に力が入らなくなり、その場に倒れた。

その衝撃で辺りに飛沫が飛ぶ。なんのって、赤い飛沫だから血じゃないか?


「――――――」


そう意識した途端、背中に激痛と呼ぶにも可愛い程の激痛が走った。

慌てて俺が痛みの元に手を伸ばすと、何かの取っ手の様な物が指に当たった。


仮面の人物が2人、無言で俺を見下ろしているのが見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る