第25話 余韻



ダミアンが屋敷を発ってから、2日経っても雨は止まなかった。



食事の時、母エリアがこんなことを持ちかけてきた。

俺にも家庭教師をつけた方がいいのではないかと言うのである。

あまりに今更だろうと思ったが、魔法が使えるようになったのだから当然だ、というのがエリアの言い分である。

正直そんなことに時間を取られたくないと思い、どう断ろうかと思案していたところへ「そんなものは不要だ」と言ったのはなんと父ドーソンだった。


母は「どうしてよ、ロニーちゃんのために家庭教師をつけるくらい惜しくもないでしょう」と不満げに反論していたが、ドーソンが「ロニーには一人でやらせた方がよほど為になるだろう」と言うと、母は少し考えた後にしぶしぶ同意を示した。

ヨハンも、そして俺も父に同意し、家庭教師をつける話は一旦なしになった。



俺は雨で外に出られないので、食事以外はほとんどずっと部屋にこもることになった。


「王都へ来ないか」というダミアンからの提案を、ベッドの上でぐるぐるぐるぐると考えてしまう。


俺が、王都で研究者になる。

考えれば考えるほど、それは実感のわかない提案だった。

王都など物心つく前に行ったきりだし、そもそも田舎貴族の俺が特別待遇で招かれても冷ややかな目線を浴びるだけなのではないか。

ヨハンが16歳になったら王都の魔術学校に入学させたいという話は昔から母の望みだが、才能のない俺には関係のない話だともはや関心すら抱いていなかった。

俺は一生このまま、ナラザリオ領で過ごすのだろうなと勝手に決め付けていたのである。


両親には、ダミアンからのこの提案をまだ話していない。

ヨハンにだけは相談してみようかとも思ったが、こんな時に限って遊びたがりな弟は遊びにやってこない。聞けばどうやら母に捕まっているらしい。腕白なヨハンを勉強させるには、雨で外に出れないというのはいい口実のようだ。


という訳で、俺は部屋で1人ずっとソワソワしている羽目になった。やっと再開できると思った研究にもまるで手がつかない。

果たして俺は浮かれているのかもしれなかった。そして、もしかしたら悩んでいるフリをしているだけで結論はもう決まっているのかもしれない。

王都に行きたい気持ちと行くのを戸惑う気持ちを天秤に乗せて楽しんでいるだけかもしれない……。そんなことを思うにつけ、1人で勝手に気恥ずかしくなった。



雨が上がったらとにかく一度セイリュウの元へ訪ねよう。

そうすればこの浮ついた心もいささか落ち着くことだろう……。と思うのに、空模様はずっと機嫌が悪いまま。


俺は早く雨が上がることを祈りながら、昼寝に逃げることにした。

今度セイリュウに本を持って行ってやってはどうかなどと思いながら。





気づけば随分と長く眠っていたようで、外を見れば夜だった。

雨の音が響く中、時間も分からず俺が起き上がると、ふとドアの外で何かの音がした。


灯りをつけ、ドアを開けて廊下を覗いた。

しかし、そこには誰の気配もなかった。


ネズミだろうか。

俺はそう思い、鍵を閉めてまた布団へと潜り込んだ。





さらに二日が経った。


しかし、梅雨にでも入ったのかと思うほど、雨はずっと降り続けている。窓から空を見上げても、雲の切れ間さえ見えない有様だった。


一度ヨハンが悲鳴を上げながら俺の部屋に逃げ込んできた。が、すぐに使用人に連れられて行った。許せ弟よ、お前を解放してやる力は俺にはない。


だが、そんなヨハンの姿を見て俺にもいい加減罪悪感がわいてくる。

パラパラと内容の入ってこない本を眺めながら雨が止むのを待っていたらいつの間にか4日も経ってしまったのだ。これではあまりに非生産的だ。


そうして、俺はようやく重い腰を上げた。


別に誰に向けた言い訳という訳でもないが、研究に手をつけることが億劫になっていたのはダミアンからの提案で頭がいっぱいだったから――、というだけではない。


湖での一件以降、魔法を使うことがどこか恐ろしく、無意識に逃げていたのである。

ダミアンのフォローで幾分か落ち着いたにしろ、いざ魔法を使おうと思えばしり込みをしてしまう。


「――――しかし、いつまでも現実から目を逸らしているわけにもいかんか……」


王都へ行くにしろ、そうでないにしろ、この先の人生を魔法の研究に捧げることを俺はすでに誓っている。ならば、これは速やかにクリアするべきハードルなのだ。うじうじするなロニー。そうでなくても今までの不遇な16年間を取り戻さねばならないというのに。


俺は自身を叱咤し、ついに思い切って杖を手に取る。少し迷ったが、樹皮をはがした方の杖を選んだ。


しかし、杖を握ると否応なく、4日前の湖の光景が脳裏をよぎる。

眼前にあまりにも巨大な水の塊が浮かんだあの光景は、もはやトラウマと呼ぶべきものになっていた。

だが、それが深刻化する前に上書きをしなければ、今後研究など出来ようはずもない。


「……そもそも科学とは、手に負えなかったものを人類が発展するために手なずけてきた歴史だ。ダイナマイト然り、拳銃然り、自動車然り。普通の魔法だって使いようによっては人を殺めることが出来る。技術や現象自体に罪はなく、要は使い手次第なんだ……」


俺はそう自分に言い聞かせる。

ダミアンが言い残した言葉も、俺の背中をそっと押した。


『君なら心配ないだろう。仕事柄、人を見る目はある方でね』


杖に魔力を込めた。

念のため窓を開け、誰もいないはずの裏庭へ杖の先端を向けている。


「――――」


手がやや汗ばんでいる。

イメージを浮かべると、杖の先端が光る。

シュルルルルと言う音を立てて、水の粒が形を得ていく。

心臓がドクンと脈打ち、俺は半ば祈るように目を閉じた。





瞬きをすると、野球ボールほどの大きさの水の球が、静かに杖の先端で回転をしていた。


「…………どはあああああ、よかったぁ」


少し大きくしようと思えばその通りになり、回転を速めようと思えばその通りになる。どうやら俺は、ダイナマイトの火薬量を適切に見極めることが出来るらしかった。


ただ、安心するとともに確かな変化にも気づく。


「――やっぱりと言うべきか……、魔法を使うときの体感が前の杖の時とはまるで違うな。全く抵抗がないと言うか、軽いというかなんというか」


俺はそう呟きながら、樹皮が付いたままの杖に持ち替えてみる。そして全く同じように魔法を使ってみた。


水の球が生まれ、放物線を描くように外に放る。


「うむ。魔法を込める時に使う力が全然違う。新しい方が圧倒的に軽い……。

…………いや、違うな。古い杖が重たいと、言うべきなのか」


それは、考えてみれば至極まっとうな事なのかもしれなかった。

枝の内部を魔力が多く流れているのならば、周りを覆う樹皮はそれが外に流れ出ないような役割をしていると見るべき。

つまり杖としての役割で考えた時には、皮を取り除いた状態が十全な状態なのだ。


魔法を素の状態で外に放出できない俺は、いわば蛇口のついていないタンクである。

その蛇口が実は錆びついていて、それでも無理に水を出そうとしていたのが今までの状態。

その錆が急に取れたので、湖で俺の魔力は制御が効かなくなり暴走した――。


「そう考えれば、一旦筋は通る……。要は蛇口の捻り方さえ間違えなければいい。爆薬を使うのにだって資格がいるんだから、そう考えれば特別な事じゃない、か」


4日も魔法の反復練習をしていたくせにこんなことを思いつきもしなかった。

後は果たして今の状態が本当に十全な状態かどうかの検証が必要。枝の形、長さ、樹皮の有無の加減、枯れ枝と若枝の差、使用による疲労ペース等々だ。


「しかし非常に感覚的な話だから、データを取るのが難しい……。

同じ量の魔力を注げる確証があればいいが、いかんせん人間の匙加減……。

でもまあ、いろいろな杖のパターンで一番使いやすいものを選定しておくのは、必ず今後の役には立つはず、だな……」


そうして机の上に杖の候補となる枝を並べ、メモの用意をした。

あわせて、滞っていた水魔法についての資料作成にもようやく取り掛かり始める。


ここ数日間俺を内から責め立てていた不安や心配の元凶は、たったこれだけのことで取り払われたらしい。

そう思うとなんだか馬鹿馬鹿しかった。


「今後の、役に……」


俺はもう一度そこまで呟いて、口を噤んで首を振った。


そもそも、どこへ行こうがやるべきことは変わらないのだ。

今考えるべきなのは、今目の前にある事象のみ。あるか分からない未来に気を取られて、今がおろそかになっては本末転倒である。

未来に期待を馳せる前に、足元の階段を踏み締めるべきだ。


俺はそんな当たり前のことに遅ればせながら気づき、ようやく資料作成に没頭し始めるのだった。


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