第2話 ヒスイの瞳

_____梅雨の時期に入った



学校は、来月にある介護実習に向けての実習対策で大変だ


二人一組になって、車いすの練習や歩行の介助、ベットからの移動など・・・


「萌!ちょっと待って!スピード早いよ~。

 怖いから、もう少しゆっくり車いすを押して・・」


「うっそ~!?結構ゆっくり押してるよ~。

 瑠璃は怖がりなだけなんじゃないの~」


「ホントだから、変わってみて。萌が座ってね」


「イヤ!ちょっと、瑠璃!わざとしてない、怖いから・・」


「ほら、やっぱり怖いでしょ。目線が低い分怖さも増すね」


「ホントだよね~、車いすがこんなに怖いとは知らなかったよ~」


実習で初めて知ることも多かった・・


私は萌と組んでなので、気兼ねなく出来たが、これが他人なら


私も相手もこうはすんなりいかないのだろう


頭で考えていたよりも重労働で気を遣う仕事なのだと思った


介助する人が男の人だったら・・・


今まで男の人と触れ合う機会なんてなかったから、同年代の男子には緊張

してしまい少し抵抗がある。


学校にはもちろん男子もいるが、出来るだけ避けていた


お年寄りの人なら・・・大丈夫だろう・・多分・・


学校が終わると真直ぐデュパンに向かった


扉を開けると珈琲の香りが鼻を擽る


「あ~、癒される~」


「るーちゃん、お帰り。荷物置いたら、これ運んでもらえるかな」


「はい、了解です!」



お店の外では、雨がシトシトと降っていた・・・


雨粒が窓に降り注ぐ



「るーちゃん、今日はもうお客さん来ないだろうから、ちょっと早いけど

 締めちゃおうか」


「はーい、分かりました!後片付けしちゃいますね」


テキパキと片付けていつもより早く帰宅することになった


「今日もご苦労様、明日も頼むね!」


「はい、明日もお願いします!」


駅の改札をくぐり傘をさした


シトシトと降る雨が傘を濡らしていく・・





自宅に向かって歩いていると右手に小さな公園がある。


子供の頃は公園のブランコや砂場で遊んだものだ


そこには1本の大きな楓の木が生えている。


懐かしさから、ふと公園に目がいった


その楓の木の側に白いものが見えた。


「・・・・・?」


少し気になって近づくと、「・・・犬?」


それは、白い犬に見えた・・・が、ちょっと違う・・・狐?


その犬に見えたものには、フサフサの尻尾が生えている


誰かの飼っている狐なのだろうか?


まさか、こんな街中に野生の狐がいるわけがないのだから・・・


そんなことを考えながら問題の狐を良く見ると、白い毛の足元が

赤く染まっている・・・


「あなた、ケガをしてるの!?」


私の声にビックリして逃げようとするが、足を引きずり思うように

体が進まないようだった。


「大丈夫だから・・逃げないで。

 お願い、私にあなたの足を見せてくれない?」


私の言葉が分かるかのように、不思議と狐は歩みを止めた。


「ケガをしてるんだよね。手当をしたいだけだから、少し見せて」


狐は一瞬考えるようにしていたが、私の下へ一歩一歩と近づいてきた。


「ケガを見せてね。ちょっとだけ、お水で洗うね」


バックの中に入れてあったミネラルウォーターを取り出し、狐の足にかけると、

血が中から滲み出てくる。


噛み痕のようにも感じる、犬にでも噛まれたのかもしれない。


「・・何もないよりはいいよね・・・」


ハンカチを狐の傷口に巻き結ぶ。


傷口から目線を上げると、私のことを見ている狐の目と私の目が重なった。


引き込まれそうな程深いエメラルドグリーン・・・


まるで翡翠ヒスイのようだと思った


「このケガだと大変でしょ。ケガが治るまで家においで」


気がつくと、そう声を掛けている自分がいた。


「キャン」


「私の言っている事が分かるの?」


「キャン」


「あなたは少し大きいから抱っこできないけど、少し歩ける?」


「キャン」


まるで本当に私の言う事が分かるみたい・・・


私が歩き始めると、少し後ろからヒョコヒョコと足を引きずりながら

着いて来ていた。


「・・ただいま」


暗い家にいつものように声を掛ける。


「おいで・・ここは、私の家よ。私ひとりだから安心してね」


「ク~ン」


リビングにクッションとタオルを持ってきて狐の場所を作る


「何か食べようか‥狐って何を食べるの?」


スマホで調べると雑食らしい・・


しょうがないので皿に牛乳、もう一つの皿にご飯と味噌汁をかけ

“ねこまんま”にしてみた。


「どうかな?食べれる?」


「キャン」


狐は返事と共にお腹が空いていたのかガツガツ食べていく


「お腹が空いていたのね」


食べている狐を改めてよくみると、真っ白な毛は色艶もよく手入れが行き

届いているようだった。


そして、左の耳には深いエメラルドグリーンの石が光っていた。


「あなたの目と同じ色の石ね」


「そうだ、ここに居る間だけでも名前をつけよう!


 “翡翠ヒスイ”っていうのはどうかな?


 あなたの目も耳飾りも翡翠のように綺麗だから・・」


「キャン!」


「気に入ってくれたの?良かったぁ~。

 私は瑠璃よ。じゃあ、翡翠よろしくね!」


「キャン!」


食べ終わった翡翠の皿を片付け、さっきのケガした足に巻いた


ハンカチを取ってみると、血は止まっていた。


「結構酷いケガだと思っていたけど、思ったより浅い傷だったのかな?

 血が止まって良かったね」


微笑みながら頭を撫でてあげると、擦り寄ってくる。


「キャッ!可愛い~!あったか~い!」


白い毛がふわふわして、大きな尻尾もマフラーのように暖かさを感じた。


梅雨の時期の肌寒さには丁度いい感じだった。


「よし、今日はここで一緒に寝ようか!」


布団を持ってくると、翡翠が布団の中に入ってきた。


「この家で一人じゃないのは久しぶりだな~。なんか、嬉しいな。

 翡翠が来てくれて良かった~。

 本当は、一人が淋しかったんだよね・・・」


「ク~ン」


「翡翠、私の話を聞いてくれる?」


「ク~ン」


布団の中で翡翠に私のことを沢山話した。




両親が5歳の時に事故で亡くなったこと


大事に育ててくれた祖母が癌で亡くなったこと


一人になってしまったこと


祖母のためにと思って通った学校に肝心の祖母が亡くなってしまったことで

目標を失ってしまっていること


友達の萌のこと


バイト先のデュパンのこと


同年代の男子には緊張してしまい、未だに誰とも付き合ったことも


恋をしたこともないこと


それを、私の目をジッと見ながら静かに翡翠は聞いていた


「こんなに本心をそのまま話すなんて初めて・・・

 なんか不思議・・・翡翠にだと素直に話しちゃう。

 こんな、くだらない事を聞いてくれて・・ありがとうね」


「ク~ン」


「そろそろ寝ようか・・・おやすみ・・翡翠・・」


そのまま、私は眠りにおちていた




「おやすみ・・・瑠璃・・」



暗い部屋にその声は静かに消えていった・・


ユメウツツの中、生暖かいものを頬に感じて目を覚ました


「な、何!?」


翡翠が私の頬をペロペロと舐めていた。


「もう~!お腹空いたの?ちょっと待ってね」


「キャン!」


昨日と同じように牛乳とねこまんまを皿に用意し出してあげる


美味しそうに食べる翡翠に私の顔も自然と綻んでいた


「翡翠、今日は私、学校とバイトがあって帰りは20:00過ぎになるの。

 遅くなるけど大丈夫かな。

 お菓子ここに置いておくね。

 お利口にしてるんだよ。」


「ク~ン」


そう言って翡翠の頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めていた。


学校に行くと実習に向けての対策でいっぱいいっぱいの頭なのに

ふとした瞬間に翡翠のことを考える自分がいて・・


そんな自分に苦笑した・・


「何笑ってるの?面白いことでもあった?」


「ん~、何もないよ。そんなことより、萌は実習大丈夫そう?

 実習先、決まったのかなぁ?」


「どうかなぁ~?瑠璃と一緒の実習先だったらいいけど・・・」


「そうだよね~。私も萌と一緒がいいなぁ~」


実習先はまだ決まってない。


でも、そんなことより“翡翠お利口にしてるかな?”なんて考える

私はどうかしてるのかな・・・


学校も終わりデュパンに向かった。


「マスター、今日もよろしくお願いします!」


「お!るーちゃん、来たな!」


マスターより先に常連客の岩井さんが声を掛けてきた。


岩井さんは、ぽっちゃりした優しいおじ様で、少し出たお腹も

チャームポイントみたいなものだ。


私がバイトを始めた時から、話し相手になってくれていた。


マスターとは昔からの友人らしい。


「あ、岩井さん、いらっしゃいませ!


 岩井さんっていつもここに来てるけど、お仕事大丈夫なんですか?」


「大丈夫、大丈夫。ここには仕事の息抜きに来てるからね。

 ここの珈琲は癒しだからさ、ハハハハ・・」


「じゃあ、癒されたら、お仕事頑張ってくださいね」


「了解」


「るーちゃんもお仕事だよ。これ2番テーブルにお願い」


私と岩井さんの会話にマスターが声を掛けてきた。


「はい、2番ですね。じゃあ、岩井さんゆっくりしてくださいね。

 私は仕事しますから」


「はいはい、頑張って」


いつもの様に仕事をしていても時々思い出されるは翡翠のこと


お腹空いてないだろうか・・・


ケゲの具合は・・・



「るーちゃん、そろそろ閉めようか」


「はーい!了解です!」


時計を見ると19:30・・・


「マスター、今日も早めに閉めるんですね。」


「いや~、るーちゃんがやたら時間を気にしてる気がしてさぁ。

 誰か待ってるのかなと思ってな」


「えッ!イヤ、あの、待ってる人はいないんですけど・・

 ちょっと、友達のペットを預かっていて・・・」


「そうか、ペットかぁ~、まぁ、もうお客さんいないし大丈夫だよ」


「ありがとうございます!じゃあ、また来週お願いします!」


学校が休みの土日はバイトも休みをもらっている。


早く、翡翠の待つ家に帰ろう。


家に早く帰りたいと思ったのは、どれ位ぶりなのだろう?


祖母が亡くなってからは、暗い家が嫌でそんな風に思うことも


なかったな・・・。


狐であっても、家に誰かがいるのは嬉しいものなのだと実感した



ガチャ


暗い玄関に明かりをつけると、リビングから翡翠がスッと現れた。


「ただいま、翡翠!待っててくれたの?お腹すいてない?」


「キャン、キャン!」


「今、用意するから、ちょっと待ってね!」


「キャン」


翡翠はエメラルドグリーンの瞳をクリクリさせて擦り寄ってくる


「ほんと元気にしてて良かったぁ。

 ちょっと心配してたんだよ。ケガが悪化してたらどうしようとか

 お腹すいてないかなとか・・・。

 でも、ホントに良かったぁ~」


思わず私も、翡翠に抱き着いてしまう。


あ~、フワフワして気持ちいいなぁ~。


翡翠との抱擁を終え、テキパキと食事を用意する。


「また、ねこまんまでごめんね。

 では、いただきます!」


「キャン!」


一人ではない食事は思わず笑みがこぼれてしまう。


食事をしながら、今日あったことを翡翠に話していた。


私が話す度に、翡翠も私の目を見て聞いてくれている


そうすると不思議と狐というより、人と話している気がしていた


もし、翡翠が人だったらとっても優しい人な気がした・・



食事が終わり翡翠のケガをチェックすると、不思議と跡形もなく消えていた・・・


「ケガ・・・治ったみたいだね。

 そうだ、シャワーでも浴びようか?準備するから待ってね」


自分の着替えを部屋から持ってくると、翡翠と一緒にお風呂場に移動する。


「ん~、どうしたらいいかなぁ~。

 どうせ濡れちゃうし、翡翠は狐だしね、よし・・脱いじゃえ」


服を脱ぎ裸で翡翠とお風呂場に入ると、ジッと私を見つめる翡翠・・


「もう、あんまり見ちゃダメ!」


そう言って、シャワーを翡翠にかけてボディーソープで洗うと気持ちよさそうに

目を細め、泡だらけになっていた


綺麗に洗い流すとブルブルと身体を震わせ、水滴を辺りに飛ばしてきた。


「もう!やっぱり脱いでて正解だわ。ビショビショだもん。

 私が洗い終わるまで、ここで待っててね」


私も大急ぎでシャワーを浴び、お風呂場から出た。


翡翠の体をタオルで拭きドライヤーで乾かすと、サラサラの毛がとっても

気持ちいい感じ。


「じゃあ、お布団にいくよ!」


「キャン!」


「ねえ、翡翠。ケガも治ったみたいだから、明日公園に行ってみようか?」


「キャン!」


「じゃあ、明日は公園に決定ね!」


布団に入ると、翡翠も一緒に潜り込んでくる。


ホント、フワフワして気持ちいいなぁ~。


そんなことを思いながら眠りに落ちていった・・・



「おやすみ・・・瑠璃・・」





目が覚めると翡翠に包まるように寝ていたようだった。


「おはよう、翡翠」


「ク~ン」


「今日は準備して、公園だよ」


「キャン!」




公園に来ると翡翠と初めて会った楓の木の側にいってみた


「ここで、翡翠に会ったんだよね。

 この楓の木は私と翡翠を会わせてくれた思い出の場所かな

 翡翠は私とずっと一緒にいてくれる?

 もし、いなくなっても私の事、覚えていてほしいな・・・」


「ク~ン」


「覚えていてくれる?忘れないでね」


「キャン!」



「そうだ、喉乾いたよね。ちょっと、待っててね」


翡翠に楓の木の根元で待つように言い、自販機にミネラルウォーターを

買いに走った。



楓の木まで戻ってくると・・・翡翠はもういなかった・・・


「翡翠!翡翠!翡・・翠・・・。」



私はそのまま、泣きながら家までの道を帰った・・


ケガが治った翡翠がいなくなることは心のどこかで分かっていたんだと思う。


ただ、もっと先のことだと思っていた


酷いケガだと思っていたのに、次の日には治っていて


翡翠と一緒に過ごしたのは・・・たった二日・・



翡翠は忘れてしまうのかな


私は・・・



家に戻ると一緒に過ごしたリビングに翡翠を座らせていたクッションとタオルが

そのまま、そこにあった。



「また、一人か・・・」


私の呟きは、静かな部屋に消えて行った


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