テレスト
無茶な命令は出るし、外出は自粛になるし、嫌になるわと思ってたのはいつまでだったか。
今朝がた室長からきた業務連絡メールに思いがけない一文が添えられていた。
『休み中に面倒をおかけしますが』
ホントなんてことない一文だが、その裏に室長の変化が見えた気がした。あの人、独り身だったっけとか、いまも定期的に出社しなきゃいけないのかとか、おれのなかにも同情めいた感情が湧き、返信に『気にしないください』の一文を加えた。
他人の事情に優しくなれたのは、いいことかもしれない。
まぁ、もっといいのは、
「……なんッスかー? ジロジロ見てー」
カメラの前で頬杖をつき、ミサキさんが唇を尖らせていた。昼ごろ室長から仕事を積み上げるメールがきて、昼食後はずっとそれを片付けていたので、拗ねているのだ。
半分よこせとも言ってくれたが、半分にするのが面倒で断った。きっとそれも理由の一部。
おれは優しいリモート同居人に感謝の意を伝えるべく目を向けた。
「ほんと可愛いなーって」
「……知ってマス……」
ぷいっと視線が逃げた。耳の先が赤いのでヒットはしているはず。知ってます宣言が自分に効いてしまったパターンだろう。ミサキさんには稀によくあることだ。
「照れちゃうくらいなら言わなきゃいいんじゃないですか?」
「……照れてないッス」
いまどきじゃ一周回って珍しいくらいの棒読み。照れている証拠であり、サインでもある。
おれはインカムを叩いてミサキさんの視線を呼び込んだ。
「そういうとこ、ほんと好きですよ」
「~~~~~~~ぬぅぁ~~~っっ!」
頬杖に乗っていた顎がズリズリと落ち、腕が顔を完全に隠してしまった。
最近になって気付けるようになった。ミサキさんは照れているとき、ボケているかのように見せかけて、ツッコミ待ちとしてイジリを誘っているのだ。
「……ミサキさん、自覚あります?」
「……へぁ? なにがッスかー?」
ミサキさんは、涙目というか、少し瞳が潤んでいた。相変わらずのちょい拗ねモード。ここ何日か、大人スイッチは入っていない。
ミサキさん言うところのえっちな気分が足りないのかと思いきや、そういうことでもないらしい。らしいというのは、おれの観察に基づいているだけで聞いたわけではないからだ。
これまでのところ、ミサキさんは単純に興奮が高まりすぎると、照れまくって呻くばかりのモードに入る。言わば照れ照れスタイルだ。
それはそれで可愛いらしくて好きなのだが、正直いっておれの股間と理性によろしくない。使用しているツールと状況からして、完全にアダルトチャットのそれになってしまう。
「……まぁ、でも、そろそろいいかな……?」
「なにがッスか?」
かくんとミサキさんが首を傾げた。空気の変化を察したのか頬の赤みが引いている。身体的な反応の速さも特徴のひとつだ。
照れ顔は見たいが、照れられるとムラムラさせられるばかりで精神によくない。むずい。
「でも見たいんだよなぁ」
「……えっと? なにが見たいッスかー?」
テーブルに突っ伏すおれに、ミサキさんが囁くように呼びかけてきた。
「なにが見たいッスか」
鼓膜を撫でるような声に、おれは思わず笑みを零した。笑い声と息遣いはミサキさんの耳にも届く。画面こそ見えていないが、イヤーマフの微振動で気配は分かる。たとえるなら、ひそひそ話をするような言い方で、
「お願いしたら、見せてあげるかもッスよ」
「んー……絶対ムリでしょうねー……」
「えー、そんなことないかもッスよ?」
「えっちなとこって言ったら?」
羞恥心に打ち勝ちズバっと言ってやったつもりだったが、手で覆い隠したようなくぐもった笑い声だった。
「絶対、思ってないデスよね?」
「バレましたか」
「バレちゃうッスよ」
「じゃあ、照れてる顔が見たいです」
「いつも見てるじゃないッスか」
と、少し弾んだ声が返ってきた。なんとなく、ひとつまみくらいの恥ずかしさを感じた。たまたインカムをつけた耳を上にしていたから、声が降ってくるような気配がある。
「さささ、自分のなにが見たいか、素直に言ってみるッスよ」
まるで膝枕でもされているような音の感触。腕の下にあるのが固いテーブルじゃなければ、おれの腕がもっと柔らかければよかったのに、とくだらないことばかりが思い浮かんだ。
素直に言ったけど気づいてもらえていない――いや、流されたのだ。大人らしい余裕で。
なんとなく、ミサキさんの大人スイッチをいれる手がかりのようなものが見えた気がした。
だが、あれは危険なのだ。
いつもの君に戻れと、おれは顔をあげた。
「ミサキさんのキス顔が見たいですね」
大人(といっても同期)の余裕あふるる笑みが固まり、じわじわと赤らんで、
「――ゔぇっ!?」
いつもの調子に戻った。大人っぽい雰囲気もいいが、やっぱりこっちもこっちで可愛らしい。
おれは胸の奥がざわざわするような感覚に、これが尊いってやつなのだろうかと思いつつ、ちょっと身を乗り出した。
「どうぞ、こっちは準備万端です」
「へっ!? えっ! あっ、ちょ、ちょっとまっ――」
ミサキさんはモニターの片隅に目を凝らし、わたわたと髪の毛を整え始めた。おれはこみあげてくる可笑しみを必死にこらえる。いま吹き出してしまえば台無し――いや、それはそれで撫でくり回したくなるような反応をしてくれそうだが、そうじゃない。
おれはいまミサキさんのキス顔が見たいのだ。そのためなら、自爆も辞さぬ。
「まーだでーすかー?」
「え、えっと」
ミサキさんは画面に顔を近づけ、一点をじっと睨んだ。モニターの下方ギリギリで、立てた人差し指がピコピコ動いている。指差し確認をしているのだ。なにかの。
――ッ!!
ギリギリだった。気づいた瞬間、吹きそうになった。だが耐えた。
ミサキさんはこっちを向いて、ふー、ふー、と息を整えながら両手を握った。瞼を落とし、眉間に皺が寄るほど力を入れて、少し顎先をあげた。
本当に見せてくれるのかよと思った瞬間、おれの口は動いていた。
「くそ可愛」
「――ゔぇっ!?」
ガン! とミサキさんの双眸が開いた。
「あ、やべ」
「やばい!?」
声のトーンで分かった。地味にカチ切れている。むむむむむむ……と口を結び肩を怒らせ、握った小さな拳でテーブルをトントンしていた。思いっきり叩くタイプじゃないが、ピコピコギブソンを探すという思考がでてこないくらいにはガチである。
「……えと……ごめん」
「……ごめんじゃないッス」
片言気味な声質、地味に目尻に涙が溜まっている。
――やらかしたかもしれん。
そう思ったときには、おれは頭を下げていた。
「いや、ほんと、ごめんなさい」
「……もういいッス」
「えっと、あの……」
「今日、自分、リモート女子会あるッスから」
「――へっ!?」
リモート女子会。そんなものがあるのか。ではなく。
「聞いてないんですけど!?」
「お仕事なさってるとき連絡きたッスからねー」
つーんとそっぽを向いて、ミサキさんは両腕を床に突っ張った。ぐらんぐらんと前後に体を揺らしながら拗ねたような口ぶりで言った。
「そんなわけでー、今日のディナーはボッチでどうぞー」
「え、あの」
「ぼっちでどうぞー」
「……あの、ほんとごめんなさい」
我ながら、どんだけ情けない声出してんだって声が出た。
ふっふーんと強気に鼻を鳴らしてミサキさんが言った。
「ま、一晩つかって反省するといいッス」
「そんなぁ」
「女子のキス顔は安くないッスからね」
「……ほんとごめんて……」
はぁと肩を落としつつ、そこまで怒ってなさそうだと、おれは安堵した。久しぶりにひとりで過ごす夜――いや、ひとりはひとりなのだが、本格的にひとりな夜だ。
せっかくだし届いてた土と水槽でパルダリウムを開始しようか、と思ったところで、ひとつやっておきたいことが見つかった。
「あのミサキさん?」
「なんッスかー?」
まだちょっとだけツーンとしている。おれが別のことを考えているのに気づいた顔だ。もっとおれを困らせたかったのだろうが、甘い。
甘いというか、お詫びをしようと思った。
「切断する前、言ってもらえます?」
「……えーっと……?」
「いってらっしゃい、って言いたいので」
ミサキさんは、なにも言わずに赤面した。
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