リモータッチング

 目がしょぼしょぼする朝だった。テレワーク生活が始まってから初めてかもしれない。頭と体は重たいが不思議と嫌な感じはない。なぜならば、


「……まぁまぁ、かな?」


 昨夜からパルダリウムがとりあえず形を得たのだ。

 カメラ代わりのタブレット、ノートパソコン、マイクにヘッドセットに、ミサキさんと遊ぶ用の指ドラパッド。即席でつくってアップデートを重ねてきたテレワークステーション(と呼んでいるスペース)に、新たに縦横A四サイズの水槽が加わった。

 ぼーっと見てたいパルダリウムだ。

 前に描いたデザインそっくり――とはいかないが、初心者が作ったにしては上出来だろう。流木と石、造形材で見かけ上の奥行をつくり、暗がりに象徴的な赤い植物。恐竜とか爬虫人類あたりがでてきそうな異世界をイメージしている。

 ――まぁ、いまのところ動物をいれるつもりはないが。

 観察対象については、すでに間に合っている。失礼な言い分なのは重々承知のうえだが、おれにしたって観察対象なのだから評価についてはお互い様だろう。


「ね、ミサキさん」


 テーブルに突っ伏しているクマ耳ヘッドホンのミサキさんに呼びかけると、ピクリと小さく動いた。寝落ちる直前に苦労して外させた眼鏡を叩き潰したりしやしないかとヒヤヒヤしたが、それ以上の反応はなかった。熟睡である。

 昨晩おそく、リモート女子会なるものからしたミサキさんは、呂律が回らないほど酔っていた。説明をきいた限りでは楽しい飲み会だったらしいが、どの話も要領をえず、なんでか何度も『おかえり』を言わされた。

 請われる度に繰り返したおれもおれだが、寝る間際までもう一回と呟いていたのには驚いた。


「……よっぽど寂しかったとか……逆に楽しかったとか?」

「……んんっ」


 おれの声に反応し、ミサキさんが呻いた。形のいい眉が寄りあって、小刻みに震える。起きそうだ。

 おれはパルダリウムの正面をカメラに向けた。モニター隅に投写された自撮り画面はまさに異世界の入り口。寝起きのミサキさんは、どんな可愛い反応をするんだろうか。

 

「……ふぁ……あふ……」


 寝起きのあくび、からのあくび。ダブルあくびで目尻に溜まった涙を拭い、瞬いた。その姿をノートパソコンのクローン画面で鑑賞しながら、おれはほくそ笑んだ。寝起きのミサキさんはいつだって可愛い。

 目の焦点が定まらずトロンとしているのもあるし、反応が緩慢で子どもっぽくなるのが愛らしい。アルコールが残っていたら甘えたがりにもなるし、なにより脳の覚醒にしたがって照れが増してくるのが特にいい。

 ――さぁ、きょうは?

 と見ていると、ミサキさんがモムモムとエアーガムを咀嚼しながらこっちを向いた。

 寝ぼけて虚ろな瞳がゆっくりと瞬き、リモート女子会用に少し盛ったらしい睫毛がぱしゃぱしゃと上下した。やがて我が目を疑うかのように瞬目を重ね、自宅と気づいて体を起こす。大きく両手を突き上げ、手首を掴み、


「――ふっんぬぐぐぐぐぅ……」


 コミカルなうめき声をだしつつ伸び上がった。熊耳だが、動作は猫っぽい。あふ、とまたひとつ小さなあくびをして、ゆるりゆるりと首を巡らす。眼鏡を探しているのだろう。

 違う違う、そっちじゃないよ。足元、足元……。

 おれは声に出ないように最新の注意をはらないながら、口のなかで呟く。

 クローンモニターに映るミサキさんは髪の毛をくしゃくしゃしながらあっちこっち見回し、ようやく眼鏡を見つけ、イヤーマフと顔の隙間にズボッとつるを挿し込んだ。

 いつものプラスちょっと化粧っ気のあるミサキさん眼鏡スタイル。瞬きの回数を増やし、ぐぐ~と画面に顔を近づけた。


「おおー……すごーい……男の子の世界だー……」


 誰に言うでもないお褒めの言葉に、おれは嬉しく思いつつもムズ痒くなった。デザインを見せたときにも言われたが、男の子の世界とはなんなのか。パルダリウム自体はは女の子っぽい趣味――でもないということか? ミサキさんのなかではジオラマとかプラモのノリだったり?

 そんなことを悶々と考えていると、


「んぅぁあっつぅ~……」


 ミサキさんがふいに体を起こした。リモート女子会用にわざわざ着たらしいブラウスの襟首を引っ張り、ボタンをひとつ外した。白い首にベルベッドのチョーカーが巻かれていた。

 おれは自分の首に巻き付く細革のベルトを撫で、脳裏を掠めた昨夜の記憶に苦笑する。

 酔っぱらいと化したミサキさんが発した命令のひとつが、チョーカー着けて、だったのだ。

 

『着けてくれないと切断しちゃうッスよー?』


 そういって、ミサキさんはしゃっくり混じりにチベットスナギツネも目を逸らすジト目を飛ばしてきた。最初は酔っ払いだしなだめられるかと思っていたが逆だった。恥を知らぬ酔っ払いは際限なしに強い。おれはチョーカーつけられ、ミサキさんは犬のように鎮座するおれを肴に晩酌のつづきを始めたのだった。


「――フッ、ム」


 思い出し笑いが口から漏れかけ、おれは咄嗟に口を塞いだ。

 クローンモニターのなかのミサキさんは、いつものように両手を床に突っ張り、大きく大きくあくびをいれた。左肘をテーブルに立て、人差し指を軽く噛み、右手をのっそりあげてボタンをもうひとつ外した。大きく深い谷間の入り口が顕になった。

 

「……これ、バーチャル背景とかじゃないッスよね……?」


 ミサキさんがおれのパルダリウムを見つめながら自分に問うように囁いた。もうひとつボタンが外れ、プツン、と大きくブラウスが開いた。おれは口の中に粘っこい唾が溢れてくるのを感じた。気を抜けば反射で飲む。まちがいなく喉が鳴る。観察しつづけるには耐えるしかなかった。


「着替え……どうしよっか」


 ミサキさんは首を左右に振りつつ一気にボタンを外した。するり、と肩からブラウスが滑り落ち、黒い下着だけの姿となった。透明感のある白肌を薄っすらと透かす黒レースは、いつぞやチョーカーを贈りあったとき悪ノリついでに注文したセクシー下着だ。

 あのときミサキさんは、勝負下着にしても強すぎッス、と顔を赤くして笑っていた。

 本当に着けてくれたんだと思うと、つい、ごくんと喉を鳴らしてしまった。


「……やっぱりぃ」


 モニターの向こうのミサキさんがニマーっと猫のように笑い、脱いだばかりのブラウスを抱えて胸を隠した。


「もー……黙って覗くのは悪趣味ッスよー?」

「……ごめんなさい。いつから気づいてました」


 おれは自分の不覚とミサキさんの寛容に苦笑しながら、パルダリウムを横にのけた。

 ミサキさんは脱いだブラウスで胸を隠しつつ片手をこちらに伸ばし、人差し指をピンと立ち上げ、ちっちっちっ、とメトロノームのように振った。


「実は、眼鏡をかけるちょっと前には気づいてたッス」

「どこで気づいたんです?」

「パルダリウム、デスっけ? 見てるとき、鼻息が荒くなったッスよ」


 ミサキさんはクスクス笑って熊耳ヘッドホンを撫でた。そうか、癖でバレたのか。興奮すると鼻息が荒くなるのが俺の癖だ。興奮は性的なものに限らない。自分の手で苦労してつくったものをみせるのだ。興奮しないわけが――、


「――ああ、だから男の子?」

「ッスね」


 ミサキさんはニコっとした。片手で器用に肌を隠したまま、もう片方の手を持ち上げ、自撮り画面を参考に画面外に伸ばした。


「ささ、頭を下げるッスよ」

「へ?」

「よくできましたって褒めてあげるッス」

「なんですか、それ」


 おれは思わず笑った。


「っていうか、気づいてたのに着替え始めたのって――」

「えっ? それは、その――」

 

 ミサキさんは舌をちろりと出して、照れくさそうに言った。


「昨日はご迷惑をおかけしたっぽいので、お詫びというか、お礼というか……」

「おー……だったら、リモート撫で撫でより、もうちょっとじっくり見せてほしいですね」

「えぇー? もー、ほんと、えっちッスねぇ……」

「男の子ですからね」

「だったら、撫で撫ではいらないッスね?」

「えっ? 撫で撫ではなしなの?」

「どっちか一個だけッス。当然デス」

「えー?」


 おれはどちらにするか真剣に悩んだ。

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