Reもーっと
「――だぁぁあっつぅぅぅい……」
おれは羽毛布団を蹴りのけ、ベッドから転がり落ちた。連日のように明日の夜こそは冷えると叫ぶ予報に惑わされしまいそびれてきたのだ。
昨夜は悶々として寝付けず、睡眠時間が足りていない感があった。
世の中はゴールデンウィークという名の静けさに支配され、まだ連絡はないが早晩テレワーク期間の延長が伝えられるだろう。
もちろん、寝付けなかった理由はそれじゃない。
ミサキさんとふたりきり、数時間にわたって繰り広げた、一緒に部屋にいたら何をしたいか披露大会のせいである。
特にそこに含まれていた。
「後ろからハグ……耳元で……」
――好きだよ。
胸の内でつぶやいただけで、額から汗が吹き出した。
「……ま、まぁな、外、三十℃近いしな……」
おれはクーラーを点け、モニターの前に腰をおろした。ミサキさんを
「――好きだよ」
「ちっ――すぅ!?」
「ふむぉ!?」
聞き慣れた声に、おれは思わず息をつまらせた。ガツン、と体温が上昇した。クーラーが吐き出す埃っぽくも強大な冷気すら、人の羞恥心がもつ熱量には無意味らしい。
出オチならぬ、出お見合い。
おれとミサキさんはふたりして顔を赤くして見つめ合う。モニターの隅に映ってるおれの顔の気まずさったらなかった。ミサキさんはミサキさんで、両手で自分の肩を抱いてるし。
「も、もっかいプリーズ、ッス」
「――却下で」
「うぇえ!? なんでッスか!? いいじゃないッスかぁ! せっかくいいマイクあるのに!」
「マイクの有無は問題じゃありませんよ!」
おれはカメラから顔を隠しつつ、定位置に戻った。
あらためて向き直ってみると、なんでなんでと騒ぐミサキさんの表情の裏には、そこはかとないからかいの種が認められた。ここで負ければ今日一日いぢられっぱなしは必然だ。
「おれが――恥ずかしいからですよ」
「お、おおう……?」
ドン! と、わざとらしく音を立てて肘をつき、おれは羞恥に耐えてキメ顔になった。
「いまはお預け。いいかい?」
「――ぶぷっ」
ミサキさんは吹き出しかけ、慌てて口を塞いだ。しかしクツクツと揺れる肩は止まらない。もう一息で爆笑になるに違いない。
「いい子にしてたら、ご褒美で――」
「――ぷゔぉふっ!」
奇妙な破裂音につづいて、ミサキさんの爆笑が耳奥を叩いた。笑いに昇華で華麗に回避――うまくいった。だが、なんか納得いかないのはなぜだろう。
ピコソンを鳴らしまくって笑い転げるミサキさんに、おれは鼻で息をついた。
「昨日やってほしいって言ってたのは誰でしたっけ?」
「自分でありマス!」
フヒヒ、と目尻に溜まった涙を拭いつつ、ミサキさんは白いノースリーブの襟ぐりをつまんではためかせた。陽当たりがよさげな部屋だから暑いのだろう。汗をかき、緑っぽい色味が微かに透けている。
「んー……好きだよ、ってほうは七十点くらいあげるッス」
「それ高いんですか? 低いんですか?」
「フッツーの男子なら五十点もいかないと思っていただいていいッスよ」
ミサキさんはクスクス笑いながらノースリーブの肩紐をかけなおした。触れただけで折れそうな――なんて感じではないが、意外な細さに驚かされる。四十センチ――はなさそうだ。両手を広げるまでもなく腕の間にすっぽり収まるサイズ感。
ミサキさんがマニアックに展開する男の声の品評を聞き流し、おれは言った。
「ちっちゃくて可愛いっすよね」
「――えっ?」
きょとん、とするミサキさんに、おれは重ねて言った。
「や、ミサキさん。ちっちゃくて可愛いなーって」
「……うぇっ!?」
ミサキさんはわたわた両手を動かし、左右を見渡し、手で顔を扇ぎはじめた。
「デッショー? 自分、可愛いッスから」
幽かに震える声に、おれは笑った。
「ホントに。後ろからハグってちょうどよさそうな感じ」
「ちょうっどっ!?」
クリティカルヒット。致命的打撃を食らったファイターのように体をぎこちなく捻り、ミサキさんは両肩に腕を回した。まるで胸を隠すような動きだ。けれど、細腕で隠しきれるものでもなくて、むしろ肩を寄せたことで押し上げられる分もあったりし、おれはムラムラさせられた。
「――なるほど、なるほど」
「な、なにがナルホドッスか……?」
「前からのハグだと距離感ありそうだなって思いまして」
「むぉっ……んっ……あ、あるかもッスね……!」
言いつつ、ミサキさんはますます胸を隠すように身をくねらせた。そんなに恥ずかしいながら着なきゃいいのにと思う反面、おれのせいだろとも思う。申し訳ないけど男の
「なんかついいじめたくなっちゃう感じなんですよね」
びくっと小さく震えて首を振り、ミサキさんはタオルケットらしきものを手繰り寄せて肩にかけた。胸を隠すように一巻きし、きもーち猫背に。
「えっと……そこまでします?」
「だって……」
「だってって言っても、暑くないですか?」
「暑いデスけどぉ……」
ミサキさんの顔が赤いのは暑さのせいだけではないだろう。そして高気温は汗を呼び、汗はさらなる水蒸気を呼ぶ。ほっこり曇った眼鏡の奥では、きっと目が潤んでいるのだろう。
おれは胸の内にふつふつと沸くものを感じた。
「暑いけど、なんです?」
「ゔぇ。つに、いいじゃないッスか……」
「いまさらでしょ? そんなに恥ずかしがるようなことですか?」
「ぜんぜん! いまさらじゃないッス!」
むっと頬を膨らませ、ミサキさんはテーブルにげんこつを二つ重ねてその上に顎を置く。ぐにんぐにんと前後に揺れつつ、ごにょごにょと口の中にこもらせるようにして言った。
「別に、恥ずかしいわけじゃないッスよ」
「ん? なんて?」
聞こえなかったフリしておれは尋ね返した。
「もいっかい」
「だから! 恥ずかしくはないッス!」
インカムを通じて飛び込んできた絶叫に、おれは思わず眉を寄せた。
すぐにそうと気づいたか、ミサキさんはむぅと口をつぐみ、下唇を浅く噛んだ。ちらちら飛んでくる視線は甘酸っぱいとうよりダダ甘で、見ているこっちもぐらぐらしてくるようだった。
「恥ずかしくないなら、なんでです?」
「な、なんか……」
「なんか?」
「ちょ、ちょっとだけ……」
「ちょっとだけ?」
オウム返しに尋ねつつ、おれは少し身を乗り出した。あくまでアピール。音はインカムから届けられるので、距離感なんて関係ないのだ。
ミサキさんは照れたように視線を外し、戻し、下唇を舐めた。
「なんかちょっと、えっちな気分になっちゃうから、それが――」
「それがなんですか?」
「なんデスかって――ッ!」
「おれだってムラムラさせられてるのに」
「む、むらむら!」
もぞっと、亀の子のようになった背中が動いた。黒縁メガネの映える真っ赤な顔に、おれは毎度のごとく不思議に思う。
大人スイッチ――と、こっそり呼んでいる謎のトリガーを引けば、ミサキさんは途端に強気にえっちになれる。
同じようなやりとりをしているはずなのに、同じようにスイッチが入るわけではない。
「余裕があるときとないときの差が不思議ですよね」
「自分もなんでなのか不思議で……教えてほしいくらいッス」
「じゃあ、おれはミサキさんを研究しないとですね」
「研究――っ!」
「とりあえず分かるのは、可愛いって言われるのに弱いですよね」
「よわっ!?」
と、一瞬、声を荒らげかけたミサキさんだが、すぐに小首をかしげてつづけた。
「……どうだろ……弱い、かも……ッスねぇ」
「じゃあちょっと、そのタオルケット? 取ってもらえます?」
「――ゔぇ!? じゃあってなんです!? じゃあ!?」
「騒ぎすぎですよ、ミサキさん」
おれはムラムラくる感情そのままに、ちょっと強めに命令した。
「さ、可愛い肩みせてください」
「むぁ……むぅぅぅあぁぁぁ……」
ミサキさんは打ちのめされるように上体をもたげ、やがて――。
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