コ・オプ
おれは首にベルトを巻いた姿を鏡に映してみた。
パンク。
一瞬だけそう思った。
もともと巻いていたネクタイが革のベルトになっただけ――そんな簡単にいくわきゃない。ミサキさんは変じゃないと言ってくれたが、きっとお世辞というか気分がそうさせたのだ。カッコイイとか悪いとかじゃなく、儀式的な意味合いの装身具なのである。ネクタイレベルで着けるのが常態化したらヤバい。着けたまんま外し忘れてゴミ捨てにでも行き誰かに見られたら。ヤバい人だ。自意識過剰のヤバいヤツになる。ずっと昔、えらい人が言ったという。
「ファッションは、自信だ」
おれは鏡にうつる思春期なみに自意識過剰な若き社会人に言った。
「迷いが残る服装で人に会うな」
不安が伝わる。臆病者に見える。結果として服が浮つく。たったひとつ、アクセサリーが増えただけ。それでも同じだ。
「……でもまぁ、怖いって楽しいんだよなぁ」
不安と恐怖は心臓を高鳴らせるが、高鳴る鼓動を脳は区別できないという。いわゆる吊橋効果というやつで、怖くてドキドキしてても、魅力を感じてドキドキしてても、脳と感情はそこの区別がユルユルになってる。
「――よし!」
おれは顔を洗って、両手の水気を拭き取り、革のベルト首に巻いた。
この際ミサキさんを信じて決行する。こっちだってチョーカーを贈っているのだし、向こうが着けてなかったりしたらそれを追求して楽しむことも――、
「ちっすちっすッス」
ミサキさんは、ちゃんとベルベットのチョーカーを着けて和やかに笑んでいた。しかも嬉しそうに撫で、おれの首に視線を走らせ、ちょっと笑みを深くした。共有してくるのはずる可愛いだろとおれは思った。
「……ちっす」
うなだれながらの返答に、ミサキさん知らんぷりして上目で質問を重ねた。
「どうしたッスかー? 具合悪いッスー?」
「……違います」
「じゃあどうしたッスかー? お顔みせて欲しいッスよー」
「……照れちゃってるんですよ」
ふふふふ、と実に楽しげな笑い声につづいて、囁くような声がした。
「自分も、照れてるッスよー……?」
「ああもう! なんですか!? なんでそんな強気!?」
おれは燃え上がるような感覚に耐えられず跳ね起きた。ミサキさんもほかほか湯気が立ちそうになっている。外、暑いし。なんて言い訳が通用するわけもなく。
ミサキさんはにまーっと笑って、ベルベッドのチョーカーを見せつけるようにして撫でた。
「もー、これ着けてからドキドキしっぱなしッスよぉ」
「こっちは昨日からずっとですって」
「デスか? デスかー?」
なにが嬉しいのかミサキさんは満面の笑みで体を左右にくねらせた。萌え袖からはみ出る人差し指を噛むようにしながら、ふふふふ、と目を細めて。
「ちょっと見せて欲しいッス」
「昨日さんざん見たじゃないですか」
「ちょっとだけ。ちょっとだけッス」
んな先っぽだけだからみたいなテンションで言われてもと思ったが、口にはしまい。
おれは体内の熱がぎゅんぎゅん上昇していくのを感じながら顎をあげてみせた。インカムの、そこまで高性能とは言えないヘッドセットから、ふぁぁ、と小さな吐息が聞こえてきた。
「――で、もういいですか?」
「えー? もうちょっと見てたいッスよぉ」
「鑑賞会は十分にやったでしょ?」
「まだぜんぜんッス。もー、ずっと見てたいくらいッスねぇ」
言って、ミサキさんは手で輪っかを作った。
「でも、うん。あんまり見てると触りたくなっちゃうんで、このへんで」
「触りたくなっちゃう?」
「あー……はい」
ミサキさんは照れたように、というか照れ照れしながら髪の毛をかけまぜ、ちらちらとこちらを見た。手を虚空に伸ばし、目を細め、まるでそこに人がいるかのように優しく滑らせ言った。
「やっぱり、たしかめたいじゃないッスか」
「えーっと……なにをです?」
「ちゃんとそこにいてくれるのか、とか。つけてくれてるのかなー、とか」
「つけてるじゃないですか」
「そうなんデスけど、やっぱり映像で見てるだけデスし」
ミサキさんは両手を床に突っ張り、むっと唇を噤んだ。言葉を選ぶようにカメラの外をみやってしばらく、肩を小さく上下した。
「なんていうか、その……夢をみてるようなっていうか」
「……ああ、まぁ、おれもミサキさんとこういう感じになるとは思ってませんでしたしね」
「デスよねぇ……自分もそうッス」
ミサキさんはテーブルの上に両肘を乗せ、その上に胸を安置した。モニター越しでも分かる質量を見せつけられて、おれは一旦、瞼を閉じた。
「……ほんと、えっちな人ッスねぇ」
「挑発しといてなんですか」
「してない……こともないッスけど」
「してるんですか? だったら、ガン見しますよ?」
なんとか声を上擦らせずに言い切った。
一拍の間を取ってから瞼をあけると、ミサキさんはむぅと頬を膨らませ腕で胸を隠していた。
「宣言するのはズルいッス。照れちゃうッス」
「言うほうだって同じですよ。照れます」
「……ほんと、会いたくなっちゃうッスね」
「……わかります。なんかもう、いいんじゃないかって思っちゃうのがヤバイです」
おれは両目を閉じて、テーブルに突っ伏した。ゴン、と額を打つ音が冷静な精神を頭の中に呼び起こす。どちらが動くにしてもリスクの塊が移動するに他ならない。まず相手に危険を負わせたくないし、自分ならどうでもいいと割り切っていいものでもない。
今回のウィルス騒動は、万が一の結果が、どう足掻いても自分だけに収まらないのだ。
「めっちゃくちゃ会いたい。会いたすぎますよ、ミサキさん」
「自分、こんなに人に会いたいと思ったの初めてかもッス」
「もうミサキさんち近くのスーパーでレジ打ちに転職しようかとか思っちゃう」
「なんッスか、それ」
ミサキさんは口元を隠してクスクス笑いながら言った。
「自分、通い詰めちゃうからダメッスよ」
「ほんとですか? 意外とリアルで会ったら幻滅とかしません?」
「絶対ナイッス。ずっと職場で見てましたし」
「ホントに?」
「ってか、自分、パートのおばちゃんに嫉妬しちゃうかもッス」
「なんそれ」
おれはニヤけてくる頬をぐにぐにと押し下げながら言った。
「てか、ミサキさんのほうから会いたいって言ってくれたの初めてじゃないですか?」
「――ゔぇっ!?」」
久方ぶりの奇妙な悲鳴につづいて、ミサキさんは両頬をぺちぺち叩いた。
「どうしちゃったッスかねぇ? えっちなチョーカーのせいッスかね?」
「えっちなって……ノリノリでつけてるじゃないですか」
「や、そっちじゃなく」
「……おれのほうっすか?」
「……デス」
とうとう口元を全部隠して、ミサキさんが眼鏡を曇らせた。
「もー、ホントに、ホントに着けてくれてるのか、たしかめたくって」
「……着けてますよ。ちゃんと」
「夢じゃないかとか思っちゃうッス」
「ね。それはおれも思います」
おれが苦笑しながら返すと、ハッ! とミサキさんが迫真の驚愕を見せた。
「え、と? どうしました?」
「忘れてたッス」
「えと、何を?」
ミサキさんの声質にただならぬものを感じ、おれも遊びモードを脇におく。
「……あの、ゲームとかってしマス?」
「…………はいぃ……?」
本気モードになって損したような気分だった。
ミサキさんは大慌てて両手を振った。
「あ、いえ、怒んないで欲しいッス! ちょっと聞いただけで!」
「いえ、別に怒っちゃいないですけど……なんです? ゲーム?」
「そ、そう!」
ミサキさんは立てた人差し指を画面に向かって突き出した。
「夢じゃないって確認するには、オンラインでコープしたりして証拠を増やせばって――」
相変わらず斜め上の方向にすっとんでく人だなぁ、と思いながら、おれはミサキさんの主張に耳を傾けた。
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