リモートディシプリン
――届いちゃったよ。
おれはコロナ配送こと在宅の置き配(お礼文つき)を受け取り開いて、嘆息した。
牛革で作られた腰に巻くには細すぎるベルト――
もっと硬い手触りなのかと思っていたが、曲げてみると柔らかい。まだなにも付いていないチャームをつけるであろう銀環と、ベルトを固定するための慎ましやかなメタルバックル。
「……どっちが前……?」
いや、分かっている。チャームをつけるための銀環が前、喉仏の側。バックルは後ろにくるはず――本当にそうか?
おれがチャームをつけるためのリングだと思っている、この細い銀の輪っかは、
もし、そうだとしたら――。
おれは地面に四つん這いになる自分の姿を想像し、身震いした。
これまで独占欲が強いだのなんだのと言われてきたが、ミサキさんのほうがよっぽどそういう感じじゃないのか、これは。
いつだったか、
「他の女にいったらぶっ殺すって……」
つぅっと、背筋を冷たいものが流れ落ちた。
レベルが違いすぎやしないかと、おれは思った。おれがミサキさんにプレゼントしたのはチョーカーと言ってもベルベットのリボンにバックルをつけたようなもので、普通におしゃれアイテムのひとつ――だと思う。
対して、送られてきたのは本革のベルト。
落差が過ぎないか。
どちらがガチなのかと言えば、ガチなのはミサキさんなのでは。いや、あるいは、ミサキさんのほうが、おれに気を使ってくれているのか。
着けてから繋ぐべきか、繋げてから着けるべきか。
おれはベルト握りしめて正しい作法について思いを巡らせながら、ミサキさんを呼び出した。
ほとんど同時にミサキさんから呼び出しが来て、名状しがたい緊迫が走った。
一旦保留し、こちらから呼ぶべきか。
あるいは応じてしまうのか。
ごく些細できわめて重要な決断。
おれは応じた。振り回されてもハンドルできると思っていた。
「ちっすちっすッス」
「どうもっす――っ!?」
おれはモニター越しに見た。ミサキさんの細くて白い首を彩る、黒いベルベットの生地。金色に輝くチェーン。ちょっと自信ありげな視線――。
「――あの……」
「気づきました?」
ミサキさんは
――最初っから着けてくるとは。
その艶めかしい細首に、おれは煮え立つような感情を覚えた。
「そっちも、今日、届いたんですね」
「まだ、着けてないんですね」
攻撃的なM――そんな言葉があるのかどうかは知らないが、おれにはミサキさんがそれに思えた。飼われに来ているというと、少し過激すぎるかもしれない。
けれど、ただ受け身でいるわけではない。
「どうデスか?」
と、首を締めるチョーカーを細い指先が艶美な手付きで撫でていて。
「似合ってマス?」
そう尋ねてくる声は甘いながらも挑戦的で、なお蠱惑的な色を持っていて。
おれは熱に浮かされるようにして、つい口にした。
「着けてあげたかったな……」
すぅ、とミサキさんの頬に朱が差した。
「それされちゃうと、戻れなくなっちゃいそうなんで、ダメッス」
「誘ってきといてなに言ってんですか」
「や……これ、誘ってるんじゃなくて、ホントに」
ミサキさんが照れたふうに視線を外した。チョーカーを留める金色のチェーンとフックをひと撫でし、人差し指の先を生地と首の隙間に引っ掛けた。もちろん指が入るほどの余裕はない。指先に力を籠めれば、そのぶんだけ細い首に食い込む。
チョーカーの、まさしく首輪としての意味を直視して、おれは体が熱くなるのを感じた。
「あー……やばい。やばいですね」
「なにがッスか? なんか、ちょっとヘンタイっぽいッスよ?」
そう言って、ミサキさんは顔を背けたままチラチラと視線を送ってきた。ちょっと拗ねてるような口ぶりは彼女なりの照れ隠しだろう。ほんの少しだけ息苦しそうにチョーカーをカリカリ引っ掻いている。
――いや、待て。
おれは別の可能性に思い至って、我に返った。
「あの、大丈夫です?」
「へっ? えっ?」
ミサキさんが、きょとんとこちらに向き直る。
おれは首を指差しながら言った。
「あの、それ痒かったりしません? 大丈夫です?」
「えっ? あの……」
「ほら、あのときノリで決めちゃったから、金属アレルギー的なのとか……」
「え、えぇー……?」
困ったように笑いつつ、ミサキさんは両手を床に突っ張り、左右に揺れ始めた。ちょっとニヤついている。喜んでいるのを隠しているときの顔だ。もし尻尾があったなら、ゆらーりゆらりと大きく振られているに違いない。
「もー……ちょっと過保護すぎじゃないッスかー?」
「まぁ外がこんなですし、ストレスかかりそうなことはね」
「うむぁー……」
ミサキさんは両手で口を隠しゆらゆら揺れる。目尻がきもーち下がって細まった。笑っているのだ。きっと手の下では口角もすこし上がっているはず。いわゆる微笑。ミサキさんの微笑は眼鏡の奥の瞳にでる。
「あんまり甘やかされると困っちゃうッスよ」
「なに言ってるんですか。甘やかしてなんていないですよ」
「甘やかされるッスよー……。なんかもう、よだれ出ちゃいそうっす」
「なんですか、それ」
おれもミサキさんに倣って口を隠した。モニターに映る自分のニヤケ面が恥ずかしい。
よだれ、というか唾が溢れてくるのは男も女も変わらない。緊張と興奮で唾が粘り気を帯びていく。交感神経系が優位なのだから唾液はむしろ減っているはずなのだが、ねばっこいがために飲み下しにくく量が多いと誤認する。
ミサキさんが口元を隠す手をどけて、ちょっと俯くようにこちらを見た。眼鏡のレンズを通していない、フレームの上を越してくる視線。瞳がちょっと潤んでいた。
「――で、自分が贈ったのは、まだ届いてないッスか?」
「あ、いや、ここに」
おれはその仕草にドキっとさせられて、つい何も考えずにチョーカーを見せてしまった。細い革ベルトのチョーカーだ。
ミサキさんは片手で抱くようにしてユルっとしたニットの左肩を落とした。生白い肌に青っぽいブラジャーの肩紐がかかっていた。ミサキさんはしなを作って言った。
「自分も見たいなーって」
「あー……いや、その……男でチョーカーはハードルが……」
「自分はちゃんと着けたッスよ?」
試すような口ぶりで言い、ミサキさんがベルベットの輪っかを見せつけるように首を傾げた。艶めかしい色味に、おれは思わず喉を鳴らした。
ミサキさんはちょっと気怠げに髪の毛をいじりつつ、さらに身を乗り出してきた。
「着けて欲しいなーって、思うッスよ」
「は、ハードル……」
「飛び越えるのが無理ならくぐればいいって、偉い人が言ったッス」
「えっと」
「蹴倒してもいいって、自分も言ったッス」
「あの」
「着けてください」
言って、ミサキさんはじれったそうに指を噛んだ。たまーにこうなる。ミサキさんの大人あるいはお姉さんスイッチが入ったのだ。おねだりしているように見せて実態は命令、もはや言うことを聞くしかない――いや、そもそも拒否権は最初からなかったのだ。
おれは細い革ベルトを開き、首にかけた。しっとりとして、固い感触。ひやりとするのはベルトのバックルだろう。
「うあー……いいッスねぇ……」
「えーと……」
「ちゃんと締めて欲しいッス」
「……はい」
おれはベルトを絞り、ピンを穴に通した。モニターに首輪をつけた自分が映っている。似合っていると言えるのか分からない。こういうのはもっと美しいというか、線の細いタイプの、ビジュアル系とかの人にこそ向いているのではと思う。
「バックルって、日本語で美錠って言うッスよ」
「美錠」
「美しい錠で、美錠」
ミサキさんは
細革のベルトがミサキさんの指のように思え、おれは身震いした。
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