テレリウム
趣味、趣味、趣味……と、脳内でつぶやきながら、おれは指ドラを叩いていた。ヘッドホンから頭のなかに流れ込んでくる電子的なドラムも、こうなると僧侶の叩く木魚と変わらない。瞑想というより念仏。瞑想が趣味だなんて人間は――いるかもしれないが特殊だろう。
すくなくとも僧侶にとって念仏は仕事……なのか?
「趣味って、なんだろ」
頭のなかのドラム音が止まっていた。おれは規則的に指を動かしながら考える。
ミサキさんに言われるまで自分が無趣味な人間なのだと知らなかった。
お近づきの印にと始めてみた指ドラム。これは趣味と言えるのか。
適当に叩いていても暇つぶしになる。
ミサキさんに教わりながら叩くのも面白いと思う。
しかし、
「趣味かって言われるとなぁ……?」
時間を忘れてやり続けるかというと。
あ、もうこんな時間か。
そう思っても、叩くのに熱中していてというより、ぼーっとしていてに近い。いわば陽当たりの良い縁側を脳内に作り出す装置。それがおれにとっての指ドラだ。趣味とはいえない。言ったら、失礼な気がする。
「――と、思ったんですが、どうでしょう?」
「考えすぎッスよ」
ミサキさんはちょっぴり申し訳無さそうに笑った。
「ただまぁ、考えさせすぎちゃったのは自分なんですけど……」
「ただ、ちゃんと趣味をつくったほうがいいんじゃないかと、そう思ったわけですよ」
タタタン、とパッドを叩き、おれも効果音をつけてみた。
ミサキさんは吹き出すように苦笑いを浮かべパッドをいじり、不正解を示すブザー音で返してきた。何十、何百という音からブザーを選びだすのに迷う素振りひとつ見せない。どこになにが入ってるのか知ってる証拠だ。おれには、同じ機材を使っているとは、とても思えなかった。
「ため息。マイクに入っちゃってるッスよ?」
「そりゃー、ため息くらい出ますよ」
「ありゃりゃ」
「音の切り替えとかすごいスムーズじゃないですか。そこまでいくのに何年かかるやら……」
「ああ、そっち……」
むぅ、とミサキは口をへの字に曲げた。
「えっと、指ドラ、やっぱ楽しくないッスか?」
「えっ!? あ、いや! そういうわけじゃないんですけど!」
おれは慌てて両手を振った。モニター越しだと少しオーバーなくらいの動きにしないと感情が伝わりにくい。ここ二週間ほどのテレワークで学んだ知識だ。特にネガティブな要素がまじる話題をするなら表情も明るくしておくくらいでないと――、
「えっと、無理してないッスか?」
「――はっ?」
「えっと、共通の話題っていうか、一緒に遊べそうな道具ってことで紹介したッスけど……」
ミサキさんはテーブルに頬杖をつき、片手で前髪をいじりながら言った。
「もしつまんないだったら――」
「いやいやいやいや! 違いますって! それはないです!」
「ほんとッスかー?」
「ホントホント! ホントなんだけど――」
「だけど?」
ミサキさんの顔がかくんと横に傾いだ。
それを見越して、おれも同じ方向に首を傾けた。
「ひとりで叩いてるときはあんまり……」
「あー……なるほど」
うんうん頷きながらミサキさんは体を起こした。両手を下に突っ張り、視線は虚空に。壁に霊魂を見つけた猫のポーズと、おれは心のなかで呼んでいる。ついている耳は熊だが、猫だ。
熊耳の猫ことミサキさんは霊魂を目で追うのをやめ、こちらを向いた。
「寂しがり屋さんってことッスね?」
「えっ?」
「だってほら、前だって、会いたい~、会いたい~、って」
まるでゾンビが呻くような声色を真似て言い、ちょっと嬉しそうに言った。
「考えてみたら、あれッスね」
「あれ?」
ミサキさんは耳打ちでもするかのように唇に手をかざし前のめりになった。つられて、おれも耳を向けて身を乗り出す。どのみち音はインカムから入ってくるのだが、こういうのは気分が大事なのである。
ふぉゔぉっ、と息が入る音がし、ミサキさんの囁きが脳内に響いた。
「Sの人って、相手がいないと孤独で死んじゃうッスね」
……ん?
おれは眉間に皺が寄っていくのを知覚しながら元の体勢に戻った。自然と腕まで交差してしまう。みれば、ミサキさんは楽しげにクスクス笑っていた。
Sは、Mがいないと孤独。
まぁひとりなんだから当たり前――でもないのか。
「分かりマス?」
ミサキさんはニッコニコだった。
おれの両肩から、力が抜けていった。
「極端にいうと、放置プレイ、みたいな?」
「デスねー」
「ミサキさんはひとりでも平気?」
「平気ってことじゃないッスよ」
ふふふ、と久しぶりにお姉さんぶった笑みを浮かべ、タクトのように指を振った。
「でも、自分のほうが強そうッスね」
「……認めます。そうかも」
最初に弱音を吐きそうになったのもこっちだし、なにかとちょっかいをかけたくなる。世話を焼きたがるというのもちょっかいの延長。ちょっかいとは、猫が物を引っ掻き寄せる仕草が語源に鳴っている。
「猫はこっちだったか……」
「ほう?」
それこそ猫のような目になって、ミサキさんが身を乗り出した。
「そこのところ、もうちょっと詳しくお願いするッス」
「や、えーっと……なんと言っていいのか……」
「甘えたいけど、甘えかたが分からなーいってやつッスね?」
「なにその、なに……なんか詳しそうな顔して」
ミサキさんはうんうん頷きを繰り返す。
「猫ちゃんかー。なるほどッスねー」
「なにが」
「猫ちゃんは孤独に弱い生き物ッスからねー」
「……は?」
おれは思わず変な声で返した。猫が孤独に弱いだなんて聞いたことがない。単独行動が基本だし、犬と違って群れもつくらない。狭い縄張りを取り合い、ときに飼い主とすら喧嘩する。そんな生き物のどこが……、
「猫ちゃんは基本、寂しがり屋ッスからね。外出自粛でお外に出れないと不安になるッス」
「えーと……?」
「猫の集会所って聞いたことないデス? あれッスよ」
「というと」
「猫はコミュニティを形成し、そこに顔を出して暮らしてるッス!」
「あー……おれには会社に出るっていうのが大事だったとか、そういうこと言ってます?」
「さすがにそこまでは」
ミサキさんは苦笑しながら手を左右に振った。
「でも猫ちゃんは世話焼きデスし、ツンデレだし」
「おれもツンデレですか」
「やー、そこはデレデレッスねー。照れちゃうくらいッス」
髪の毛をくしゃくしゃしながら、ミサキさんが体をくねらせた。すぐそこにいたら、とおれは思った。すぐそこにいてくれたなら、手が届くのに。
おれは自分の発想に恥ずかしくなり、顔を隠すべく突っ伏した。
「忘れてました。SとMの関係って、簡単に逆転するんですよね」
「なんの話ッスか?」
クスクスとミサキさんが楽しげに笑っていた。
「照れちゃったッスか?」
「……照れちゃいました」
口に出すと、なお体が熱くなった。湯気が出そうとはこのことだ。
「趣味はミサキさんと遊ぶことです、とか、ダメですかねぇ?」
「それを趣味にされると自分が困っちゃうッスよ」
「……困っちゃいますか?」
下からモニターを見上げると、ミサキさんも少し照れているようだった。ほんのり色づいた頬と曇った眼鏡に安心感をおぼえる。末期だ。可愛さの末期ではなく、受け止める側の末期。
「……生殺し感が凄ぇッスね」
ミサキさんは頬の熱を取るように両手をあてて、ちょっぴり妖しく笑った。
「見てるだけで触れない……テレリウムッスね」
「テレリウム?」
「自分がいまつくった造語ッス」
「……意味は?」
「プラネタリウムとか、アクアリウムとか……テラリウムにパルダリウム」
「えっと?」
プラネタリウムと、アクアリウムくらいしか分からない。テラは地球だろうか。パルダってのはいったい。というか、
「リウムってどういう意味です?」
「リウムは接尾辞のアリウム。なになにに関連した物って意味ッスね」
「……えーっと、つまり、テレリウムなら、配信に関連した物?」
「と、照れちゃうってことッス」
「……へぁ?」
ミサキさんは両頬をおさる手で頬杖をつき上目をこちらみ向けてきた。
「照れちゃうけど見てたいし、照れちゃうけど見られたい、みたいな」
「……顔、真っ赤っすよ」
「そっちもそうッス」
ミサキさんの不意打ちに、おれは顔を手で扇ぎながら言った。
「……これが、趣味なら、観察してるのと同じでは?」
「それは――そうかも」
ちょっと甘えたような声色が妙にくすぐったく思え、おれはTシャツ首を撫でた。なにか、なにか違う話題をと、鈍った頭で思考した。
「あ」
「あ?」
「パルダリウムって、なんです?」
「はえ?」
ぽかん、と口を開くミサキさんを見て、おれはほっと息をついた。
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