リモートデザイニング

 パルダリウム――それは生なジオラマ……いや、込み入った盆栽……それも違うか?

 簡単に言えば、水槽のなかで作る植物園だ。なかでも熱帯雨林をつくるのを言う。ミサキさん曰く、アクアリウムの親戚で、テラリウムの甥っ子で、ビバリウムの従兄弟。作例の写真はどれを見てもおもしろく、おれは半ば呆れ半ば感心しながら息をついた。

 やってみようか。

 そんな気にさせられる。

 ちらっと窓辺に目をやれば、百円ショップで買ってきて、気づけばソフトボール大に育ったサボテンがいる。どういうわけか左右対称に芽が伸び、ポンポンをもっているようにも見える。

 同じ家の窓辺に砂漠、日陰に湿地。


「――よくないですか?」

「えーっと……『ヒトの趣味にケチはつけない』のがオタクの紳士協定ッスけど……」


 意外にも、ミサキさんは目頭をモミモミ、テーブルに片肘をついた。いつもよりメイクを濃い目にしているのは目の下のクマを隠しているからだろう。昨日の夜、お開き間際に新作ゲームが届いたらしいし。

  

「やっぱダメですかね?」

「やー……ダメってことはないと思うッスよ? ただ――」

「ただ?」

「植物デスし、外に出られない今はじめるのは、どうなんだろって……」

「いやー、そんなことないでしょ。イメージさえできればアマゾンでなんでも揃いますし」

「アマゾンだけに」

「はい?」

「や、なんでもないッス」


 ミサキさんは顔を洗う猫のように髪の毛をくしゃくしゃ梳いた。


「まーでも、せっかくの連休も何処に行けないっぽいですしね」

「なんでしたっけ、ゴールデンステイホーム?」

「黄金の家に住む権利を与えよう。的な」

「なんですかそれ」


 えっへんと偉そうに胸を張るミサキさんに苦笑しつつ、おれは鉛筆をざらっと並べた。普段なら最初からデジタルだ。デジタル化するという工程が面倒くさい。だがなぜか、今回は手でやろうという気になった。


「いい傾向かもッスねー」


 ミサキさんがニヨニヨしながら言った。


「効率が悪いの分かってるのにそうするって、すごい趣味っぽいデスよね」

「ですかねぇ」


 おれは四Bの鉛筆を選んで、テイッシュの上でナイフを入れた。子どもの頃から絵を描くときは鉛筆削りから始めている。そうするようになった理由は忘れてしまった。黒鉛を包む木材――インセンスシダーに刃をいれる感触が好きなのか、グラファイトの削れる音がいいのか、とにかく昔からずっとそうしてきた。


「なんでなんでしょうねー」

「それを自分に聞かれても」


 ミサキさんはクスクス笑いながら、キーボードを緩慢に叩き始めた。


「でも、ちょっと分かるッスよ? 作法ってヤツッス」

「作法って。自己流の?」

「最近だとルーティンとかいうじゃないッスか。ぜーんぶ、同じッスよ」

「なるほどねぇ……ミサキさんのルーティンは?」


 尋ねつつ、おれは芯を多目に出した四Bを置き、つぎにBを手に取った。ニBと三Bは中途半端な気がするから使わない。もっと柔らかいのだと六Bもあるが、これを削るのは最後だ。

 ミサキさんは散発的にキーを叩き、ちらっと視線を下げて――つまりモニターのおれを見て言った。


「自分の場合は、爪ッスねー」

「爪……あー、指ドラやる前に塗っとこう、みたいな?」

「だけじゃなくて、切ったり、整えたり……お手入れ一般ッス」

「それをやっとくと集中できるとか、そういうの?」

「それがひとつ。あとはー……」


 ミサキさんは手を画面の外に伸ばし、ほうっと見つめて言った。


「遊ぶからにはオシャレしたいじゃないッスか」

「へぇー……おれにはちょっと分からない感覚かも」

「ルーティンは人それぞれッスからねー」

「まぁ、そうなんだろうね」


 Bの鉛筆を整え終えたら、次にF。いちおう削っておくのだが、いつも一度も使わない。学生の頃からそうだ。耳奥に浮かび上がるような優しい音が流れ込んできた。

 顔をあげてみると、ミサキさんの手元でパッドが光っていた。


「やっぱし、うるさいッスかね?」

「や、ぜんぜん。っていうか、イージーリスニングもできるんですね」

「いーじーりすにんぐって」


 ミサキさんはクスクス笑いながら、花を渡り舞う蝶のように手指を動かした。


「まー、言い方なんてなんでもいいんデスけどね。うるさくなかったらで」

「むしろ心地良いくらいですよ」

「だったら良かった。スローなほうが難しいんデスよね」

「ごまかしが聞きにくいとかです?」


 他愛ない会話をしながら、線画用の6Hまで削り終え、おれは作画に入った。すでにいくつかのイメージはできている。もちろん、バルダリウムなんてものに手を出すのは初めてなので、メンテナンスが楽そうなデザインがいいだろう。

 湿度管理がしやすそうな開閉式のアクリルボックス。手前にL字型の流木を、そのすぐ奥に逆L字の石を置き、視点を箱の中央に誘い込む。そこに赤いクリプタンサス。周囲はシダ系の植物とコケでまとめておいて、手前にくるにしたがって明るく。葉脈が素敵だからジュエルオーキッドもどっかに入れたい……。


「――ッシ! で、き、たぁ~……」


 描きあげ、背筋を伸ばすと、首に腰に背中に、どこもかしこもボキボキ鳴った。いつの間にか音楽も消えていて、見ればミサキさんは腕を枕にすやすや寝ていた。

 ――どうしよ。

 起こしていいものかどうか。

 てか、眠ってしまうほど退屈させるとはなんたることだろう。

 これが同じ部屋なら背中になにか掛けてやれるのだが、残念ながら手の代わりになってくれるドローンみたいなものはない。

 おれはため息交じりに声をかけた。


「ミサキさーん……?」

「……んんぅ……ん……」


 ピクッと、眉が動いた。なにやら反応が可愛い。

 おれはインカムのマイクを手で塞ぎ、咳払いを入れた。あらためて、囁くような声色で呼びかける。


「ミ、サ、キ、さぁーん……!」

「……んぬぬぅにゃぁ……」


 ミサキさんは形容しがたいうめき声をあげながら身を捩った。背中がムズムズするようで首を反るようにしてぐりぐり動かし、ポジションを整え直す。

 声で突っついている、といえばいいのだろうか。なにやら楽しくなってきた――のだが、


「ミサーキさぁーん……」


 と、呼びかけたときだった。

 ミサキさんの眉間にいつになく深い皺が寄り、そして――、


「ふんぎぎぎぎぎぎぎ……」


 極めて不愉快そうに歯ぎしりした。

 おれは思わず真顔になった。起こそう。秒で思った。


「ミサキさん!」

「フギャァアッゥス!?」


 ドガガシャン! と盛大な音を立てて画面が揺れた。飛び起きる際に、ミサキさんがテーブルの天板に膝をぶつけたのだろう。当然、


「ぐっぬぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁっっっ……!?」

 

 ミサキさんは額でテーブルを拭うかのように苦悶した。


「あの……大丈夫ですか?」

「ぜんっぜん……大丈夫じゃないッス……」

「あの……びっくりさせちゃったみたいで……」

「ほんとッスよ……いい夢みてたのに……」

「いい夢? どんな夢です?」

「それは――」


 ミサキさんは涙のにじむ顔をこちらに向けて、ぽん、と赤くなった。


「……それはヒミツッス」

「えぇー?」

「夢は不可侵じょーやくッス。これもオタクの基本ッス」

「ホントですか、それ?」

「そ、れ、よ、り!」

 

 ミサキさんは素早くパッドを操作し、ハイハットを叩き鳴らした。話を打ち切る気満々。こうなると話題は戻せない。


「パルダリウムのデザイン、できたッスか?」

「あ、はい。おかげさまで」

「じゃー見せて欲しいッス」

「……え?」

「え? じゃないッスよ! ずっと待ってたッスよ!?」


 ミサキさんは顔を赤くしたままハイハットを叩き続ける。

 ずっとって、と時計をみると、数時間が経過していた。そりゃ寝る。そりゃ見る権利のひとつくらいは与えられてしかるべきだ。


「笑わないですか?」

「変だったら笑いマス」

「えー?」


 ミサキさんは腕組みまでしてふんぞり返った。


「とにかく、み、せ、る!」

「はーいよー」


 おれは諦めて、書きあげたデザインを見せた。


「……どうです?」

「……おとこのこって感じッスねぇ……」


 どういう感想だよ、とおれは苦笑した。

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