リモート・イントロゲーション

 段々と分量の減っていく仕事をちゃちゃっと終えて、なんとなくで指ドラを叩きながら時間を潰し、昼ごろになって約束どおりにミサキさんとネットで合流、テレランチを楽しもうとしていたときだった。


「ところで――趣味とかもってないんスか?」

「――へっ?」

「あっ、もしかしてコレ? 料理ッスか?」


 なにげない口調で痛いところをついてきて、そのくせ本人はしれっとした顔でパスタと具材を混ぜていた。今日の献立は数日遅れとなったエビとほうれん草のアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ。エビとほうれん草が入っているのにペペロンチーノを名乗るとは不届き千万と突撃をかけてくる自称イタリア料理通は雲霞うんかの如くだが、おれにそんなこだわりはない。つまり、言ってみれば、


「……や、ただ初期投資を回収しようとしてるだけです」

「……はえ?」

「や、まんまの意味で」


 自炊をしようと心に決めたところで、道具がなければ話にならない。冷蔵庫は現代の生活必需品だからしょうがないとして、鍋フライパンお玉に食器それぞれ用意して、さらにはトースターやらなんやという便利家電を揃え、食材と調味料を――バカにならない投資だ。

 できることなら、かけたコストは回収したい。

 それが人の常というもの。

 おれはそんなことを考えながら皿を出し、パスタを盛り付け、タブレット端末とともに居間に戻った。


「趣味ではない……ですね、多分」

「多分ッスか」

「ええ、多分」


 いただきますと両手を合わせ、フォークでエビをぶっ刺しつつパスタを巻きとり、考える。

 調理は時間をとられる。

 おれたち労働者にとっての時間とは人件費であり、調理が作業であるからには技術料が発生しているとみていい。

 それでも自分好みの味にできると思えば安……くもない。失敗だってするし、いつも同じじゃ飽きるからとレシピを探してみたりする。コストは増える一方だ。技術的習熟は労働時間を短縮するかもしれないが、同時に無視される人件費が増えていく。

 

「……だとすると趣味なのかな?」

「はひ?」


 ちゅるん、とパスタを吸い取り、ミサキさんは小首を傾げた。


「えーっと……趣味かどうかわからない?」

「好き嫌いで言ったら、別に好きじゃないんですよね」

「つまり趣味ではないと?」

「でも趣味でもないことにそんなコストをかけるって話ですよ」

「かけないッスねー……自分だったら絶対、嫌ッス」

「多大なるコストを払いながら未だに自炊してるということは」

「それが趣味ではないか、と」

 

 ふむふむ頷きながらミサキさんはパスタを頬張る。意外なほど大きな一口。パスタの量も男のおれと同じなのに、もりもり減っていってる。以前に見た腹回りのほっそりっぷりからは想像しにくいくらいの食べっぷり。見てるこちらは気分がいいが――、

 ――気分が、いい?

 

「……自炊が趣味なんじゃなくて、料理を出すのが趣味とか?」

「ほむ」


 ミサキさんは咀嚼しながら相槌を打った。

 おれは悩みながら食事を進める。


「いやでも、自炊は元からだし……好きかどうかっていうと、別になぁ」

「食べるのは好きじゃないんデス?」

「たまにメンドイですね」

「面倒!? 美味しい時間は幸せ時間! ではっ!?」

「あんまり食に幸せって感じたことないかもなぁ……」

「はぇー……」


 感心とも呆れともつかない息をつきながら、ミサキさんは炭酸水の封を切って口をつけた。グラスに注がないちょっとしたガサツさは、モニター越しだからだろうか。

 同じ食卓だったら、ちゃんとグラスを使うように言うか、おれが代わり持ってきた――?

 

「食べさせるのが好き、とか?」

「はい?」


 ミサキさんは眉間に細かいシワをつくり、髪の毛をくしゃっとして梳いた。


「あるいは……面倒をみるのが好き?」

「……そーいうのは趣味じゃなくって性格とかいうんでは?」

「……ああ、そう、か……」

「世話焼きさんっていうのは分かりマスけどね。自分、何度も世話焼かれてマスし」

「いまもこうして世話を焼いてる」

「ふふふっ」


 ミサキさんは含み笑いしながら言った。


「テレ保育ッスね。自分は甘やかされまくりッス」

「リモートお節介ともいえるかも――ほら、ちゃんとグラスもってきなさい」

ー、ッス」


 クスクスと肩を揺らし、ミサキさんは炭酸水に口をつけた。甘えるような口ぶりに、冗談だとわかっていても叱りたくなった。

 ――いや、お遊びだから、コラと一言つけたくなるのかもしれない。

 世話焼きの真似事。おままごと。

 おれの思考は飛躍した。


「食事って、えっちなんですね」

「――ゔぇっ!?」

「いや、食事ってSMだなって思って」

「な、なに言ってるッスか!?」

「趣味じゃなくて性格だと言われてみて、たしかにと思ったんですよ」


 世話を焼くのが好きなのだとして、それがなぜかと言われれば、喜ばれるのが好きだからなのだろう。そう考えるのが当然だ。

 でもって、ミサキさんは世話を焼かれるのが好きなのならば、その世話を焼くのは――、


「高度なプレイなのでは?」

「マジメな顔してなに言ってるッスか……?」


 ミサキさんはフォークを皿に置いて唸った。


「よしんば食事がえ、え、え……えっち、だったとして」

「よしんば」

「よしんば」

 

 ミサキさんが神妙な顔をして頷いた。その頬に赤みは差していない。すなわち照れるような案件ではなく、真剣に吟味しようという話題なのだ。


「……なんでこう、サドとマゾの話になるっスか?」

「考えてみたんですよ。いわゆるSって言うのは、人をいじめて喜ぶわけじゃないですか」

「……ですね」

「そしてMの人はいじめられて喜ぶわけです」

「……ふむ」

「つまり、いじめる・いじめられる関係は喜ばせる・喜ぶ関係に置き換え可能なのでは」

「ああっ! なる――ほど?」


 ぐにょっと、ミサキさんの首が傾いた。


「……痛いとか辛いとかが抜けててもSMになりマスかねぇ……?」

「……まぁ、ただの言葉遊びですからね」

「食事がSM……色気と食い気って両立するもんッスかねぇ?」

「やー、でも、考えてみるとさ、食事を提供する側って基本的にメリットないじゃないですか」

「メリット……えーっと……喜んでもらえる……ああ」

「ね。しかも食事を提供するってことは、相手の食をコントロールするわけですよね」

「あー……たしかに。手料理の場合はそうなるッスね」


 ミサキさんはうんうん頷きながらフォークを取った。気づけば残り僅かになっていたロングパスタガ、皿の端っこでクルクル巻かれていく。

 おれはパスタの渦に巻き込まれていく小エビを見つめながら言った。


「フィクションなんかで、よくあるじゃないですか」

「なにがッスかー?」

「手料理に、自分の体液を仕込んだりする、とか」

「うえー……まぁ、あるッスけど」

 

 ミサキさんは嫌そうにペロッと舌を出した。

 おれはその小さな赤いベロを見つめる。


「SMの世界で、自分の体の一部を相手に食べさせるってのは、どっちなんでしょうね?」

「SかMか……なんかちょっと、言い方が気持ち悪いッスよ?」


 ミサキさんは苦笑しながらパスタを巻いたフォークを持ち上げ口に運んだ。パスタは小さく開いた口に飲み込まれ、唇が閉じ、するんとフォークだけが引き抜かれる。細い顎がしゃくりしゃくりと上下して、喉が遠慮がちに鳴った。


「あ、あの……ガン見はちょっと……て、照れちゃうんで、やめてほしいッス……」


 言われて、二センチ焦点を下げると、ミサキさんの頬が赤くなっていた。

 おれは思わず小さく吹いた。


「やっぱ食事ってえっちッスね」

「ちょっと、ほんと勘弁してほしいッス……」


 ミサキさんはフォークを置いて両手で顔を隠した。


「あの、なんか別の趣味、探しまセン……?」

「いいけど、もうちょっと見ててもいいですか?」

「……マジ勘弁して欲しいッス……」


 やりすぎて一緒の食事禁止になったりすると嫌なので、おれはひとまず引くことにした。

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