バミ肉ッキング

 仕事が滞りなく回っているのが不思議だ。

 全社・全部門の業務がストップ――という待ったなしな状況には至っていないらしいが、室長からのメールには『若い人らは転職も楽そうでいい』とか笑えない冗談があった。

 おれは(あったら)今年の忘年会ではキンキンに冷えたビールをぶっかけて祝ってやろうと心に誓い、ミサキさんのビデオ会議招集に答えた。

 向こうから要請がきたのは、その手の知識に疎いおれに代わりセッティングしてくれた初日以来だ。当然、ちょっと期待していたのだが、


「ちっ……すー……?」

「ちっすちっすッス」


 モニターには見慣れない光景が広がっていた。

 こじんまりとした台所と、狭いスペースにちょうど邪魔くさい感じで置かれた取っ手の取れるフライパン。そして、安いFPSにありがちな、わきわきと動く両手がウィンドウの下部に映っていた。ちっさな手指には七色のマニキュアが塗られ、ちょっと見慣れつつある萌え袖もある。

 間違いない。


「……えっと、ミサキさん?」

「どうッスか? びっくりッスか?」


 そのちょっと自慢げな声に、おれは苦笑しながら答えた。


「びっくりっていうか、なんです? 今回は」

「よくぞ聞いてくれました! 今回は!」

「今回は」

「バミにくッキング! ッス!」

「――なんて?」


 なんの肉だって? バミ? ハラミの親戚か?

 などと考えていると、モニターの映像がぶわんと動いて、狭いキッチンをさらに狭くしているノートPCを捉えた。おれの間抜け面も小さく映っていた。


「えっと、バミ肉ッス」

「バミ……? すいません、分かるようにお願いできます?」

「あ、あれ……? バ美肉って聞いたことない感じです?」

「ないッスね……なんです? それ」

「えっ……アンテナ鈍くないッスか? そんなんで業界、この先生きのこれます?」

「おれの場合アンテナあんま関係ないんで……それで? どういう意味なんです?」

「えっ」


 モニター下に映る両手が、エアーろくろを回し始めた。カタカナを並べ立てて説明した気になっている方々の、例のあのポーズだ。


「――えっと、話はバーチャル美少女セルフ受肉に遡るッスよ」

「ごめん、まずどっから問いただしていけばいいのか分からない」

「ゔぇっ!?」


 ようするに、アバターの話だった。ビデオチャットの自撮り映像に、VRキャラクターをかぶせる。特に、ガワ≒皮≒肉体を二次元美少女にして、声と動きは元の人物そのまんまの状態をバ美肉というらしい。


「えっと、バ美肉はまぁ、なんとかわかりましたけど……バミ肉ってのは?」

「すなわち!」


 楽しげな声とともにモニターの映像がガタガタと揺れ、軽やかに飛翔、目元で横ピースを決めるミサキさんを写した。


「バーチャル! ミサキちゃん! 受肉!」

「……えっ」


 バ美肉の定義と、ミサキさんがやろうとしている内容は、あきらかに乖離しているようだが。


「えっと……わざわざウェラブルカメラ買ったんスか……?」

「買ったのは前ッスけど……意外と安かったッスよ? 見てのとおり解像度も低いですし」

「まぁいいんですけど……それも配信用ですか?」

「……の、つもりだったんですけど、そもそも自分、アウトドア趣味がないっていう……」

「ダメじゃないですか」

「で、でも! いま! いま役に立ってますから!


 なんの役に、とは尋ねまい。

 おれとしては、ミサキさんが楽しそうならそれでよい。


「で、なにをしようと」

「はい! せっかく用意したんですから、自分の躰を操作してもらおうと!」

「えっ。エロい。なんですかそれ」

「ゔぇっ!? いやあの――」

「なんですか、いえばなんでもしてくれるとかですか」

「ちょっ、早い! 早口! そうじゃなくて」

「そうじゃなくてなんですか!?」

「ひっ!」

 

 ガサガサとカメラが動き、取っ手のとれるフライパンを写した。


「えと……この子の供養をお願いしたくて……」

「供養って……どう見ても、まだご存命のようですが」

「このままだと生きながらにして死んでしまうので」

「ゾンビですか」

「自炊するからって実家からパチってきて、たった数回で埋葬じゃ哀れじゃないッスか」

「……つまり、料理がしたいと」


 カメラの映像が、大きく上下した。つまりミサキさんが首を振ったのだ。


「得意料理に『ウーバーの検索』以外も入れたいッスよ」

「なるほど……エラい綺麗なキッチンですけど、もしかしてほとんど料理してない?」

「レベルによります」

「レベルによる」


 おれはオウム返ししつつ、ミサキさんの思考を想像する。なぜ、いきなり料理をしたいと思ったのか。料理をしたいにしても、なぜこんな妙なやりかたを選んだのか。そもそも、ミサキさんの調理スキルはどの程度のもので、どんな料理を期待しているのか――、


「考えるだけ無駄ッスね。なにを作りましょ」

「あっ! やった! 乗り気になってくれたッスね!?」

「確認はいいですから」

 

 おれは苦笑した。


「なにが作りたいんです?」

「なんかヘルシーなのがいいッス!」

「うわぁ、雑い……」

「でも、ちゃんとこないだ、食材を買ってきといたッスよ」


 言って、バ美肉――もとい、バーチャル……でもないリアルミサキさんの肉体が小さめな冷蔵庫を開けた。新じゃがいも、新人参、新玉ねぎ、豚こま……。


「えっ、カレー一択では?」

「でもカレーのルゥがないッス」

「なんでっ!?」

「なんでって言われましても!? だって、部屋に匂いがつきそうじゃないッスか!」

「それ、カレーに限った話ではないのでは……」


 でもでも! とピコピコ上下する両手を見つつ、おれは首をひねった。ルゥがないならカレーはムリだ。同じ材料でつくるなら今度は肉じゃが一択になる。全然まったくヘルシーではないけれど、ぱっと思いつくのはそれしかない。


「それじゃ――って、待ってください。ダシは? ダシはありますか?」

「……やっぱり、そうなりますよね……」

「マジですか……」

「自分も、塩とブラックペッパーしかないとは思わなかったッスよ」

「なっ……!?」

「マスクして、恐怖と戦いながらスーパー行ってきて、これッスよ……」

「えっと……?」

「醤油も、お刺身についてきたのしかないッス……!」


 かくーんと下を向いたカメラから、ミサキさんの気落ちっぷりが伝わってくる。もっとも、おれの視線はユルもこニットの内側に吸い寄せられていたが。

 濃い青色に包まれた、生白い山脈。素晴らしい眺めだった。

 いつまでも見ていられそうな眺望は、ふいに消えた。


「と、いうわけで、自炊してそうな人に、この状況をなんとかしてもらおうと思ったッスよ」

「……もっかい買い物に行くってのは……却下ッス。いやッス。勘弁してほしいッスね……」

「……じゃあ、野菜のヘタでダシ取ってみましょうか……」

「やった! がんばりマッス!」


 小さな拳が上下した。まぁバミ肉とかなんとかいうと変わった遊びのようだが、ようするにただのテレ料理教室だと思えばいいのだ。

 ――と、思っていたのだが。


「だから左手! 押さえる方の手は猫にして! 猫! にゃーんって!」

「してマスってば! ちゃんと見えてます!?」

「見えないの! 胸が微妙に邪魔してるの! ミサキさんは見えてるの!?」

「胸が邪魔って……! そんな、失礼な――」

「いいから手元! 手元を見て、見、見せろ! いうこと聞かないな、この体!」


 おれは今日まで、そしてこれからも生きていくであろう男性という人生において初めて、目に映るおっぱいを邪魔だと思い、柔肌にひやひやした。

 そして。


「――んぅ~、美味しいッスねぇ……いやー、助かりましたよ!」

「そッスか……」


 メシマズじゃなかったのが不思議といえば不思議だった。だが、考えてみれば実家から調理器具をパチってくるくらいにはやる気があったわけで、本当に調味料の不足で悩んでいただけなのかもしれない。

 ミサキさんのホクホクと咀嚼する音を聞きつつ、おれはビールのプルタブを起こした。最近はあまり話を聞かなくなったが、これもある種のASMRとやらになるのだろうか。


「……てか、いつまでカメラつけっぱなんです?」

「え? あれ? なんか困るデス?」

「困るっていうか……ビール開けたんで、どうせなら顔を見ながら飲みたいなーって」

「うぇっ!?」


 画面が一瞬ブレてすぐ、にゅあ! と悲鳴が続いた。すぐに手がニットを引っ張る。モニター越しのバ美肉――もといミサキさんの胸の谷間にじゃがいもの欠片が乗っていた。鎮座だ。

 


「……すっげ」

「ぬぁっ!? ちょっ!?」

「バミ肉、いいッスね」

「ちがっ!? こういうんじゃなく!」

 

 おれは慌てふためくミサキさんの視界を肴にビールを飲んだ。美味かった。

 




 

 


 

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