はじめてのテレワーク
そして新たな週が始まった――のだが。
月曜日を迎えたとなると、ひとつやらなければならないことができてくる。
すなわち、
「――テレワークの効率……ですってよ」
おれは室長から求められていた報告書――という名の所感、感想、あるいは印象をまとめあげるべく、カメラの前でボール・マジックの練習をしているミサキさんに尋ねた。
「ジッサイ、どんなもんです?」
「……ご自身はどう思われマスか」
「ものすご~~~く判断に困ってます。本音でいうと」
「それは――」
「――手品のほうじゃないッスね」
「ん~……まぁ、そうッスよねぇ」
ふぅと短く息をつき、ミサキさんは赤いスポンジボールを握り込んで手を振った。開くと消えている……のだが、奥の壁に弾かれた赤玉がベッドの上に転がっていた。
先日の指ドラムを見るに不器用ではないのだろうが、
「下手っぴというより、やる気ない感じです?」
「……実は、かくし芸になるはずだったんスよ」
「かくし芸?」
「……忘年会とか……室長、絶対、自分らになにかさせるだろうなって」
「あー……って、マジメに仕込むとか、やっぱミサキさんってすごいッスね」
「……自分的には室長にビールぶっかけるほうがスゴかったッスけど」
「それ先にやったのミサキさんですよね?」
おれは忘年会の夜を思い出させられながら、手元の裏紙にメモをとった。パソコンとネットを使って会議していて記録手段はアナログ。そのほうが性に合っているとはいえ、妙な気分だ。
ミサキさんは拗ねているかのように唇を少し尖らせた。
「あれは……無茶ぶりしてきた室長が悪いッスよ」
「無茶振りって」
苦笑するしかない。酔っ払った室長が口にしたのは、『最近の子は酌のひとつもできないんだからなぁ』というボヤキであり、ミサキさんの『酌くらいできますよ』には説明が足りなかった。つまり、『てめぇの脳天にで良ければ』というカッコ書きだ。
「おれ、ちょっと感動しましよ。すげぇ、ガチでパンクな人っているんだ――って」
「……梅酒ロックが……」
「え?」
「梅酒のロックが、自分を惑わせたッス……」
ミサキさんは両手で顔を覆うようにして頬杖をついた。耳が赤いのでマジ照れだ。
「でもでも。自分的には、すぐあとの無茶なフォローにビビったッス」
「あー……あーいうの、おれもやってみたかったんッスよ。あ、これチャンスだ! みたいな」
「同期の桜ってヤツッスね」
「それ散っちゃうヤツだから。全然いい話じゃないですから」
「そッスか? 自分、あれでちょっと……我に返ったというか……いいかもなって……」
「……ん?」
モニター越しであっても、ミサキさんの上目遣いは完璧だった。たまにチラっと目を逸らすタイミングとかすごい。狙ってやってるならヤバいし、天然ならなおさらヤバイと思った。
おれは息を肺に押し込めてイキり面にならないように注意を払った。
「もっと褒めてもらっていいッスか?」
「ちょっとカッコ良かったし、嬉しかったッスよ」
即答かよ――。
気を抜けばニヤけそうで、おれは背もたれに体重を任せ、白いレースカーテンの奥のさらに向こうにある曇天を睨んだ。気分に反してバッチャバチャの土砂降りだ。この一瞬くらい青空であれよと一瞬だけ思った。天候サイドにしてみれば知ったことじゃないし、なんなら胸のうちのドキドキっぷりを見事に表現していると言えるのかもしれない。
「ひとつ、聞いていいですか?」
おれは言った。
「なんで、会社だとコンタクト――?」
「……いまさらッスか……?」
呆れたと言わんばかりだったが、ミサキさんは眼鏡を外して笑顔をつくった。
「どッスか?」
「どうって?」
「眼鏡とコンタクト、どっちのが可愛くみえマス?」
「えぇ……?」
ミサキさんにしては直接的な質問に思え、おれは冗談めかして答えた。
「さてさて……どうでしょう。もうちょっと寄ってもらっていいですか?」
「えー? 言われたことホイホイやっちゃうって言われたばっかりデスしねー?」
「そういうところが可愛いって言ったと思うんですけど」
「ん~……どうしようかなー?」
言いつつ、ミサキさんは不敵な笑みを浮かべてカメラに近寄ってきた。テーブルに両肘をついて、まるで女豹のように――というと大げさになってしまうが、モニター越しでも妖しい魅力を放っている。なんなら、モニターとカメラの解像度が低いゆえにより一層、妖艶になっている
のだが、
「んー……やっぱり、おれは眼鏡のほうが好きッスね」
「あ、あれ?」
どういう受け答えを想定していたのか、ミサキさんは拍子抜けといった様子だった。
おれは畳み掛けるようにつづけた。
「眼鏡なしでも可愛いですよ? 可愛いですけど、それじゃ足りないわけですよ」
「えっ? あれ? いま自分――」
「まぁちょっと聞いてください」
おれはミサキさんの追及を遮り、語った。
そもそも、はじめて見たときから美人だと思ってはいたのだ。最初のうちはパリっとしたスーツを着ていて、夏のころくらいから洒脱な服に変わって、とても同い年とは思えなかった。受け答えは簡潔明瞭、プライベートは欠片ほども見えてこない。住んでる世界が違うんだろうななんて漠然と思ったりもしていた。
印象が変わったのは、やはり忘年会の一件だった。
年に一回くらい肩の力を抜きましょうよと、梅酒ロックを勧めたのはおれだ。
澄ました顔で、いつもの態度のまま、受け答えだけちょっとズレた。それが可愛かったのだ。
飲み慣れてない人を酔わせてどうにかしてやろうという気はない。
親しみをおぼえ、仲良くなるにはどうしたら、と思った程度のことである。
「……でも、眼鏡みてグっときましたよね、正直」
「……そ、そッスか……」
ミサキさんは顔を覆って赤面モードに入っていた。
「ちょっと隙を探すじゃないですけど、きっかけ欲しいなーと思ってたら」
「…………」
「なんだこのヒト! って」
「どういう意味ッスか!?」
テーブルを叩いて抗議する姿に、普段の切れ味は一欠片も存在しない。カメラとモニターを挟んだことで、ようするに物理的に距離が離れたことで、周囲から警戒すべき敵が消えたのだ。彼女は心身を守る必要を感じなくなっているのだ。
「――甘いんですよ、ミサキさんは!」
「えっ!? あれ!? 自分、怒られてるッスか!?」
「怒ってます! 怒ってますよ、おれは! どんだけユルユルの甘々なんですか!」
「えっ? えっ?」
「まずね、その眼鏡がダメ!」
「ダメ!?」
「ほら! 眼鏡かけてくださいよ!」
「えっ……えぇっ?」
ミサキさんは眉根を寄せたまま、いつもの黒縁眼鏡をかけた。少し太めの四角いフレームが補助線として機能している、だけではない。
「その目! ほら! その目ですよ! ダメですよ! ちょっとポケっとしてて、ああもう!」
「ぽ、ポケっと……?」
「そう! それにその、ゆるい服装にくしゃった髪にっ! 隙の塊じゃないですかっっっ!!」「隙の、塊……っ!?」
あの、チベットスナギツネすら逃げ出すジト目の力が、ふいっと抜けてしまうのだ。コンタクトの異物感や近視が生みだす瞼と眉根の剛力を、眼鏡が自然と脱力させているのだ。
「なんなんですか? おうちにいるから安心ですか?」
「あ、あの……?」
「その萌え袖とか、配信を見据えて狙ってやってるとか」
「や、それは違くて! これ、その、自分、手が冷え性気味で――」
「なん!? その地味にズレた理由っ!」
おれは久方ぶりに我を忘れて叫んでしまった。
可愛さ余って憎さ百倍という言葉もあるが、こういうことなのではと、おれは思った。ガチであざとさを狙ってくれていたなら、憎しみは湧かない。双方ともに合意の上だ。養殖に怒りを抱くのは、天然であれと思っているからなのだ。
おれは違った。
養殖であってくれればよかったのにと、切に思った。
「……あの、ちょっと気持ち悪いこと言っていいッスか?」
「えっ」
「一個だけなんで」
「えぇ……? じゃ、じゃあ、一個だけなら」
「テレワーク……っていうかビデオ会議、他の人ともはじまるかもなんですけど……」
「えっと……そうなんです?」
「そうなんですけど、眼鏡かけるの、おれとのときだけにしてくれたりしません?」
――言い回しが妙なカタチになったので、理解するのに一拍の間が必要だったのだろう。
ミサキさんはパチパチと何度か瞬いて、
「ゔぇっ!?」
と、奇妙な悲鳴をあげつつ眼鏡をくもらせた。そして、いつものようにパタパタと萌え袖を振って顔を扇ぎながら、言葉をつづけた。
「そ、それは、まぁ、いい……ッス、けど……」
「……けど、なんですか? なにか条件があるなら――」
「あ、いや、条件っていうか、素朴な疑問なんですけど」
「なんです?」
ミサキさんは上目遣いのまま言った。
「ジッサイのとこどうなんです?」
「……と、いいますと?……」
「テレワーク、部屋のみんなでやるッスか?」
「えーっと……まぁ、効率に問題がないなら……多分……」
おれは本来すべきだった仕事を思い出し、ペンを取った。
「えっと、どうですか? ミサキさん、仕事の効率とか……」
「えっ? 自分ッスか?」
「他にだれが……」
「えと、自分は……」
ミサキさんはきょろきょろと見回し、そっとカメラに顔を近づけた。まるで、耳打ちでもするかのように、
「能率はあがったけど、効率はさがったって感じッス」
どういう意味? とモニターを見てみれば。ミサキさんは頬も耳も赤くして、髪の毛に何度も手ぐしを通していた。まるで猫のグルーミングだ。
どうやら、おれには計り知れない深い意味があるらしい。
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