テーレッテーワーク
知育菓子の実食を同僚の女子に実況されるというある意味で稀有な体験をし、また人生初のグルメリポートを自分がテキトーにこさえたチャーハンでこなすという苦行をこなし、在宅勤務は危険な四日目に突入した。
なにが危険なのかといえば、なんか接続してるのが常態化しつつあって、声が聞こえないと微妙にソワソワするのが危険なのであった。
なのであったて。
おれは自らの半自動的な思考にツッコミを入れつつ、いつものようにURLを叩いた。
「チッスー」
「ちっすちっすッス」
画面の向こうのミサキさんは、爪になにかを塗っていた。
もはや、ビデオ会議を利用した業務という本来テレワークがもつべきであった性質は失われている。気安い。気安すぎてヤバい。これはもはや、
「……なんか、同棲してるみたいッスね」
「ゔぇっ!? って、あ、あーーーー!」
驚いた拍子に手元が狂ったらしい。
ミサキさんはマニキュアらしき小瓶を机に置いて、ティッシュティッシュと呟きながら部屋を見回す。
「そういうの、テキトーに言っちゃダメっすよ。モニター越しだしってのが透けてるッス」
「えぇ……? いや、それ言ったらミサキさんの方だってそうでしょ」
「自分ッスか? どこが」
「いや、だって爪いじってるし……これ一応テレワークでしょ?」
「そッスねー」
ニヤリと唇を歪めて、ミサキさんがキーボードに指を伸ばした。途端、
テーレッテー!
と、微妙に音割れしている電子音が鳴った。なにか、どこか、聞き覚えのある疾走感。効果音の類だろう。前回の、ねるねるねるねのテーレッテレーと違って、ちょっと攻撃的な……。
「え、っと……あれ? あ? なんだっけ、なんだっけそれ……!?」
「あ、あれ? 分かんないッスか?」
「えーっと、いや、なんか、どっかで聞いたことがあるような、ないような……」
「北斗の拳ッスよ。ウジョーハガンケーン、って」
「え? ん? あー……なんでしたっけそれ。なんか、絶対どっかで聞いたことが……」
「あ、あれー?」
ミサキさんは頬を引き攣るようにしながら言った。
「えっと、自分が……小学生くらいのころ? 某サイトで大会の動画が流行ってて」
「某サイト? 大会?」
「あーっと……格ゲーの大会ッス」
「格ゲー……あ! 格闘ゲーム! それが北斗の拳?」
「えと……ま、まぁ、そうなんスけど……」
急に歯切れ悪くなり、ミサキさんは片手で頬杖をつき、あいた手の爪を弾いていた。
「あの? ミサキさん?」
「えっ? すいません、ボっとしてました。なんスか?」
「いやその、北斗の拳の話……」
「あー、いや、知らないなら話してもなーって……スベったし」
「いやまぁそれはそれとして」
おれは苦笑した。
「いや、おれもぼんやりとは覚えてるんスよ。でもドコで見たとか覚えてなくて」
「あー……まぁ、なんかアニメの再放送とか、そういうんじゃないッスかね?」
「えっ、なんかちょっとテンション下がってません?」
「そりゃ……そりゃ下がりマスよ!」
ミサキさんはバン! とテーブルを叩いた。
「同い年で、同じ会社で、オンナジよーな仕事してて! なんで通じないッスか!?」
「そ、そう言われても……てか、おれの地元ってゲーセンとかなくて」
「マジすか!? ゲーセンないとか、どんな未開の地ッスか?」
「未開の地って……まぁ未開ッスけど……川崎のあたりに――」
「川崎! 千葉!」
「いや羽生の」
「……はい?」
「いやだから、羽生の、川崎」
「……え? 何語ッスか? はにゅう? ゆづる的な?」
――ッッッッッハァァァァァァァァーーーーーーーーー…………
と、おれは深々ため息をついた。
大学受験を機に東京に出てきてから、何度おなじ話をしただろうか。
「言っときますけどね、ゆるキャラの祭典やってんの、おれの地元ッスからね?」
「え? あー、はにゅう? ッスか? あ! あれだ! はにゅうの宿!」
「それイングランド民謡!」
学生時代だけで二十回は使いこんだツッコミだった。
どう教えたものかと考えていると、モニター越しのミサキさんがキーボードを叩いて、ブホッっと吹いた。
「モロヘイヤ! モロヘイヤて! なんでたぬきがモロヘイヤなんッスか!?」
ムジナもんのことだ。羽生市のマスコットで、頭にモロヘイヤの葉を乗せている。
「いいじゃないスか、モロヘイヤ。おれ結構すきですよ?」
「いやでも頭に乗せちゃったら……ふふっ、ムジナもん絶対ヌルヌル……ぷふっ」
「あんまヒトの地元イジんないでくださいよ……」
「あー、ごめんッス。申し訳……って、羽生王様のワタンてなんスか?」
いいつつ、ミサキさんは肩を震わせていた。完全にイジりにきている。
しかし、これだけは、おれも言える。
「ね。おれも知らないんスよ」
「えっ?」
「いや、埼玉のグルメってそんなんばっかッスよ?」
「……えっ? 地元なのに?」
「ですです。てか、おれの地元の話はどうでもよくて、北斗の――」
「えっ? あー……そっち戻ります?」
あきらかに不満そうな目をし、ミサキさんは面倒くさそうに髪の毛に手を伸ばしかけ、止め、爪を見た。マニキュアが乾いてなかったら大惨事だった――のかもしれない。
「まー、なんていうか、自分は動画で知ったんスけど、地元が近くだったんで」
「えーっと……ん? 地元が近くって……え? ゲームセンターだよね?」
「ですです。動画でちょっと有名になったんスけど、そのゲーセンがまぁまぁ近くで」
「へー。どこッスか?」
「中野ッスね」
「中野!? うわ! 都会人だ!」
おれが声を大きくすると、ミサキさんは苦笑しながらキーボードを叩いた。
テーレッテー! と、鳴り響く件の効果音。
どう反応するのが正解なのかは思い出せなかった。もしかしたら知らないのかも。
ミサキさんはそれと気づいてくれたのか、腕組みをして躰を左右に揺すりながら言った。
「あー……えっと、これ、いちおう、ユーはショック! って歌詞がついてるとこの音で」
「……んん!? 歌詞!? アニメってことですか?」
「うーあ、めっちゃややこしいッスね……」
「ユーはショック……あ! おれがショックって! そういう?」
「あ、えと、そうッス……」
苦笑、苦笑い、から笑い、つくり笑い、アルカイックスマイル……表現は多彩だが意味はおなじだ。スベったネタの解説はキツいですよということ。
「えーと……あ! それでミサキさんオタクなんスか」
「オ……オタ!? いやいやいや! 自分の地元は杉並なんで! オタじゃないッス!」
「えと……中野と杉並って隣ですよね? 同じじゃ……」
「ぜんっぜん違うッスよ!」
ミサキさんはふたたびテーブルを叩き、ついでにテーレッテーを連打した。
「杉並で作って中野で売る! 中野はオタッスけど杉並はクリエイターッス!」
「……どっちも似たようなものでは?」
ミサキさんは分かってないなぁと言わんばかりに肩を竦めて、首を左右に振った。モニター越し、カメラ越しでフレームが細かく飛んでいるからか、妙にコミカルだ。
「だいたい、オタクの聖地あつかいしてんのって、埼玉とか田舎のひとくらいッスよ!」
「田舎て。田舎だけども」
「えっ? あ、いや――」
急に言葉につまったかと思うと、ミサキさんは気まずそうに爪に目を向け、ようやく乾いたと確信できたのか髪の毛をくしゃくしゃと掻き回した。やらかしたあとの猫みたいな仕草だ。なにをやらかしたのかはしらないが、田舎あつかいは別に間違ってもいない。
「あー、あんま気にしないでいいッスよ? 地元、マジ田舎なんで」
「や……スイマセン……ちょっと外に出られんくて気が立ってたっていうか……」
「……まぁ、それだけオシャレしても出れないんじゃね……」
「ゔぇっ!?」
この数日でだいぶ聞き慣れてきた奇妙な悲鳴に、おれはモニターを注視する。正確には、モニターの向こうで眼鏡をくもらせるミサキさんを。
「……まーでも、こーういうのは今しかできなそーッスから」
言って、ミサキさんが両手の爪をこちらに見せた。
見事なまでに全部の爪が色違いになっている。
「ウジョーハガンケン、ッス!」
「……いやだから、それなんスか?」
調べてしまえば一瞬だ。おれはミサキさんの口から聞き出すことにした。
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