テレ・ホリデイ

 緊急事態宣言という名の在宅ワークがはじまり早くも五日――いや、マジで予想以上に早かったな?

 そんなことを思いながら室長に進捗報告を送って、おれはミサキさんにつないだ。

 ほぼノータイムで開く小窓。映るはマニキュアで七色に輝く指の爪……と、


「……なんスか? そのデカい……ポケコン?」

「――ポケコン!?」

 

 かくん、とミサキさんの指がずっこけた。


「ポケコンじゃなくてパッドッスね――」

「パッド? てか、あの、指しか映ってないんですけど」

「デスね。指しか撮ってないんで」

「……どういうこと?」

「こういう、ことッス」


 タン、タン、タン、と黄色の爪した中指が四角いボタンを叩くと、キックドラムらしき重い音が響いた。緑の人指が別のボタンと叩くと、今度はスネアか。

 いくつかそうやって音を鳴らして、指先がドヤった。


「……えっと、それ、なに?」

「指ドラッスねー」

「指ドラ」

「ですです。いわゆるフィンガードラムってやつッスよ」

 

 言って、ミサキさんの演奏(?)が始まった。ユルい電子音に乗って、色とりどりに塗られた指がパッドを触ってドラムを奏でる。

 おれは、ぽけっとそれを眺めるばかりで、なにを言おうとしていたのか忘れてしまった。

 そして演奏が終わったと気づいたときには拍手までしていた。

 つい数瞬前まで華麗に動いていた指が震えて、カメラの向きをあげた。黒縁眼鏡にヘッドホンのミサキさんがいた。いつもよりメイクが濃い目だった。


「あ、それ、猫耳」

「ゔぇっ!? そこスか!? てかこれ猫耳じゃなくて熊ッス!」

「熊」


 言われてよく見てみれば、なるほどヘッドホンについた耳は丸っこい形をしている。


「……え? なんで熊?」

「熊ってドラムっぽいじゃないスか」

「……お、おう……? あ、いや、熊はベースでしょ」

「えっ? ええー……?」

 

 ミサキさんが腕組みをして、熊耳のついた頭を傾げた。地味に耳のフチが発光している。


「やー……でも、森の動物のなかでは貴重な椅子に座ってそうなキャラじゃないスか」

「熊が?」

「ですです。鳥関係はだいたいコーラスじゃないスか。楽器キツそうデスし」

「えっ? それ偏見では? というか、ベースだって椅子に座ることあるでしょ」

「へ? ベースが?」

「ウッドベース」

「渋っ! 森の熊さん渋っ!」


 二度も言って、ミサキさんはカラカラ笑った。左手を頭の横に掲げて、右手はお腹のすぐ横に寝かせて、瞼を閉じた。ウッドベースを弾くときの姿勢だ。

 ノってくれたのに甘えて、おれはつづけた。


「ピアノはライオン、ペットはヘラジカ、で、あとひとり変わり種を探してるんスよ」

「うあー、多国籍だし、メンバー全部キャラ濃すぎだし、熊さんしんどいッスよ」

「なもんで、ヘラジカが引っ張ってくんの。いいの見っけた、雑食だけど、って」

「もしかして、人間のサックス?」


 ミサキさんはクスクス肩を揺らしながらパッドを操作し、ウッドベースの音を鳴らした。


「おい、忘れてないか? いちおう、おいらも雑食なんだぞ」

「熊の一人称、オイラなんスか」


 おれは思わず吹き出した。

 ミサキさんはベースの音を鳴らしつつ、『自分』ってイメージじゃないッスねー、などとつづけて、ちょっと真面目な顔をした。

 

「――で、どうスか?」

「……どうって……ああ、なんかカッコよかったッスよ」

「じゃなくて」

「え?」

「やってみたくなりません?」

「……なにを」

「なにをって……だから、指ドラ」


 別に? と、危うく即答するところだった。

 おれは出かけた暴言を飲み下し、いささか緊張した面持ちを見せるミサキさんに言った。


「や、でも、機材とか」

「そこでコレ!」


 待ってましたと言わんばかりにミサキさんがカメラを手に取り、さっきまで叩いていたパッドを写した。見た目はシャープのそろばん電卓『ソロカルEL-428』に似ている。そろばんの横に電卓がくっついている謎の機械。なぜおれが知っているのかといえば小学校の技術教諭が実物をもっていたからである。

 ミサキさんは、そのAKAIとデカデカ印字されたパッドをこちらに向けた。


「AKAI MPX8!」

「えっと……?」

「なんとお値段いちまんにせんはっぴゃくえん!!」

「えっ、高っ!」

「うぇっ!?」

 

 ミサキさんが固まった。


「これっ、とりあえず遊びで叩くには格安でっ……ああ、もういいッスよ!」

 

 言って、ふてくされたように背もたれ≒ベッドに仰け反った。ゔあ~、と喉の奥から絞り出されるような音色に、おれは不覚にも笑ってしまった。


「や、いきなり言われても、おれ音楽とかまったくなんで」

「いーじゃないッスかー……いちまんえんくらい付き合ってくれたって……」

「まあそうなんスけどね。でも音楽は聞くの専門で」

「……どんなの聞くッスかー?」


 あきらかに興味なさげな、社交辞令で聞くだけ聞いておこう的な、投げなりな言い方だった。

 おれはその気配に苦笑しながら口ずさむ。


「さぁーんでぇーい、ぃず、ぐるぅーみぃー……」

「まいあわーずぁ~……って!」


 ガバッと飛び起き、ミサキさんがカメラに詰め寄ってきた。


「怖いッスよ! いまどき洒落にならないデスし!」

「あ、すごい。分かったんだ」

「『あ、すごい、分かったんだ』じゃないッスよ!」


 ミサキさんは器用に声真似を入れつつ言った。


「それ、暗い日曜日ッスよね?」

「そうそう。暗い日曜日」

「ビリー・ホリデイ」

「あ、そっちいったか」


 あらゆる場所であらゆる人によってカバーされた名曲を思い出しつつ、おれは言った。


「まぁ、おれが最初に聞いたのは浅川マキなんスけどね」

「……えっと、どなたッスか?」

「ですよねぇ……おれもばーちゃんちにあったレコードで聞いただけでして」

「LPッスか……」


 ぐにゃっと、ミサキさんの眉根が寄った。

 まぁそうなるだろうなと思いつつ、おれは直近の数日間でもっともテレワークらしい行動を取った。すなわち、すぐに聞けそうな音源の紹介である。


「おー……じゃあ、あとで聞いてみマス」

「――いま聞くんじゃないの!?」


 おれは思わず前のめりになった。ミサキさんは難しい顔をして腕を組み、唸った。首を左右にゆっくり傾け、また戻し、ちょっと上目遣いになってこちらを見た。


「あの、暗い日曜日の歌詞、意味、わかってマス……?」

「歌詞って……」


 大雑把に言ってしまえば、男が死んで、女が後を追ってしまうという話。

 おれは、はっとカメラに目をやった。

 モニター越しに、チベットスナギツネも目を逸してしまいそうなジト目が待っていた。


「えっと……」

「返答次第ッスね」

「まだなんも言ってないんだけど……?」

「言われる前に言ってやったッスよ」


 決然としたジト目。だが、マスクもしていないのに次第に眼鏡が曇り始めた。


「……えっと、AKAIのMPX8でしたっけ?」

「うゃっ!?」

「あと他にあったほうがいいのとか、あります?」

「えっと、や、嬉しいんデスけど、いまは自分の質問――」

「――いいよね、ビリー・ホリデイ。歌を唄う女だから娼婦なんだよ、みたいなね」

「えっ、きも……」

「えっ」


 なんとも言えない沈黙と、真顔に近づきつつあるミサキさんの顔があった。なにかの評論で見た表現なのだが、やはり受け売りはウケない。

 おれは頭の片隅にある余計な知識を蹴っ飛ばし、モニターを見つめて言った。


「えっと……その服、可愛いッスね」

「……そんなんにノっかると思いマス?」

「前から思ってたんスけど、その、袖、ちょっとあざといッスよね」

「……ッ!?」


 ピクン、とミサキさんが揺れた。


「あと、首のところがセクシー」

「せくっ」


 手が、そのセクシーな首元を隠した。仕草がいちいち、あざと可愛い。狙っているのか、狙っていてズレているのか、微妙なラインをいっていると思う。


「――でも、あれッスね」

「なんッスか」

「もうちょっと、カメラに寄ってもらっていいッスか?」

「……いいッスけど……?」


 ぐぐっと前のめりになりかけて、ミサキさんは思い出したようにユルり襟ぐりを押さえて、カメラを覗き込んだ。やっぱり、そうだよなぁと、おれは思う。


「言われて素直にやっちゃうとことか一番可愛いかも」

「――ゔぇっ!?」


 と、ミサキさんは弾かれたようにカメラから離れ、両手をオーケストラの指揮者の如くゆらゆら動かし、やがてそっと顔を覆った。

 ちらっと、指の隙間を広げて、こちらを覗いた。


「……そういう、たまにちょっといじわるなの、ちょっと好きかもッス」


 完璧なクロスカウンター。今度は、おれが赤面させられた。

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