スノードームプラネット

もりひさ

スノードームプラネット


「先輩、雪が降ってきました」


そう言いながら後輩は丁度良い温もりのコーヒーを持ってきた。

外を見るといつから降ってきたのだろう。

確かに夜灯りとでも言う風に煌々と雪が降っている。


「いつ頃から降ってきたのかな。もうすぐ帰らないといけないのに」

冗談を行ったつもりだった。

「先輩は、毎日居座ってるじゃないですか」

「それは、このコタツが悪い」


僕は無遠慮にコタツを叩く。

後輩はコーヒーを一口飲んで溜息を吐いた。


「あんまり長居しないでくださいよ。まるで浮気してるみたいなんで」

「浮気でもいいんじゃないかな。なんだかんだでコタツに入りたいんだろ」


後輩は一呼吸置いて「別に」とそっけなく言って窓に目を浮かしていた。

そっけない返事をしてもそっけなく響かないのが後輩の特徴で、それは多分彼女の声が誰に対しても本質的に誠実なせいだと思う。


彼女は静かな人だった。

しかし、どこか単純で、僕でさえ見透かせるような行動をする。

言い換えるなら後輩は、猫だ。それも、野良猫。


いつだって毅然としていた。そして決めた行動に対しては単純だった。

目的が達成できれば嬉しがりもせず次の目的を作り、興味のないことには徹底的に興味を示さずそっぽを向く。あわてず、さわがず、でも時々嬉しい時にひっそりと誰にも見つからないようにはしゃぐ。


そういう女性を僕は後輩以外に見たことがない。

女性は大概、怖いか、可愛いか、美しいか、無関心かだ。


「先輩がそんなこと言ってるの聞いたらスズ先輩は悲しみますよ」

その通りだ。本当に僕は悪い人間だ。よくもこんなやつとすずは付き合っていられたなと思う。


後輩と同じように窓の外を見る。

雪は一瞬煙のような尾を帯びて夜の底へと消えて行った。


そんな人間だから罰が当たったのかもしれない。


鈴は去年死んだ。

正確にはそのが届いた。


元々心臓の病気だったが、余命宣告も聞かないうちの報せだった。

そして同じ頃、後輩は別の男と付き合い始めたのだ。


「すいません」

下を向いていた僕に後輩は謝る。


なんとなく、こんな日が来る気はしていた。


後輩の恋人の顔は見たことはないが、最初は旅人で方々と飛び回っていると聞かされていた。次、いつ家に帰ってくるかも検討がつかないと後輩は言っていた。


だからこんな日が来る気はしていた、というのは二つの意味でそう思っていたのだ。

一つは、鈴の死の報せ。

もう一つは、後輩の“家”に居候すること。


後輩は僕の見立て通り誠実な人間だった。

鈴の死の報せが来てから数日後僕は後輩に提案されたのだ。

「私の“家”で一緒に待ちませんか」


後輩と鈴は小さい頃からこの家で一緒に遊ぶ仲だったらしい。

そこに僕が入って、その次に後輩の恋人が入った。


最初のうちはわざわざ恋人持ちで家に上げずとも他に鈴に対する弔いなんていくらでもできそうなものなのに、と独善的に考えていた。


実情を知ったのは半年ほど前だった。


後輩の恋人は戦地にいるのだ。

たまたま僕は後輩の家に一人でいた時彼女の部屋の奥に戦地に関する入場許可証と渡航用パスポートが落ちていたのを拾って見てしまった。


後輩の恋人が映る写真は全てそこに置いてあった。快活で邪気のない笑顔を浮かべ後輩を困らせている。なんとなく鈴に似ていた。

結局、僕らは同じように僅かな可能性にかけて恋人の帰りを待つ未亡人予備軍になってしまったのだ。


「彼は雪が好きだったんですよ。暗くてもよく見えるから」

後輩は少し笑う。

僕も雪を見てはしゃぐ鈴の顔が浮かんでなんとなく笑んだ。


「本当に子供みたいですよね。二人とも」

「そうだな」


昔、鈴にはよく後輩と僕が付き合っちゃえばいいのに、とからかわれていた。

でも、もしかしすると付き合うかもしれない、という雰囲気にはならない。


確かに後輩は女として可愛い。


しかし鈴とは全然似ていない。

鈴の方が愚直だし、ちょっとしたことで慌てふためき、泣く、そして何よりはしゃぐときは誰よりも大いに、子供みたいに、はしゃぐ。


だからこそ後輩を選ぶのは鈴の帰る場所を消し去ることと同義だと思っていた。ところが、互いに天邪鬼なものでそっけなく過ごそうと思えば思うほど口数は増え、沈黙に耐えられなくなっていく。


僕と後輩は、案外似た者同士なのかもしれない。


「どうして、ときおり雪が降るんだと思います?」

「どうしてって、流石に彼女との記憶が消えるほど薄情じゃないよ」


僕はそう言いながら少し考えて

「鈴が外のだろ」

と答えを出す。


後輩は黙ってこちらを向きうなずいた。


「そういえばどうして直さないの?」


言の弾みでいつも飲み込んでいた疑問が出てしまった。

答えは自明だ。


雪は鈴の思い出だから。

しかし、正解は違っていた。


「恋人が帰ってきた時に、外から見たら雪が降っているこの家が、昔持っていた雪を閉じ込める玩具みたいで綺麗だ、って言ったんです」


そうか。考えてみれば当然だ。

僕の中に鈴との雪があるように後輩の中にもまた恋人との違う雪が閉じ込めらているのだから。


やっぱり僕と後輩は似た者同士だ。


その事実が妙にもどかしくて、後輩から視線を逸らし別の方向から外を見た。


広い宇宙に端っこなんてない。


だけど僕らはその宇宙の片隅。


球状の一部屋だけのコロニーでずっと帰りを待っている。


今日も鈴が壊した冷却バルブのドライアイスが外に流れ出す。

コロニーのガラスにすがって夜の底、否、宇宙の底へと落ちていく。


後輩の恋人はどの惑星の戦場に赴いたのだろうか。

きっと記憶違いなのだろう。後輩の恋人の言っていた雪を閉じ込める玩具は内側に雪が降り積もっているものなのだから。


どんなに縋ろうとしてもこの場所では雪は遠い宇宙の星になってポロポロと落ちていく。


でも、きっと帰ってくる二人にはまるでコロニーが雪を閉じ込めたように見えるだろう。


この暗闇の帳で、雪は夜に向かって降り積もる灯りなのだから。


僕はなんとなく後輩の横に立ってガラスに触れドライアイスの雪を手に収めようとした。


しかし、雪は難なく降り落ち僕の手からこぼれていく。


そういえば結局、彼のその玩具はどこへ行ったのだろう。

もしかすると戦地に持っていったのかもしれない。


問いこそしなかったが、後輩の横顔に再び視線を移してそう思う。


僕のコーヒーはすっかり冷めていた。

夜の底のようで、苦い雪解け水の味がした。
















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スノードームプラネット もりひさ @akirumisu

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