第3話 謎の男との帰り道

 これまでのあらすじ。

 私、美園みその香織かおりは、いつもどおり出勤しようと玄関のドアを開けると、そこには永久保ながくぼあかしと名乗る不審なイケメンがいた。

 永久保は私の勤めている会社にも現れ、帰宅しようとする私を待ち伏せていた。

 私のことを『姫様』と呼ぶ永久保の話によれば、私は前世ではお姫様で、永久保はその家臣だった、らしい。

 来世で結ばれることを誓って二人で川に身を投げ心中した私と永久保(の前世)だったが、何故か私にはその記憶が引き継がれなかった。そもそも私は前世など信じてはいない。

 で、前世の記憶が残っている永久保が一方的に私に求愛攻撃を仕掛けてくることになったのであった。


 今は会社からの帰り道。永久保が「香織さんに一人で夜道を歩かせるなんてとんでもない」と送ってくれる形である。

 ……私からしたら、永久保もだいぶ不審者なんだけど。

 そもそも前世で恋仲だったとか言われても信じられないし、前世は前世、現世は現世だ。前世の約束なんて馬鹿正直に守らなくても新しい恋に生きればいいのに。

 そう永久保に言ってやると、「私は前世から、貴女と結ばれたかったのです」と寂しそうに笑って、何故か私の胸がズキリと痛んだ。

 何故か、その寂しげな笑顔をどこかで見たことがある、知っている、気がしたのだ。

「そ、そういえば、なんで私の会社の場所、知ってたの?」

 私は話題を変えようと、疑問をぶつける。

「ああ、姫様――香織さんのお母様に教えていただきました。あとはスマホで検索すれば地図も出ますし、現世というのは便利なものですね」

「お母さん……」

 私は頭を抱えたくなってきた。母はイケメンに弱いのだ。きっと私の個人情報をべらべらと流出させたに違いない。

「私の家も、そうやって特定したの?」

「香織さんを人混みの中で見つけたときの喜びはとても言い表せるものではありませんでした。声をかけようと思ったのですが家の中に入ってしまったので、朝に家を出るタイミングで声をお掛けしようかと」

「えっ、まさかずっと外で待ってたの!?」

「ご安心ください、前世の頃から野宿には慣れております」

 いや、そうじゃなくて。警察は見回りをもっと強化したほうがいい。

 これは明らかにストーカーである。しかも前世の記憶とかいう名の妄想癖がある危ないやつだ。

 私はすすす、と永久保から静かに距離を取ろうとする。

 が、永久保に手を取られ、指を絡められる。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。

「ここら一帯は街灯が少なくて暗いですから、あまり離れると危ないですよ?」

 そう言ってニコッと微笑む永久保。

 ガッチリと指をホールドされ、逃げられない。

 私は観念して、永久保と恋人繋ぎをしたまま、駅まで歩く羽目になった。

「おや、美園くんじゃないか。今日は随分上がるのが早いと思ったら、これからデートかい?」

 私の上司である課長が、親指を立てながら私に話しかける。

「ふむ……おうちに帰る前に、デートしていくのも一興ですね、香織さん?」

「まっすぐ帰ります」

 課長に恋人繋ぎを見られたのが照れくさくて、ぶっきらぼうに返す。

 帰り際に会社の前で大声で『姫様』と呼ばれ、課長には恋人繋ぎを見られて。

 明日にはもう噂になっていることだろう。「美園香織には彼氏がいて、自分を『姫』と呼ばせている」といったところか。

 考えただけで顔から火が出そうだ。

 電車の中でも恋人繋ぎは継続されていた。まるで二度と離さない、逃がさないとでも言うように。

 電車がカーブで大きく揺れて、吊り輪から手が離れてしまった。

 ヤバい、倒れる――!

 と思った瞬間、恋人繋ぎをした方の手を強く引いて、永久保が私を抱きとめた。

「――お怪我はありませんか?」

「だ、大丈夫……」

「なら良かった」

 永久保は心の底から安心したような笑顔を浮かべていて、

 ――ああ、この人は、本当に嘘偽りなく私が好きなんだ、と、確信してしまった。

 前世の約束だからとかじゃなくて、前世でも現世でも、私のことが好きでたまらないんだ。

 そう思うと、ボボボ、と顔が燃え上がりそうなほど真っ赤になるのを感じた。

「暑いですか? 一度降りて、自販機で水でも飲みましょうか」

「い、いえ、大丈夫です……」

「そうですか?」

 永久保はクスッと笑って、

「――何かご用命があれば、何でも命じてくださいね? 私は貴女の家臣、ですから」

 と、周りに聞こえないほどの声量で囁いた。

 人でギュウギュウの電車内。

 抱き合うような格好で身動きも取れない。

 これは、確信犯だ。

「……か、家臣って、前世の話じゃないですか……」

 消え入りそうな声でそう返すのがやっとだった。

「そうですね、もう恋人ですもんね」

「恋人でもないです」

 出会ったその日に恋人宣言は流石に早すぎるぞ。

 ――いや、永久保にとっては、何百年も待ち続けた今日この日、なのか。

「では、香織さんにも恋人の自覚が芽生えるように、今度明るい時間にデートでもしましょうか。またのちほど連絡します」

 連絡?

 電話番号すら教えていないのに、連絡手段があるのだろうか。

 それも母が漏らしたのかな。

 頭に疑問符を浮かべながらも、目的の駅に着いて、永久保に人混みをかきわけてもらい、電車を降りる。

 あとは駅にあるバス停から、家の近くのバス停までバスで移動して、徒歩で帰るだけ。

 そのルートも、永久保はついてきてくれた。

「永久保さんはどこに住んでるの?」

「おや、私に興味、わきましたか?」

「別に。聞いてみただけです」

 私の天の邪鬼な性格が素直な気持ちを喋らせない。

「なら、秘密です」

 永久保は「しーっ」をするように、唇に人差し指を当てて、いたずらっぽく微笑んだ。

 その大人っぽい仕草にドキッとしたなんて言えない。

 とはいえ、永久保の情報を少しでも知る機会を逃したことは残念だった。

 気づけばもう家の前である。

「それじゃあ、永久保さん、おやすみなさ――」

「香織さん」

 別れの挨拶をして家に入ろうかというときに、永久保が私を呼び止めた。

 玄関のドアを開けようと伸ばした手を止めて永久保の方を振り返ると、彼は跪いて私の手を取っていた。

 ――家臣、というより、王子様のようだった。

「また会ってくださいますか?」

 その問いに、私は揺らいだ。

 自称家臣のストーカー。結婚したいと言い出したり恋人だと言い張ったり極端な発言。……でも、私のことを心から敬愛し、思いやってくれる。

「……もう人前で『姫』って呼ばないでくださいよ?」

 私の返答に、ぱぁっと目を輝かせる。

「はい! 気をつけます!」

 そして、私の手の甲に口づけて、立ち上がってお辞儀をすると、そのまま背を向けて夜の闇に消えてしまった。

「不思議な人だなあ……」

 私はそうつぶやいて家の中に入った。


〈続く〉

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