幕間『先代の勇者』

慶応3年11月15日京都┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



大政奉還(政権を帝に返し奉る)を成し遂げた男。

坂本龍馬は潜伏先の醤油商『近江屋』の二階奥の八畳程の部屋で客人を迎えていた。


「坂本くん……大事なお身体故、くれぐれも用心して下さい。特に壬生の狼。連中は坂本くんを目の仇にしております故」


この客人。伊東甲子太郎は御陵衛士(高台寺党)の盟主である。龍馬の事を坂本くん等と言うが、この男とて元はその壬生の狼『新撰組』の参謀をしていた男である。信用出来た者ではない。

ただ、剣術の同門。とだけの繋がりでしかないのだ。


「忠告感謝しますわ。ですが伊東先生、土佐藩邸も目の前じゃし。何とかなる思ってますよ」


ガハハと楽観的に笑う龍馬。

確かに道を跨いだ先が土佐藩邸ではあるのだが……やはり安全とは言い切れないのは事実だ。


「何故、土佐藩邸に入らないのでしょうか?向こうの方が絶対に安全でしょう?」


伊東もいささか心配性なのか、この坂本龍馬と言う男には生きて貰わねばと思っている。

薩摩藩の西郷に頼まれたのもあったのだが……。

その西郷も身の危険を察知して京を去っているのだ。


「大丈夫じゃ。死ぬ時は死ぬんじゃ。それにの、この屋根の低い部屋で刀は不利よ。そん時はワシの銃の独壇場じゃ!ハッハッハー」


「はぁ……では僕は行きますが、何かあれば必ず、土佐藩邸か薩摩藩邸を頼って下さい」


伊東はそう言って近江屋を後にした。





日も暮れて親友の中岡慎太郎と峰吉が龍馬の元に訪れた。


「おぅ、中岡。よう来たな、ゴホッゴホッ」


「どした龍馬。風邪か?伝染すなよ」


中岡は刀を屏風の裏へ置くと、小鉢の前に座る龍馬の向かいに座る。


「あぁ、ちくと風邪を引いてるんじゃが食欲は旺盛じゃ。峰吉、軍鶏買って来てくれんか?鍋食べたい」


「おお軍鶏鍋か。良いのう。ワシからも頼む、峰吉すまんな」


「あい分かりました」


嫌な顔ひとつせずに峰吉は部屋を出ると、一階にいる力士の藤吉に声をかけてから、近江屋を出た。



「それより龍馬。本当に大政奉還を実現してしまって、これからどうするつもりなんだ?」


「あ〜それなぁ。実わ、ワシも困っちょる。まさか慶喜公が政権を手放すとは思ってなかったからな!参ったのう……土佐に新式銃を千丁も買わせてしまったし、倒幕の大義名分作ろ思ってたのが、まさかの大政奉還じゃ」


「いや、お前のせいだろが!後藤象二郎を使って山内容堂に建白書書かせて……もう知らん!」


「そんな事言うなって、中岡さん一蓮托生じゃ。しかし、武力倒幕で儲けよう思っておったワシのハッピーライフが頓挫中でよ」


「お前本当に殺されるぞ!」


「……冗談、冗談。これで無駄な血は流れなくはなったんじゃ。新しい日本の夜明けぜよー!ガッハッハッ」


この坂本龍馬と言う男は昔から、突拍子もない事をする。幼少の頃は、泣きべそばかりたれていたのだが。


しかし本当に敵が多く、殺されてもおかしくないのは事実だ。それは中岡も同様ではあるが、龍馬ほどでは無い。龍馬は寺田屋で捕縛に来た同心を射殺している。

それだけでも奉行所からすれば血眼になって龍馬を探しているであろう。


伊東の言うとおり、土佐藩邸に居れば安全なのは間違いないのではあるが、入れて貰えずなのである。

龍馬は現在は元脱藩浪人だ。

現在は脱藩の罪は許されて、帰参した身なのだが、下士と言う低い身分は変わらない。

故に土佐の中にも龍馬を良く思わない上士も多い。

土佐藩邸に参政の後藤象二郎でも居れば、話は別であろうが、現在は土佐に戻ってしまっている。


次に薩摩藩邸だ。

龍馬と中岡は薩摩志士らと友好は高いが、薩摩藩邸に匿われていたら、それこそ土佐の怒りを買う事になる。

脱藩浪人時代とは事情が異なる悩みである。

そんなわけで土佐藩邸の目と鼻の先にある『近江屋』に潜伏しているわけである。



午後八時過ぎ――

近江屋の一階の店の戸を叩く音がし、待機していた藤吉は戸を少し開け。

「今日は店しまいですよ。また明日にお越しください、すんまへん」


すると―――


「十津川郷士の者です。坂本先生にお目どうり叶いませんか?これを―――」


暗くて顔は良く見れなかったが短身痩躯で高い声だった。これをと名刺を渡され仕方なく龍馬の元へと取次ぎに行こうと階段を数段登った時―――


背中に熱いものが走る。何か熱湯でも浴びたのかと思った藤吉は振り返ろうとして、足がもつれ倒れた。





下の階から何か大きな音がし、中岡は立ち上がろうとしたが、それより先に、

「藤吉うっさい!」

と龍馬が声を張ったので、中岡は立ち上がらなかった。


「おお、中岡すまんな、藤吉がよく階段で転ぶんだわぁ、うっさい奴ぜよ」




しかし、龍馬たちの居る部屋の襖の前に人の気配。

龍馬と中岡が襖に視線を向ける前にスっと襖が開いた。

すると―――



「お久しぶりです坂本さんッ!」


「さ、佐奈子さん?ど、どういて京都ここに!」


「龍馬、知り合いか?」


中岡は龍馬の慌てぶりに驚くよりも、関係に対しての好奇心が上回る。


突如現われた女性―――千葉佐奈子である。

龍馬が江戸に剣術留学していた北辰一刀流道場。

その道場主、千葉定吉の娘が佐奈子だ。


「わたくしは、坂本さんの妻、佐奈子です。以後、お見知り置きを―――」

「ちょ、ちょっと!佐奈子サン!」

龍馬が珍しく慌てる姿に中岡も、おっとこいつは、面白い事になりそうだなと思い、わざとらしく口を滑らせる。

「おや?ワシの知っておる龍馬の妻は、確か『おりょう』だった様な……」

「中岡さん?それは―――ッ」


その刹那、部屋の掛け軸に赤い点が、ピッと着いた。


龍馬と中岡、二人が掛け軸を見ると血が掛け軸に着いていると確認すると、龍馬の額から血が垂れる。

この時漸くして龍馬は斬られた事を知った。

「り、龍馬ァァァ!」

突如、盟友が斬られ動揺する中岡だが、流石に死線をくぐり抜けて来た志士である。

背後の屏風の裏に置いていた刀に手を伸ばすが、背を肩から腰まで深く斬られた。

「ぬぁぁっ!」


ほぼ中岡と同時に龍馬も刀に手を伸ばすが、意識朦朧となり一瞬遅れ、鞘から抜く事間に合わず佐奈子の剣を鞘の腹で受ける。


失念していた。

佐奈子は北辰一刀流小太刀免許皆伝である事に。

幕末の江戸三大流派の筆頭である北辰一刀流、桶町千葉道場の『鬼小町』それが佐奈子だったと―――


「さ、佐奈子サン……ど、どういてじゃ?」


「どうして?だって坂本さんが悪いの。わたくし、ずうっと、待っていたのに全然迎えに来ないのです。ですからこうして会いに来て差し上げたのですけど……?」


佐奈子の表情は鬼の形相では全くなく、涼しい顔だ。


「なんで中岡を斬ったがじゃ!」


「二人きりになるのに邪魔でしたし……それと、おかしな事を仰るので仕方なく♡」


ここに来て一番の笑顔で佐奈子が返す。

まるで悪びれた様子も微塵もない笑顔だ。


「佐奈子サン……ワシは、佐奈子サン以外の女と夫婦になったがじゃ……」

「聞きたくない!」

佐奈子の剣に力が入り、龍馬の刀の鞘にヒビが入る。

全く鬼小町。押し返す事も出来ぬ龍馬。


「おかしい、おかしい、おかしいわ!まるでこれじゃ、わたくしがフラれたみたいじゃないですか!無い無い、わたくしがフラれるなんて無いのよ。ダメなのダメダメダメダメダメダメダメ―――ッ」


狂気に満ちた佐奈子の顔を最後に見た龍馬の力が抜けて行く……龍馬の頭蓋を佐奈子の剣が走った。



―――

――――――

―――――――――




なんだ?痛みは無い。脳もやられて感覚も無くなったのだろうか?それとも、死後の世界か?

三途の川すら見てないのだが……?


「……成功しましたッ」


なんだ?何か聞こえる。

身体の感覚が戻ってくる。うん。動けそうだ。

よし。目を開けてみるかの。



龍馬が目を開くとそこには、金髪の長い髪に藍色の瞳をした肌が新雪の様に白い女性が膝をつき、潤んだ瞳で龍馬の前にいた。


「い、イギリス人か?は、はわいゆー?」


とりあえず龍馬は知っている挨拶の英語で目の前の金髪の女性に話かけた。


「お目覚めになりましたね!ボクは……聖女アチナです!どうかこの世界をお救いください勇者様!」


「は?」



こうして龍馬は勇者リョーマとなり、異世界にやって来たのだった。

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