第19話『剣聖椿よ、安らかに』

 剣聖椿つばきには両親はいない。

 狐型の亜人であるが、この世界には同族の亜人種はおらず、椿だけである。


 それは椿が創造神アルテミスによって造られた存在であるからである。

 名前は……まだない。と言うより付けるの忘れてただけだ。(アルテミス談)


 これは狐人の少女が椿になる話である。



 ◇



 300年前。

 大陸の北部、霊峰須弥山。

 極寒の地であり、夏以外は毎日雪が降る永久凍土の須弥山には人は住まず、居るのは狐人の少女が一人だった。


 少女は『勇者の巫女』としてアルテミスに造られたユニットにしか過ぎない。名前は無かった。

 天命は勇者の試練のある洞窟へと案内するだけだ。

 それだけのために造られた。


 ただ、毎日、勇者を待つ。簡単なお仕事。

 簡単過ぎて退屈を通り越して苦痛でもあるが、少女は須弥山から出る事が出来ない。

 その様に言い付けられたからである。


 創造主アルテミスの言い付けを数百年も守り、雪深い山の洞窟で、ひたすらに勇者の来訪を待つ。


 以前に勇者に会ったのはいつだったか?100年か200年か、数えてもいないし、覚えてもいない。

 二刀流の豪快な男だった。酒臭くて嫌いだった。

 特に会話をした訳でもなく、また孤独の生活に戻る。

 洞窟から見える景色は相変わらずの白と灰色の世界だ。たまに晴れると、眩しくて目がしょぼしょぼするのだ。


 微かに鈴の音と、雪を踏む音が聞こえる。

 吹雪の中でも、その音だけは聞き逃さない。

『勇者』が来たのだ。


 洞窟の入り口にて一行を出迎える。

 一行は四人の様だ。だが、試練には勇者一人で向かわなければならない。


「お待ちしておりました。試練の間はこの先にございます。他の方々はこれより先へは御遠慮下さい。勇者様、それでは――」

「とりあえず腹も減ったし、後でよいじゃろ。家はどこじゃ?」

「はい?」


「ちょっとリョーマ!いきなり家連れてけとか失礼過ぎるよ!自己紹介もしてないし!」

 長い耳の付いた背の高い女性が勇者の肩を掴み、何やら怒り出した。


「おぉ、そうじゃった。わしはリョーマじゃ。なんか知らんが勇者やっとる」

 黒髪のボサボサ頭の勇者は名をリョーマと言うらしい。


「私はユーリ。見ての通りエルフよ。あっちのデカいのが、バカライオで、そっちのがアホ」


「バカってなんじゃそらぁ!」

「ボクの方が雑!」

 バカライオと言われた大きな男が迫りよって来る。怖い。

「俺は牙狼族のライオだ!同じ亜人みたいだな!まぁよろしく!」

 喋る度に空気が揺れる。迫力が凄いけど、耳が痛い。


「洞窟内で騒ぐなバカライオ!」

 ユーリと言うエルフは口が悪いらしい。


「あ、えーとボクはアチナ・セイクリッド。ご覧の通り聖女さ!フフン!」

 プラチナブロンドの髪の明るい女性はさっきアホと言われた人だ。


「ご覧の通りアホの間違いでしょ?」

「またアホって言った!」


「それで?狐っ子。われの名前はなんじゃ?」


「名前……ない」


「無いって……親とか居らんのか?」


「居ない。私は勇者を待つだけ。神が決めた」


「アチナ。これはどういう事じゃ?」


「うーん。つまり、この子はアルテミス神の使いみたいな存在で……みたいな?」


 余りよく知らないらしい。頼りにならない聖女の様だ。


「役立たずが!」

 スパーンと丸めた雑誌でアチナの頭を叩くユーリ。


「痛いっ!ねぇリョーマ!ユーリがぶった!ぶったよ!父様と母様と妹とメイドにしかぶたれたこと無いのに!」

 結構ぶたれているらしい。



「家もないのかしら?」


「ない。ここに居るだけ」


 一行は沈黙する。


「よし!家造ろう!皆手伝え!」


「はぁ〜……そうなると思ったわ。リョーマと居るといつもコレ!」


「そうだな!この間は温泉掘ったしな!」


「ボクはリョーマとなら、なんでも楽しいよ!」


「あんたは何でも楽しくて羨ましいわ!」


 騒がしい勇者一行だ。こんな事は初めての事であり、少女は困っていた。


「よし!やるそ!ユーリ。雪止ませるぜよ!」

 勇者が訳の分からない事を言い始める。


「はぁ?あんたまさかまた精霊の力使って天候操作しろっての?」


「頼むぜよ」


「最近、呼んだ精霊が舌打ちするのよね……」


「…………」


 ユーリが風の精霊『ジン』を雪を止ませるためだけに呼んでいる間、ライオとリョーマは木を伐採しに向かう。


「ねぇねぇ!リョーマ!ボクは何すればいい?」


「あー……アチナは雪ダルマでも作って待っとれ」


「うん!まっかせなさーい!」

 意気揚々と、役目を与えられたアチナは雪ダルマ作りに励むが、遠回しに何もするなと言われている事などアチナには分からないらしい。



 ◇



「とりあえず出来たな!これで立派な家じゃ!」


 洞窟から少し離れた場所で木を伐採し、平らに整地された所に、立派とは言えないが、木造の家が建っていた。


「これが、われの家じゃ!早速入ってみい!」


 初めて見る家。少女は恐る恐る入り口に向かうと、扉の所に、妙な模様の様な文字が書いてある。

 少女には読めない。


「勇者。この模様はなんでしょう?」


「お、おう。それは名前じゃ。椿。われの名前は今から椿じゃ!さっき考えた」

模様ではなく、勇者の世界の文字の様だった。


「ツバキ……これが名前……椿……」


 少女は初めて覚えた単語を繰り返し呟くと、無表情だった顔が、徐々に笑顔に変わっていく。嬉しかったのだ。

 親とも呼べないが、創造主たるアルテミスにすら、名前どころか、存在すら忘れられているだろう、巫女が初めて感情を手に入れた瞬間であった。

 こうして椿つばきは誕生した。


 リョーマ達は数日間だけの滞在であった。その間にリョーマは無事、試練を済ませた。

 色々な話を聞いた椿は、須弥山の外では魔族とその他の部族が争っている事などを知った。

 椿はアルテミスに与えられた天命により、須弥山の外に出る事は不可能であった。


「また来るぜよ!これから魔族の王様に会って来る。上手く行けば平和になる。そしたら椿、わいの弟子にしてやるから待っとれ」


「はい!リョーマ様、お元気で!」



 ◇



 それから数年が経ち、本当にリョーマが再び須弥山を訪れた。知らない女性と二人でだ。


「遅くなってすまんの!椿、元気にしてたか?」

「はい!リョーマ様もご無事で……その黒い人は?」

「あ?あぁ、コイツはノア。わいの妻じゃ」

 妻?が何か分からないが、とりあえずリョーマの知り合いの様だ。

「この子がリョーマの言ってたツバキね。初めまして、私はノアよ。魔王ギリエルと言った方が分かり易いかしら?」

「ま、魔王?!」


「子どもを怖がらせんなや!椿、ノアは元魔王じゃから安心せい」


 いや、元とかじゃなくて魔王だったにしろ、普通に怖いのだが……


 それから、リョーマ達の話で、世界は平和になったらしいのが、分かった。しかも神であるアルテミスを封印しちゃいました的な問題発言もあったが……。


「それでな椿。お前ここから出れるぞ」


 アルテミスを封印した事により、椿の天命はなくなったいた。須弥山以外の場所にも行ける事にもなった。


 それから椿はリョーマ達に連れられて、世界中を旅した。

 天命からの解放は須弥山から出られるだけではなかった。椿の身体にも変化が訪れた。


 身体の成長である。

 椿は1000年近く、少女の姿で過ごして来たのだが、アルテミスの眷属では無くなった事で、人の成長とは違うものの、背も伸び、女性らしく成長した。

 また、成長限界が解除され、剣の腕も上達していった。


 50年程経った時、リョーマが他界した。

 人族の寿命らしい。


 リョーマは死に際に椿に愛刀、陸奥守吉行と邪神封印の結界石を託した。

 免許皆伝の証らしい。


 勇者リョーマは椿にとって師であり、また父の様な存在であった。


 あれから250年。

 椿はリョーマに教えてもらった剣の稽古を毎日欠かさず、いや、2、3日に一度かもしれないが、鍛錬を重ね、剣聖と呼ばれるまでになった。



 ◇



 現在。



「夢か……」


 椿は須弥山の山中でうつ伏せのまま、意識を失っていたようだ。寒空の下、どれくらいの時間が過ぎただろうか?身体に積もる雪は冷たいが、不思議と懐かしい気持ちになる。


 謎の騎士と使徒に敗れ、深手を負った身体は立ち上がる力も湧かない。命の灯火があるのなら、今の椿の灯火は消える寸前であった。


 見える先に愛刀が雪上に刺さり、主を待っているかの様だ。

 椿は身体を這いつくばったまま、愛刀へと近づく。


「……師匠……直ぐに其方そちらに行きます……」


 椿は今にも閉じてしまいそうな瞳を、耐えながら愛刀の刃を触れた。


『頑張ったな椿。また剣を教えてやる。行くぞ』


 またしても夢か?それとも幻か?

 椿の前に出会った頃と変わらないリョーマの姿があった。


「し、師匠……?」


 リョーマの姿は直ぐに消え失せてしまう。

 椿は縋る様な声で語りかける。


「待って!置いていかないで……下さい!また一緒にいさせてください!師匠ぉぉ」


 頬を伝う涙が、落ちる事なく凍る。

 いつの間にか貫かれた胸と背中の傷も凍りつき、痛みは無い。徐々に椿の身体も凍りついて行く様に力も抜けて行く……。



「……ちゃん!」



「椿ちゃん!良かったまだ息がアルテミス」

「エイル。今そういう冗談要らないから!」


 聞いた事のある声がする。

 この阿呆なやり取りは……。


「……エイルか?どうしてここに?」


「椿ちゃん……いいから!今アチナも来るから、安心して!」

 椿の身体を抱き、顔を近くにして声をかけるエイルの瞳に涙が溢れている。

 椿はエイルの頬へと手を伸ばし、涙を拭う。


「……そっか、だが……私はもう駄目だ……間に合わない……エイル、今まで楽しかった……ありがとう……」


 頬に触れていた椿の手がパタリと落ちる。


「嘘だろ?ねぇ?椿ちゃん!椿ちゃん!」


「エイル……」


 ミカエルはかける言葉が見つからず、悲しみに震える背中をただ、見守るのだった。


「うっ、うっ、椿ちゃん……」










「……スースー」


「…………?」


「スースー……」


「椿ちゃん?」


「何よ?死んだんじゃなかったの?」



 エイルは椿の顔に耳を近付けると、椿の鼻息が微かにかかるのを確認した。


「生きてるね。って言うか寝てるだけだね」


「んだよ!ちょっと貰い泣きしちゃったわよ!殺す?」


 わざわざトドメ刺さないで!






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