第28話

「丸の内は、僕が似合う街ですね」

 心地よい風を受けながらオフィス街を歩いていたら、ふと、そんな言葉が口をついて出た。

 S 女史が1課の仕事で、僕の視界から消えてから1週間。僕は今、ジェニーさんと丸の内の街を歩いている。

 2人きり、なのだが、残念ながら、デートではなく、2人で打ち合わせの場所へ向かっていた。

 前日の雨が嘘のように、アスファルトは乾いていた。薄曇りの空を背景に木々たちが、各々の緑を自己主張するかのように風を受けて細かく揺れていた。

 丸の内は僕が似合う街だと言ったら、ジェニーさんは、驚いたような顔をして僕を見た。

「ハリーさんは、六本木のほうが似合うと思いますよ。それも、昼じゃなくて、夜のほう」

 僕は、ジェニーさんにわかるように、少し大げさにため息をついて見せた。

「ジェニーさん。僕は横浜の人間ですよ。東京には横浜に匹敵する街はありません。ま、強いて言えば、銀座とか丸の内辺りが、僕の許容範囲ですね。六本木のようなネオンで作られた街は、浜っ子の僕には合いませんね」

「そうですか?似合いますよ。特に夜の六本木。ハリーさん、紫が似合いますから」

 紫は好きな色だが、夜の六本木が紫とは心外だ。

 紫は高貴な色であり、ネオン街の色と一緒にされるのは好ましくない。

「ハリーさん、六本木でホストが意外と似合うかも!あ、これは、アタシの勝手な想像ですけどね」

 かわいく笑うジェニーさんを見ながら、僕は脳裏に浮かんだS女史の顔を何度も拳で殴った。  

 まさか、あの人、僕の過去を・・・。

 いやいやいや、そんなはずはない。

 人の過去をペラペラと他人に話す人じゃない、と信じたい。

 夜の六本木で働いたことがあるのは事実だ。2週間ぐらい、だが。

 気のせいか、丸の内の風が生ぬるく感じてきた。



 ここは皇居のお堀が見える喫茶店。

「へえ、ジェニーさんっていうの?日本語うまいねえ」

 初老の担当者が、なめまわすように、目を上下左右に動かしながら、ジェニーさんを見た。

 その目つきといったら、男の僕でも気持ちが悪くなるほどだった。

「べっぴんさんだねえ。艶っぽいっていうか」 

 ジェニーさんはにこやかな笑顔を絶やさず、ニヤニヤと話す初老の担当者に答えた。

「ありがとうございます。私、昔は、金髪だったんですよ」

「ほ、ほんとに?」

 担当者が身を乗り出したところで、携帯電話が大きな音で鳴った。

「あ、会議室が空いたかな?ちょいと失礼」

 携帯電話で話をしながら、担当者が喫茶店を出た。

 ジェニーさんは辺りを見渡すと、小さな声で僕にこう言った。

「あういう男性って、金髪だったと話すと、喜ぶんです。おかしいですね」

 ジェニーさんがこの会社に引き抜かれた理由が、少しだけわかったような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る