第44話 第3部 その3
「待って」雪華は云った。「じゃあ、この子もあんたの云う処理の対象になってるの?」
「任務を遂行するに当たっては俺に裁量権があってね」橘藤は答える。「協力の見返りに処理対象から外すことは…。おい、聞いてるかね?」
しかし、雪華の返事はない。
「…どうした?」
「…綺麗…」
雪華は呟いた。
この時、国境の山脈の上を厚く覆っていた雲が途切れて、遥か関東平野が眼下に一気に広がったのである。
この当時はまだ現代ほどに電気は行き届いていないので、夜の地上は圧倒的に暗い部分が多いのだったが…。
「海なの?」
雪華は訊いた。
「まさか」橘藤は答える。「海は東京の向こうだぞ」
「だって、星が映ってるもの…」
「星?」橘藤は下を見た。「ああ、あれは街の灯だ。なるほど、星が水面に映っていると思ったのか。ハハハ、意外とロマンチストなんだな。もっとも、夢を壊して悪いが、本物の海は波が立っているから上から見ても夜空を反映したりはせんがね」
「…そうなの」
「…真下に光っているのが前橋と高崎だ。その向こうの光の固まりは熊谷、大宮、浦和、そしてその向こうの大きな光の固まりが…帝都東京だ」
雪華は黙って眼下の夜景に見入った。
宍戸ふみこと春賀かすみこと美園ミホの身体は、風になびき続けている。
「浅草…?」
雪華は呟いた。
遠くに、見覚えのあるものが見えて来た。
浅草名所十二階こと
「そうだ。浅草だ」橘藤は答える。「あの辺に着陸する」
「エッ」流石に雪華も驚いた。「だって浅草に飛行場なんてない…」
「飛行場はなくても道はある」橘藤は平然と答える。「さっき飛び立った時と同じだ。浅草辺りは道が広いからな。もっとラクに着陸出来る。さて、そろそろ段取りを決めておこう」
「段取り?」
「
「吉原?」
「いちいち合いの手を入れなくていい。…吉原に「金玉楼」という女郎屋…と云って悪ければ遊郭がある。そこの女将が、この女の母親だ。そしてまあ十中八九、その女将も蘇生師だ」
「もしそうじゃなかったら?」
「その時は君に俺を斬る理由がもう一つ増える訳だ」
橘藤はこれまた平然と云う。
「あんたはどうするの?」
雪華は訊いた。
「俺は上野に用があるんでね。君とこの女を下ろしたら、上野に飛び立つさ。…終わったら市ヶ谷へ来い。待ってる。逃げも隠れもせんさ」
「市ヶ谷で返り討ちにする気?」
「フフフ」橘藤は含み笑いをする。「そうかも知れん。せいぜい用心して来ることだな。さて、下りるぞ。しっかりつかまってろ」
浅草十二階の仁丹の看板が、ぐんぐん近付いて来る。
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