第41話 第2部 その31

 雪華が雪の中越地方の山中で激闘を繰り広げている頃…。

 時間は前後するが、平之助は女性二人と優雅にお茶を飲んでいた。

 所は帝都浅草の名所十二階が真ん前にそびえ立つ、カフェーである。

 女性と云っても…。

 一人は母のかねである。

 そしてもう一人は、その親友(かねに云わせると古馴染み)である、美園みそのしまという女性である。

 なんでも洲崎の芸者であった時分の、特に仲の良かった仲間なのだとか…。

 今は吉原で「金玉楼きんぎょくろう」という遊郭の女将を務めている。

 二人は仲が良いとは云うが、会うのは十数年振りらしい。

 かねもかつて美人の名残りは充分であり、年齢からすれば充分に美しいのだが、実の母であるので平之助は普段そんなことは意識していない。

 しかしこうして、やはり同じく年齢の割に美しい美園しまを見ていると、改めて母の美人ぶりを見直すのであった。

 そして、判官びいきではないが、母の方が美しさで勝っている、と思わずにいられないのである。

 だがかねとしまの間に、そんなこだわりはないように見えた。

 型通りの、いささか大袈裟かつ賑やかな挨拶が、涙と笑いを混じえてひとしきり続き…。

「あらまあ、平之助ちゃんも、前会った時はこんなにちっちゃかったのに、もうすっかり立派におなりになって…」

 としまが云えば、

「そちらのお嬢ちゃんもお元気?平之助と幾つも変わらない年頃だったわねえ」

 とかねが返す。

「お陰様で」しまが答える。「どうにかやってますよ。でもねえ、女優の真似ごとなんかやってて、あれじゃお嫁のもらい手があるかどうか…。ウチの商売も商売だからねえ…」

「何云ってるの」かねが云う。「洲崎芸者から吉原の店の女将になるなんて、大した出世じゃないか」

「おかねちゃんだって、名の知られた立派な親分さんの奥さんになったじゃないか…」

 としまが返す。

「もうそれも仕舞いだけどね」かねは平之助の方を横目で見つつ、溜息混じりに云う。「この人はまるっきりこんな風で、一家の跡を継ぐって柄じゃないからねえ」

「そんなこと云ってるけど」しまが含み笑い気味に云う。「おかねちゃん、内心ホッとしてるんだろ?平之助ちゃんがきったはったの世界の跡取りにならなくてさ」

 かねはジロッとしまを見たが、やがてプッと吹き出した。

「おしまちゃんには嘘はつけないねえ」かねは笑いながら云う。「あの人には悪いけど、その通りなのさ。この子の妹の方が、一家を継ぐ柄ではあったけど、家を出てっちまったしねえ…」

「あら、平之助ちゃんに妹さんなんかいたのかい?」

 しまが意外そうな顔で云った。

「あらやだ」慌ててかねは取りつくろう。「訳あって預かった養子なんだよ。まあ、とは云え女の子だし、一家なんか継ぐよりちゃんと嫁に行って幸せになってもらいたいし、どっちにしろもう子分は散り散りになっちまったしねえ。おしまちゃん、義理だ任俠だなんて云ったって、しょせんはそんなもんだよ。はかないもんだし、冷たいもんだ」

「私は違うよ」しまは襟を直して居住まいを正した。「だからこうして話を持って来たんだよ」

「もちろんおしまちゃんは別だ」かねは云う。「本当、感謝してるよ、この通り」

 かねはしまに手を合わせてみせた。

 やれやれ、ようやく話が本題に入るか…。

 二人の傍らでずっと所在なげな顔をしていた平之助は、心の中でホッとした。

 本題とは、美園しまがかねに持ちかけた、浅草に小料理屋の店を出さないか、という話である。

 ところが…。

「ああ、そう云えば、思い出すねえ…」

 しまがまた思い出話を始めた。

 はあ…。

 平之助は心の中でまた溜息をつく。



「東京に蘇生師の心当たりがある」

 橘藤が云った。

 しかし、雪華は渋い顔をしたまま答えない。

 中越国境の山中は、なおもしんしんと雪が降り続いている。

「わかっているだろうが」橘藤は続ける。「グズグズしていればそれだけこの女の後遺症は大きくなる。辺りも暗くなりつつあるから、飛び立つのも面倒になる。雪も多くなれば翼が…」

「この子にも云ったんだ」雪華は橘藤を遮って云う。「死者が蘇るなんて、本来こんなことはあるべきじゃない。死んだ者はちゃんと死ぬべきだってね」

「確かにそうかも知れんが」橘藤はなおも云う。「君の弟…雪仁君といったかな、彼はみなし児になる。それでも良いのかね」

 雪華は橘藤をキッと見据えたが、答えない。

「彼には両親が必要だと思うがね」

 橘藤はダメ押しのように付け加える。

 雪華は大きく溜息をついた。

「じゃあ、この子だけ連れてって」雪華は云った。「あの飛行機、どう見ても三人は乗れないし、それに、私はもう用済みでしょう?」

「早合点するな。まだ用は済んでいない」

 橘藤の言葉に、雪華は怪訝な顔をする。

「「法悦丸」の製造工場はまだ見つかっていない」

 橘藤が云うと、

「興味ないわ」

 雪華は答えた。

「こちらはそこまで君に依頼したつもりだ。途中で投げ出す気か?」

「でもそれを知ってそうな人はみんな死んだわ」

「いや、そうでもない」橘藤は続ける。「この女を蘇生させればもちろんだが、もう一人、竜宮寺家の人間はまだ生きている。…そいつがこの女を撃ったか、あるいは撃つよう命じたんだ。…長男の竜宮寺大作だ」

 雪華は答えない。

「何度も云うが」橘藤の声に、やや苛立ちのいろが浮かんだ。「グズグズしているヒマはないんでね」

 雪華は再び大きく溜息をついた。

 そして云った。

「さっきも云ったけど」雪華は飛行機の方を顎でしゃくる。「あれに三人は乗れないよ」

「まったくだ」橘藤はニヤッと笑う。「だが俺に良い考えがある」

 そう云うと、橘藤は飛行機の傍らに停めてあるトラックの方へ行った。

 先程、橘藤が運転してトラックをここまで移動して来たのである。

 そのトラックの燃料タンクから飛行機のそれへガソリンを移すのに、少々時間がかかった。

 時間は確かに、かなりロスしているのである。

 橘藤はトラックの荷台から、ロープを一巻き担いで下りて来た。

「少々手伝ってもらえるか。この女を倒れないように、そこに立てかけてくれ」

 橘藤は云い、雪華は渋々といった表情でそれに従った。

 やがて…。

「…これが良い考えなの?」

 雪華は呆れて云った。

 飛行機の機体の前後ある操縦席コクピットの間の側面に、女の身体がロープでくくり付けられている。

「君が代りにここにくくり付けられたいかね?」橘藤は平然とうそぶく。「この女は少なくとも今は死んでいるから文句は云わんし苦痛でもなかろう。…さあ、時間がない。出発する。乗れ」

 そこは、先述のようにごく狭い空間であったのだが…。

 雪華に技術的な詳しいことはわからなかったが、ともかく飛行機は、どうにか無事飛び立った。

 すでに空も地上も薄暗い。

 そして雪は、降り続いている…。

 

 

 

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