第30話 第2部 その20
崖下に落ちゆくふみの右手を、雪華の右手がガッ!とつかんだ。
雪華の身体は幾分かグイッと引っ張られたが、それをまたグイッと引き戻す。
ふみは宙ぶらりんのまま、脚を道の崩れた際に引っ掛けようとするが、とても届かない。
「やめな」雪華は冷たく云う。「あんまり暴れるとこの手を放すよ」
ふみは恐怖に引きつり切った表情で、雪華を見上げる。
雪華は無表情に、ふみを見下ろしている。
そのまなざしはその場の大気よりも冷たい。
「本当のことを云いな」
雪華が云う。
「な、何のこと…?」
ふみが答える。
「私をここまで連れて来た、本当の
「な、何を云ってるのかわからないよ…」
「私がその気になれば」雪華はあくまで冷たく云う。「この右手はたちまち刀になる。そうすればあんたの指は千切れてまっ逆さまにこの下に落ちる。この下がどれほど深いか、まったくわからないけれど、この道のえぐれ方からして、相当に深い。落ちたら大ケガじゃ済まないね。良くてカタワ、悪けりゃ死ぬ」
ふみは下を見る。
降りしきり続ける雪の中、そこは白く立ち昇る雪煙でまったく見えない。
白い地獄が、そこで待っているようにしか見えない。
ふみは下を見て、そしてまた、雪華を見上げた。
恐怖に引きつった表情が、顔に貼り付いてしまったかのようである。
「わ、私が死んだら」震え声でふみは叫ぶ。「私が蘇らせたヤツらも死ぬんだよ!あんたの大事な人たちがまた死んじまうんだよ!わかってんのかい⁉」
「云いたいのはそんなことかい?」雪華は動じる様子がない。「そんなことはわかってるよ。そもそも、死んだ者を蘇らせるなんて、あっちゃいけないことなんだよ。たとえどんな死に方をしたって、死んだ者たちはちゃんと死ぬべきだよ」
「じゃあ、何で蘇らせたのさ!」
ふみが叫ぶと、
「今そんな問答してる場合かい?私もそろそろ腕が疲れて来たよ」
と云って、雪華は身体をガクッと揺らした。
「キャアッ!」
ふみが叫ぶ。
「訊いてるのは私で、答えるのはあんただ」雪華は続ける。「答えるか、落ちるか、どっちかだよ。さあ、どうする?」
「わかった、わかったよ!」ふみは叫ぶ。「私はオトリなんだよ!あんたを連れて来るように、脅されたんだ!私があんたを連れて帰らないと、私のじいちゃんが殺されるんだ!ヤツら、じいちゃんを見張ってるんだ!」
「私をここまでおびき寄せて、どうするつもりなんだい?」
「…こ、殺すつもり…」
「それは竜宮寺製薬?それとも軍?」
「し、知らないよ、そんなこと!」ふみは声を限りに叫ぶ。「私は脅されてるだけなんだ!」
「トンネルで襲って来た連中は?」
「それも知らないってば!」ふみの声はもはや悲痛な絶叫である「でもきっと竜宮寺の手下か、軍の連中だよ!」
「本当かい?」
雪華は云いながら右腕をゆさゆさ揺らした。
「本当だよ!」
ふみが叫んだ瞬間、雪華はパッと手を放した。
「あああああーッ!」
絶望的な叫び声を上げ、絶望的な表情で雪華を見上げながら、ふみは落下してゆく。
と同時に、雪華はいきなりほぼ垂直に切り立っている崖を駆け下り始め、タッ!と途中でその壁面を蹴って、跳んだ。
そのまま空中でふみを抱きかかえ、着地したとたんまた激しく地を蹴って、大きく上へ跳ぶのであった。
そして、ふみを抱きかかえたまま大きく宙を一回転して…着地した。
着地したのは、崩れた道の向こう側である。
ふみは目玉が飛び出そうなほどに大きく見開いて、ぶるぶるぶるぶる小動物のように震えながら、雪華にしがみついている。
「いつまでしがみついてんだい」雪華はニッと笑って云う。「そうからみ付くようにぴったり居られたんじゃ歩きにくくてしょうがないって、云ったろう」
「あんた、ダマしたね。こんなことが出来るなんて…」ふみは恐怖がいまだ去らぬように震え声で、恨みがましいまなざしで云う。「…こんなの、人間ワザじゃないよ…」
「フン」雪華はせせら笑った。「私たちはマモノだよ。忘れたのかい?世間じゃ私たちを人間扱いなんかしない。そうだろう?それに、私をダマしてたのはあんただよ。さあ、立つんだ。どうするの?行くの?行かないの?この先行ってもここから戻っても、どっちにしろ大変そうだけど、確実なのはここでグズグズしてたら死ぬってことだね」
雪華は云いながら、改めてふみの姿を見やった。
ふみはしっかりと雪蓑を付け、雪靴を履いている。
雪蓑の下には赤いどてらまで着ている。
用意のいいことである。
あの入道坊主が着させたものだろうか…。
その雪華のまなざしに、ふみも気付いたようである。
「…向こう側に置いて来たカゴに、もう一揃い、雪蓑と雪靴があるけど…戻るかい?」
ふみは云った。
しかしその向こう側は、もはや白い幕に覆われた如く、まったく見えないのであった。
「いや…いい」雪華は云った。「行こう」
雪は降り止む様子もない。
しかし、そこからいくばくも進まぬうちに、周囲はさらに薄暗くなって来た。
雪はすでに、二人の膝下辺りまで、積もりつつある。
雪はさらに、激しさを増しつつあるように見える。
雪華はふと立ち止まった。
そして云った。
「…ここに泊まる」
「えッ?」ふみが驚く。「ここって?」
雪華は道の左側を指さした。
そこは左手が切り立った岩肌が露出する崖になっているのだったが…。
そこに岩の割れ目というか、隙間が出来ているのだった。
それは縦に割れており、人一人が頭を低くすれば入れるほどの大きさである。
「ここに…泊まるのかい?」ふみは顔を硬張らせて云う。「…早く行かないと、じいちゃんが殺される…」
「急にそれを云い出すね」雪華は大気と同じくらいに冷たい声で云う。「夜の山道が危険なことぐらい、あんたの方が良く知ってんじゃないのかい?しかもこんな雪だよ」
ふみは黙り込んだ。
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