第29話 第2部 その19

 帝都東京小石川の高台にある鶯鳴閣おうめいかくと云えば、現代ではその日本式庭園が有名なホテルであり、結婚式場である。

 元来ここは、公爵鴫原篤麿の、東京における私邸であった。

 この物語の当時、鴫原は存命であるから、その広大な邸宅は当然、この老人の住まいである。

 その鶯鳴閣の電話が鳴ったのは、ちょうど鴫原が帰宅した時であった。

 下総の飛行場での式典を終えて、鴫原は内務省に一旦戻り、羽織袴に着替えて、この鶯鳴閣に戻って来たのであった。

 鶯鳴閣を仕切っているのは、鴫原の正妻、多津たつであった。

 現政府最大の実力者と目され、時に主上に対しても直言を辞さぬ鴫原であったが、ただ一人どうしても頭が上がらぬのが、幕末よりの糟糠の妻であるこの多津なのであったが…。

 それはともかく、帰宅早々、鴫原は多津に云われた。

「あなた、コレから電話ですよ」

 鴫原のことをあなた呼ばわり出来るのは多津のみである。

 他の者は、公の場なら閣下と呼ぶし、私的な場なら御前と呼ぶ。

 ちなみに主上御一家は鴫原と呼び捨てだが、これは特別なことなので他と比べることではない。

「コレから?」鴫原は怪訝な顔をした。「奴とはさっき会うたばかりじゃが…」

 さっきの件、気遅れして断って来たのではあるまいな…。

 いや、そんな気弱な奴ではないはずだが…。

 思いつつ鴫原は電話に出た。

「おお、コレか。何じゃ。…何?飛行機?あれを貸せと云うのか?どうするんじゃ?何?ナガオカ?越後の長岡か。しかしおまえ、飛行機なんぞ飛ばせるのか?何?満州仕込みじゃと?しかし何故そんなに急ぐ?何?ふむ、ふむ。約束を守らんとおまえが殺される?そんなに簡単にられるヤワなおまえではあるまい。何?そいつはそんなに凄腕なのか。ホホウ、それほどのヤツならワシも会ってみたいものじゃ。何?手刀師?マモノか。ふむ、何?女?コレよ、おまえ女一人にそんなに怯えておるのか。ハッハッハ。何?ほう。竜宮寺の青二才を殺ったのはその女なのか。ますます興味深いのう。おまえが殺されず、その女も無事であったなら、是非会うてみたいから連れて参れ。何だ?何故黙る?ホウ、おまえ、その女に惚れとるのか。否定せんでもええ。しかし、マモノの女では、由緒ある橘藤家の嫁という訳にはいかんぞ。まあメカケぐらいにしとくんじゃな。ハア?そんなんじゃない?まあそう怒るな。ハッハッハ。良かろう。飛行学校にはワシから電話を入れておく。好きにするがええ。無事に帰って来るのだぞ。その女を連れてな。ウッ、何じゃこいつ、云いたいことだけ云って、切りおったわ」

 鴫原はムッとして受話器を睨み据えたが、やがてニヤリとして、それを置いた。

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