第28話 第2部 その18
雪がちらつき始めると、寒さはいっそう厳しく感じられて来た。
そして…。
その勢いは、あっという間に強くなって来る。
たちまち、辺りは白色に覆われてゆく。
足元も、歩くのが次第におぼつかなくなる勢いで、雪が降り積もってゆくのであった。
前方の視界も、紗が幾重にもかかったように白くなってゆく。
さらには、陽も暮れて来ているようだ。
もはや濃い霧の中なのか鉛色の雲の中なのか、判然としないのであるが…。
雪華の足は、作業用の地下足袋を履いている。
だから普通の靴や草履などに比べれば、はるかに歩きやすいのであったが、それでも足は雪に埋もれるし、その雪がさらに足にまとわり付く。
しかしそれ以上に厄介なのは、溶けて染みてくる雪の冷たさが体温を奪うことであった。
雪華の身体は芯まで冷えつつある。
黒の手甲に覆われただけの両手は、すでに赤く凍え切っていて、息を吐きかけ擦り合わせても間に合わない。
雪華は自分では見えないが、その頬は赤くなってピンピンに張りつめている。
しかしなおも、雪華は歩みを止めないのであった。
まなざしの鋭さだけは、保たれ続けている。
そのまなざしの先は、もはや完全に白い。
雪は容赦なく降り続け、歩き続けている雪華の頭の上にさえ、ずんずん積もる。
すでに白一色で、どこまでが空間でどこまでが風景なのかさえ判然としない。
その白の中に、うっすらと影がある。
雪華は立ち止まり、正眼に構える。
その影も、少し動いたようだ。
間合いが、はっきりしない。
雪華はわずかにじりじりと、前後左右に動きつつ、その間合いを測る。
突然、その幾重にもかかった紗のような白を切り裂いて、影が突進して来た。
入道男が右腕を凄まじい勢いで斬り払って来る。
雪華はパッと垂直に跳び上がって、上空で二回転して、10メートルほど先に降り立った。
と。
慌てて後ろに飛び退き、パッと向き直った。
危なかった。
もう30センチ前に降りていたら…。
いや、そこには降りられない。
あるはずの道がなかった。
ざっくりと道がなくて、崖になっていた。
とっさのことでよく見えていないが、道が下に崩れてしまっているようだ。
男はカゴを背負っていなかった。
とすれば、どこかにカゴがあるはずだが…。
入道男と対峙している状況下で、しかも容赦なく雪が降り注ぐ中で、それを確認している余裕はない。
男の姿は再び、白い中におぼろげに見える影となっている。
しかし今度は、相手との距離はおおよそわかる。
その代わり、後ろがない。
横か、前しか行けない。
だがその横とて、それほどの余裕はない。
実際には、前方…正しくはこれまで雪華が歩いて来た方向…しかない。
雪華は正眼に構えつつ、じりじりと前へ出る。
影は、動く様子がない。
じりっ、じりっ…。
わずかに幸いなのは、雪のためにこちらの音がしないこと…。
いや、幸いではない。
それは、相手の音も聞こえないということである。
音らしい音は、まったく聞こえて来ない。
嗅覚も、今は役に立たない。
雪華は、さらに、わずかに、前へ出る。
と…。
再び白を切り裂くように、入道男が縦に右腕を振り下ろして来た。
雪華はわずかに身を屈め、それを右腕で受ける。
キーン!という金属音が鋭く響き、雪の中に吸い込まれていった。
男は、雪華の顔面を叩き割ろうとするかの如く、全力で右腕を押して来る。
それを雪華の右腕が全力で押し止める。
しかし、やはり相変わらず男だけに相手の力は強く、しかも、下が雪である故に、雪華はじりじりと、道の崩落した際へと、押しやられてゆく。
下が雪で滑らなければ、もう少し踏ん張れるのだが…。
出来れば、卑怯な手は、使いたくない。
相手が右腕のみの手刀師だと、雪華はすでに察している。
だがどうあれ、今までの所、相手は右腕のみの真っ向勝負だけを、雪華に挑んで来ている。
敵ではあるが、卑怯な手はまったく使っていないのである。
そういう相手に対し、こちらが卑怯な手を使うのは、気がひける。
しかし、そうも云っていられない。
雪華は左手を鋭く突き出して、相手の胸元を斬る。
相手がひるんだ隙に、雪華はまた跳んだ。
入道男の頭上で一回転して…。
元の位置に降り立ち、振り返りざまに、右腕を鋭く振り出す。
右腕の気が、前方に飛んだ。
「ギャッ!」
叫びと共に白い中に赤いものが散った。
影が消えた。
雪華はしばしその後の気配をうかがう。
そして用心深く、道の崩落した際に近付く。
血が点々と散っている。
道の崩れた際に、足を滑らせた跡がある。
雪華は道の崩れた下をのぞき込んだが…。
そこもまた白一色であり、よくは見えない。
雪華は身を引き、
「ふみ!ふみ!」
と呼ばわった。
が…。
返事はない。
「ふみ!ふみ!」
再び雪華が呼ばわると、
「ここだよ!」
と声がした。
その声のする方へ、雪華は行った。
道の端にカゴがあった。
カゴの上には布が被せられてある。
すでに雪が降り積もった、その布を取り去ると…。
中にうずくまっていたふみが、ハッとして顔を上げた。
「…あの男は?」
ふみが云った。
雪華は道の崩落した際の方を、顎でしゃくって示した。
ふみはカゴから転がり出るように飛び出すと、その方へ行った。
ふみは恐る恐る、といった風に道の崩れた際から下をのぞき込む。
そして、点々と付いた血の痕を見やり、
「…あんたが
と雪華に訊いた。
と、次の瞬間、そのふみの顔が恐怖に凍りついた。
雪華がふみの肩をドン!と小突いたのである。
ふみは足を滑らせ、下に落ちていった。
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