第25話 第2部 その15
雪華は階段を駆け上がってゆく。
階段の両脇にも、ちらほら人夫の姿はある。
作業している者も、階段を下って来る者もいる。
彼等は駆け上がって来る雪華の姿を、何事かといった目で見やる。
一方、カゴを背負った人影はグングン上へ上へと昇って行ってしまう。
その時である。
両脇で作業している風だった人夫たちが、不意に雪華の行く手を阻むように、前に立ち塞がった。
その数、三人。
いずれもヘルメットの下は目だけ残して手拭で顔を隠し、手にはツルハシを持っている。
そして…。
ザザッ、と雪華の背後で音がする。
雪華がチラリとそちらを見やると、これまた三人、同じような奴等が背後で身構えている。
階段の途中で立ち止まった雪華も、身構える。
右腕を顔の前で縦に構え、腰を若干落とす、正眼の構えである。
左腕は斜め下に下げておくが、こちらにも気を充実させておく。
息を、整える…。
いきなり背後から、何かが飛んで来た。
とっさに雪華は垂直に飛ぶ。
ツルハシの頭が、ブーメランのように回転しながら飛んで来たのである。
雪華は天井に当たるギリギリの所で一回転して着地し、身を屈める。
その頭上に、今度は前方から同じように回転するツルハシの頭が飛んで来る。
「やあッ!」
「とうッ!」
前から後ろから、振り下ろされるツルハシが雪華を襲う。
雪華はとっさに横っ飛びに、後方の連中の足元に右腕を振り払いつつ、転がり込む。
「ギャアッ!」
後方の奴の一人が脚を斬られてもんどり打って倒れ、そのまま階段を転げ落ちてゆく。
弾みで雪華のヘルメットも転げ落ちていってしまった。
「てやあッ!」
その雪華の上に、さらにツルハシがいくつも振り下ろされる。
カン!カン!カン!カン!
右腕を縦横無尽に振るって、雪華はそれをどうにか防ぎ、押し返す。
「こらァ、何ばしよっと!」
階段の下から胴間声が響いて来る。
さっきの赤ら顔の親方が階段を駆け上がって来る。
「きさんら何ばしよるか!仕事せんか!」
と、親方は立ち止まって雪華を見やった。
「はあ?きさん、オナゴか。オナゴがそんな格好で何ばしよっとか」
だが親方は次の瞬間、状況だけは理解したようである。
「きさんらもきさんらじゃ。オナゴ一人相手に大の男が寄ってたかって、何ばしよるか。そいば男のすることか!」
親方が怒鳴ると、雪華に向かってツルハシを振り上げていた奴の一人が、すかさずその柄の方を親方に向けた。
ハッとした雪華はそいつの脚に向かって右腕を振るった。
そいつが「ギャアッ」と叫んで倒れるのと、パアン!という発砲音が響いたのが同時だった。
そいつのツルハシは、仕込銃になっていたのである。
キン!
弾は親方から外れてトンネルの壁に当たった。
「うおっ!」親方は首をすくめて叫ぶ。「こいつら、人夫じゃなか!」
音を聞き付けて下から人夫たちが駆け上がって来る。
「親方、どぎゃんしたと⁉」
「おう」親方は人夫たちに云う。「こやつら、人夫のふりばして悪さしとるばい。こんネエちゃんがワシば助けてくれたとよ。大勢でこげん美しかネエちゃんば襲っとった。神聖なツルハシば変なモンに改造したり、男の風上にも置けんヤツらたい。おう、きさんら、こやつら叩きのめせ!」
「おう!」
人夫たちがツルハシを振り上げて応じると、
「かかれ!」
親方が命じ、
「わあッ!」
人夫たちは、雪華を襲っていた奴らに一斉に襲いかかる。
その混乱の中、雪華は一人抜け出して、階段の先に目をやる。
すでにカゴを背負った人影は、豆粒のように小さくなってしまっている。
「あん男ば追っとるとか」親方が雪華に云った。「オナゴがこげんとこまで男ば追って来るとはよっぽどのことたい。早よ行きんしゃい!ここはワシらでおさえとく」
親方はそう云うと、ニッと笑った。
雪華はその顔を見て、ハッとした。
丹波に、どこか似ていた。
しかし今は、その顔をとくと見やっているヒマはない。
雪華は一礼すると、階段を駆け上がって行った。
「あっ、お嬢!」
そう叫んで雪華の後を追おうとした辰の襟首を、親方がガッシとつかんで引き戻す。
「どこ行くとね⁉」親方が怖い顔で云う。「きさんはここに居れ!それとも何か⁉きさんも悪さしとる連中の一味か?」
「いいえ、滅相もない!」そして辰は雪華の後ろ姿に向かって叫ぶ。「お嬢ーッ!」
「チッ、この野暮天が!」親方はさらに云う。「男を追っとるオナゴのケツをさらに追うとは、情けなか男たい。潔く諦めろ!」
階段は果てしなく続くように思われた。
しかし雪華は休むことなく駆け上がり続ける。
だが流石に…。
その最後の一段を昇り切った時は、膝に手をついて、息を整えねばならなかった。
その先には、さらに長い通路が続いている。
そこに、カゴを背負った人影は、もはやない。
そこには人夫たちの姿もなく、両脇に煌々と点いた電灯が、がらんとした通路を照らし出しているのだった。
雪華はさらにそこを駆けてゆく。
足音がガンガンガンガンと幾重にもなって響き渡る。
そして急に…。
明るくなった。
地上に出たのである。
そこにも
振り返り、仰ぎ見ると、そこには急峻な絶壁があるのだった。
その上には、重苦しい鉛色の雲が垂れ込めている。
穴の入口の脇には、資材が積まれている。
先述のように、人の姿はない。
と…。
カッツ、カッツ、カッツ…。
馬の蹄の音である。
雪華は音のする方を見た。
前方の、やや小高くなった所を、悠然と馬が横切ってゆく。
馬には、人が乗っている。
その人はカゴを背負っている。
その人が、こちらを見た。
手拭で頬かむりしているが、そこにあったのは、あの入道坊主の顔であった。
入道坊主はニヤッと笑うと、馬の腹を蹴った。
馬は駆け出した。
雪華も釣られるように、走り出す。
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