第24話 第2部 その14

 そこは、水上の駅前の華やかな賑わいとはまったく違った賑わいがあるのだった。

 いや、賑わい、というのとは違うだろう。

 人の数は多いが、それは圧倒的に男であった。

 そこは飯場であった。

 それも、一つや二つではない。

 辺りにそれが林立して、云うなれば飯場の町が出来上がっている。

 全体が荒々しく、殺気立っている。

 別にケンカや怒号がある訳ではないが、そういう雰囲気が濃厚に立ちこめているのである。

「こりゃあ、お嬢」辰が云った。「このまま真っすぐ突き進んでゆくのはマズいな」

「私は別に平気だよ」

 雪華は云ったが、

「いえ、お嬢が平気でもね、そこいらのケダモノみたいな野郎どもが平気じゃないんスよ」

 と辰は云う。

 まだ飯場街(?)のほんの入口に差しかかった所だが…。

 行き過ぎる男たち、そして数は少ないが女たちの雪華を見るまなざしがギラギラしている。

 男たちの目のギラつきは欲情のそれであり、女たちのそれは敵意である…と見える。

「用意したそれの出番ですかね」

 辰は荷台の作業着を見やって云った。

 その間にも、トロッコ列車はのったりのったりと進んでゆき、飯場街の中へと向かってゆく。

 ここからでは良く見えないが、その中に駅らしいものもあるのだろう。

 先程のトンネルの上を列車が通過していた辺りからここまで、荷馬車はほとんど列車と並走して来た。

 列車の速度は遅いので、馬を駆け足させれば、荷馬車でも充分追いついた。

 入道坊主の大男は、トロッコに乗り続けている。

 トロッコからはみ出して外を向いているカゴが目印であった。

 悠然と列車に乗り続け、慌てる様子も騒ぐ様子もないのが、こちらを挑発しているようにも見える。

 それを目で追いつつ、辰は飯場街の隅に荷馬車を止めた。

 雪華と辰は急いで作業着を着る。

「何だか足らねえな」

 辰は雪華を見やって云った。

「ああそうか」辰はポン!と手を打った。「お嬢、こいつを少しの間頼みますよ。おいらはちょっと仕上げのものを調達して来ますからね」

 そう云って辰は雪華に手綱を渡すと、ひょいと荷馬車から飛び下り、いずこかへ行ってしまった。

 雪華は慎重に飯場街へと荷馬車を進めてゆく。

 作業着を着た上に手拭で頬っかむりもしたので、こちらをジロジロ見られることはあまりなくなった。

 やがて…。

 これも板を渡しただけの粗末なプラットホームにトロッコ列車が着いている所に来た。

 鮨詰めになっていた客たちがゾロゾロとそのホームに降り立つ。

 その中に、あの入道坊主の大男の姿もある。

 大男はカゴを背負ったまま、ここでも悠然と、当然のように歩いてゆく。

 その先には、工事現場へ…すなわちトンネルの中へとさらに入ってゆくトロッコがある。

 しかし、大男を見咎める者は誰もいない。

 見れば、工場の道具を入れたカゴを背負っている作業員の姿はチラホラいて、大男の姿は格別違和感がないのだった。

 逆に、うっかりしていると大男の姿を見失ってしまいそうだ。

 その時である。

「お嬢!お嬢ーッ!」

 大声でうれしそうに呼ばわりながら、辰が駆けて来た。

「馬鹿ッ!」雪華は叱った。「そんな大声で呼んだら、せっかく変装してるのが無駄になっちまうじゃないか!」

「ひええっ、ごめんなさいッ…!」

 辰はシュンとなってしまった。

「いいよ、別に。今後は気を付けとくれ」雪華は慌てて慰める。「で、どうだったの?」

「ヘヘッ」辰は一転またうれしそうな顔になる。「これがありゃ完璧でやしょう?」

 そう云って辰は抱えていたヘルメットとツルハシを自慢げに雪華に見せるのであった。



 大男を乗せたトロッコは、先に出発してしまった。

 しかし、ここは水上駅と違って、ひっきりなしに次のトロッコがやって来る。

 トロッコは人や資材だけでなく、掘ったあとの土砂を運び出す役目も果たしている。

 土砂は常に溜まってゆくので、待ったなしなのである。

 ヘルメットを被ってツルハシを持つと、雪華と辰は誰にも見咎められずにトロッコに乗り込めた。

 現代ならテロの可能性もあるので、もっと作業員の身分証明は厳格だろうが、この頃はおおらかであった。

 国策工事であり、少しでも人手が欲しいので、来る者拒まずなのである。

 トンネルに入ると、奥に進むに従って、人夫の数が多くなって来る。

 トンネル工事は先に向かって進んでいるので、当然と云えば当然である。

 ちなみに、トンネル工事は反対側からも同じように進められている。

 何年か先に、谷川岳の真下辺りで双方がつながる予定なのである。

 しかしこの物語の時点では、まだ工事はそこまでは進んではいない。

 それでも、果てしなくどこまでもトンネルが続いているように、雪華には思われた。

 地の底に、引き込まれてゆくような…。

 ついそんなことを、雪華は思ってしまった。

 それと…。

「お嬢」辰が囁いた。「トンネルん中って、案外寒くないんですねえ」

 雪華はうなずいた。

 辰の云う通り、あまり寒くない。

 それどころか、むしろ少々暑いくらいだ。

 これは、トンネルが貫通していないからであった。

 トンネルが開通した暁には、冬場のこの辺りは極めて寒くなるのだが…。

 それはずっと先の話である。

 そんなことより…。

 こんなトンネルの奥深くへ入ってしまって、あの入道坊主は一体どうするつもりなのか…?

 それが雪華には疑問であった。

 先の通り、トンネルの奥に進むに従って、作業している人夫の数は多くなってゆく。

 雪華は目を凝らして彼等を一人一人見てゆくが、入道坊主の大男らしい姿はない。

 トロッコは時々止まっては、人や資材を下ろしてゆく。

 土砂や人を積んだトロッコが入口に向かってゆくのとは、頻繁にすれ違う。

 それは辰が見張っているが、こちらにも入道坊主の姿はないようだ。

 そして…。

 何度目か、トロッコは止まった。

 すると、トロッコに残っていた人夫たちが一斉にゾロゾロと下りた。

 雪華も辰も慌てて一緒に下りた。

 そこだけ、それまでの現場の様相と違っていた。

 まず、行く手には足場のようなものが組まれてあって先がないこと。

 もう一つは、向かって右手に大きく穴が掘られていることである。

 そこには、遥か上に向かって、階段が続いている。

 どこまでも果てしなく続いているような階段であり、照明の具合によるものだろうが、まるでその先は霞掛かっているように見える。

「うわっ、こりゃ何でえ…」

 辰が思わず声を上げると、

「きさん、新入りか?」

 と、そこに居た九州訛りの男が云った。

「こりゃあ土合どあいの駅たい。こっから地上までずーっと階段ば続いとるとよ」

 四角い赤ら顔のその男は、誇らしげに云うのだった。

「きさん、見ん顔じゃな」男は続ける。「九州の男じゃなかとね。東京モンか」

「ヘッ、へい!」辰は愛想笑いを浮かべる。「そうでがす。よろしく頼みます」

「そうか」男は辰に指さして場所を示し、「ワシはこの現場ば預かる親方たい。グズグズせんと、早よ仕事にかかれ!」

 一方、雪華は階段の先を凝視している。

 霞んで見える階段の先に…。

 カゴを背負って昇ってゆく人影が見えるのだった。

 それがあの入道坊主なのか判然としないが…。

 雪華は直感的に、そうだと判断した。

「あッ、お嬢…!」

 辰が、階段を駆け上がり出した雪華の後を追おうとすると…。

「こりゃあ、どこ行くとね!」

 赤ら顔の親方が、辰の襟首をグイッとつかむ。

「仕事せんか!仕事ォ!」

「お嬢ーッ!」辰は雪華の後ろ姿に向かって叫ぶ。「気を付けて下さいよオーッ!」

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