第23話 第2部 その13

「お嬢」戻って来た辰が云った。「あのトロッコにゃ、工事現場の奴か、地元に住んでる奴以外は、乗れないようですぜ」

「うん、私も今ここの駅員に同じこと云われたよ」

 雪華が答えると、

「ありゃ、もうネタが古かったですかネ」

 と辰は舌を出して頭をポリポリかく。

「それより」と雪華は辰の抱えているものを見やって云った。「どうしたんだい、それ?」

 辰は小脇にカーキ色の服を抱えているのである。

「ヘヘッ、これですかい」辰はニヤッと笑う。「ですからね、これ、工事現場の作業着ですよ」

「そんなものどこで…」

「蛇の道はヘビって云いましてね」辰は云う。「タネ明かししちまうと、まあ工事現場の人足連中が非番の日にここへ遊びに来る訳ですよ。まあお嬢の前だから詳しくは云えねえが、いろいろ大人のお遊びで金をスッちまって、まあ質として作業着を置いてくんですよ。こんなもん置いとかれたってナンボにもなりゃしないんですがネ、温泉の連中からしたら、それでも大事な客だからね、一応預かっとくんですよ。でまあ、また受け取りに来りゃいいが、肝心の預けた奴があいにく事故でお陀仏になったら、それっきりってことでさあ。そういうの、困るらしいですよ。ホラ、清水トンネルの工事って国策ってヤツでしょ?そこの印の入った作業着って、無闇に売っ払ったり出来ねえらしいんですよ。しかし、世の中上手く出来てるもんで、色々ワケありで方々からここへ流れて来るヤツもいるんですよ。そういうヤツがこういうのを買うんですよ。結構ね、そういうのがトンネルん中にゃ多いらしいですよ。ヘタするとムショなんかより前科持ちの数が多いんじゃねえかってくらい…」

「ねえ辰さん、ごめん」

 トウトウと喋り続ける辰を、雪華は両手を合わせて遮るのであった。

「面白い話だけど、また後でゆっくり聞かせて」

「おっと」辰はまた舌を出してぺしゃっと自分の頭を叩く。「こりゃいけねえや。細かいこたあどうでもいいじゃねえですかって云ったのはおいらですね。それにお嬢にそうやって拝まれちゃねえ…。おいらそれには勝てねえや。で…お嬢、どうします?…トロッコはもう出ちまったんですねえ」

 雪華と辰は駅の構内を見回すが、軽便鉄道の時刻は出ていても、トロッコの方のそれは見当たらない。

 雪華は駅員をつかまえて、

「次のトロッコはいつ出ますか」

 と訊いた。

「あと一時間は出ないよ」

 駅員はぞんざいに云い捨てる。

「チッ」辰は舌打ちして腕まくりする。「こんにゃろ、お嬢に対して何て口のきき方するんでえ」

「いいんだよ、辰さん」雪華は辰の袖を引っ張る。「それより、ここでグズグズ待ってられない。…さっきの荷馬車で追いかけよう」

「へい、合点です」

 辰はそう云って、びっくり仰天している駅員に一つガンを飛ばすと、雪華のあとにいそいそと付き従うのであった。



 先にも述べたように、水上から先の道は、清水トンネルの工事現場までは立派な舗装道路が整備されている。

 しかしそれは工事専用道路であり、一般の通行は出来ない。

 一般の人や車は、その傍らに細々と続く田舎道を行かなければならない。

 当然、雪華と辰を乗せた荷馬車も、その田舎道を行く。

「あッ、しまった…」

 水上の駅前を離れてしばらくして、雪華は云った。

「どうしました?」辰が云う。「ションベンなら止まりますから、その辺でして下さい」

 周囲はすでに人家もまばらな山あいである。

「清水峠を超える乗合馬車があるって、ふみが云ってた。それを調べるのを、忘れてたよ」

 雪華は後ろを振り返って云った。

「…戻って調べますかい?」

「…そんな時間はない…」

「乗合馬車ねえ」辰は先を見上げた。「あそこを超えるんですかい?」

 雪華も同じ方を見た。

 雪を頂いた三国山脈が、行く手を阻んでいる。

 確かに道はあっても、そこを馬車で越えるというのは、少なくとも今の季節、容易なことではなさそうだ。

 それに…。

 先程からこの田舎道を行っているが、地元の農民らしい者や登山客らしい姿はチラホラあるものの、乗合馬車にはまったく行き会わない。

「でもまあ」と辰が続ける。「夏場だけはそういうのがあるのかも知れませんぜ。商売にはなるでしょうからね。商売になることはたいがい誰かもうやってますよ」

 なるほど、そうかも知れない。

 雪華は頭を振った。

 余計な疑念にとらわれている時ではない。

 今は、ふみを無事取り戻すことに専念しなければ…。

「ありゃ」辰が先を見て声を上げた。「ありゃあどうやら駅ですねえ。駅というにはずいぶん粗末だが…」

 トロッコの線路が道に近付いて来て、その傍らに板を組み合わせただけのプラットホームらしきものがある。

 さらに近付くと、「ゆびそ」と手書きの駅名表示板がある。

 しかし、列車の姿はない。

 その粗末な駅の先に、トンネルが口を開けている。

「あれ」辰がまた先を指さす。「あそこ見て下さい。トンネルの上の方。列車が通ってますよ」

 確かに、トンネルの上の方を、のったりのったりと、トロッコ列車が横切ってゆくのであった。

「ど、どうなってるんだい…?」

「さあ…」

 雪華も辰も、困惑顔でこの光景を見やっている。

 これはもちろん、先に述べたループ線のためなのだが、雪華も辰もそんなことは知らない。

 ただ…。

「列車はあっちに向かってるね」

「そのようですね」

 雪華と辰はそう云い合って、再び列車の後を追い始める。

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