第17話 第2部 その7

 高崎駅に近付くと、列車は次第に減速しながら、ポイントの上を通過するたびに、大きく揺れた。

 そのたびに、最後尾の屋根に横たわる川村の遺体は左右に揺れるのだった。

 そしていよいよ列車が高崎駅のホームに進入し、ブレーキをかけて停止すると…。

 弾みで川村の遺体は屋根から滑り落ち、列車の最後尾にぶらりと下がった。

「わあッ!」

「キャーッ!」

 悲鳴が上がり、高崎駅頭が大混乱する中…。

 その騒ぎに紛れて、雪華とふみは列車を降りた。

 そして同じ構内にある軽便鉄道のホームへと急いだ。

 先にも述べたように、この当時はまだ清水トンネルは掘削中であり、従って上越線も全通していない。

 魔の山と呼ばれる谷川岳をはさんで、北は長岡から湯沢まで、南は高崎から水上まで、鉄道は敷設されている。

 しかしそれは清水トンネル工事への資材ならびに人員の輸送が主目的であり、地元客や観光客の輸送は今のところ二の次なのであった。

 そのため、ホームで発車を待つ列車は、貨客混合の編成であった。

 機関車のすぐ後ろの数両は、工事用の資材や機材を運ぶ無蓋貨車であり、それが編成の主体である。

 地元向けの荷と客を運ぶ有蓋貨車と客車は、申し訳のように最後尾にそれぞれ一両ずつ連結されているに過ぎない。

 雪華の見ている限り、この高崎駅頭に、入道坊主の大男らしい姿はない。

 これから乗る列車の客にも、それらしい姿はない。

 荷を積むために扉を開いている有蓋貨車の中にも、人の気配はないようだった。

 客車の中は、すでに鮨詰めと云うのに近かった。

 一両しか客車がないのだから、仕方がない。

 雑多な客が乗っている。

 地元の農民であろう男女もいるし、学生もいるし、登山客らしい姿の客も、温泉に湯治に行く風の客もいる。

 そして、トンネル工事の人夫らしい労務者の姿もちらほらいる。

 しかし、雪華はざっと見渡しただけだが、その中にも入道坊主らしい姿は見えないのだった。

 ふみは、ずっと怯えたような顔をして雪華の袖にしがみついている。

 しかしそのふみも、特に何も云わないし、それらしい反応も見せない。

 二人並ぶか、向かい合うかして席を取りたかったが、一つしか空いていなかった。

 ふみを座らせ、雪華は立った。

 上野から乗って来た列車は、発車時刻をとうに過ぎているが、いまだホームに停まっている。

 駅頭の混乱は収まっていない。

 警官が一人、こちらの列車の方へ駆けて来る。

 警官は客車に乗り込んで来て、慌ただしく客の面体を確認してゆく。

 警官は客車から下りると、また慌ただしく駆け去っていった。

 駅員が笛を吹くと、列車がゆっくりと発車した。

 発車して間もなく、列車最後尾の便所から、雪華とふみが出て来て、ホッと一つ息をつく。

「ここは二人は狭いよ」ふみが口をとんがらせて云う。「…ああ、さっきの席、とられちゃったよ…」

 さっきふみが座っていた席には、もう別の客の姿がある。

「ごめんよ。…しばらくはここに立っていよう。中は混んでるし…」

 雪華が云うと、

「ええっ、立ちんぼかい」

 とふみはますます不服そうに云うのであった。

「立ってる方が、万が一の時、逃げるのにラクだよ」

 雪華が云うと、

「負け惜しみにしか聞こえないよ。それに、万が一って、それが起きないようにするのが、あんたの役目じゃないのかい」

 とふみは返す。

 今度は雪華がムッとしたが、ここでケンカしている場合ではないので、プイと横を向いて黙った。



 上野から乗って来た列車に比べて、ずっと速度がのろいのであった。

 しかも、揺れがひどい。

「砂利の上を走ってんじゃないの?」

 たびたびよろめいては雪華にしがみついて、ふみはそう文句を云うのであった。

 雪華の方は、日頃の鍛錬のおかげか、上手くバランスを取ってしっかりと立ち、いささかもよろめかないのであったが…。

 しかし、やがて…。

 列車が前橋に着くと、客はグッと減った。

 席も空いたので、雪華とふみは進行方向の向かって右側に、向かい合って座った。

 ふみが進行方向を向いて、雪華は後方を向く形であった。

 上野からの列車では席に余裕がなかったのでこのような形では座れなかったが、本来はこのような形で座るのがもっとも好ましい。

 と云うのも、この形なら、お互いの背後に気を配ることが出来るからである。

 もっとも、ふみがそういう点で役立つかどうかは微妙ではあるのだが…。

 前橋を出てしばらくすると、山と川が急に間近に迫って来た。

 川は、利根川の上流である。

 山は、紅葉が最後の輝きを見せている。

 そして、遥か遠くに、先を遮るかのように、白く輝く三国山脈がそびえ立っているのであった。

 雪華は車窓のその光景を見て、一瞬ギョッとなった。

 渓谷の流れが赤く染まっていた。

 血…?

 瞬時そう思った雪華は、やがてそれが散り落ちた紅葉が川の淀みに溜っているのだと気付いた。

 その瞬間、何故だか雪華の目に涙が滲んだ。

 何故涙が滲むのか、雪華にもわからなかったが…。

「泣いてるの?」

 怪訝な顔をして、ふみが訊いた。

「違うよ」雪華は慌てて涙を拭う。「陽の光がちょっと眩しかっただけだよ」

「訊いていいかい?」

 ふみが云った。

「何?」

「あんた何で、手刀師になんてなったんだい?嫌じゃなかったのかい?」

 雪華はフッと片頬で笑った。

「お父っつぁんが手刀師だったから。それだけだよ」

「じゃあ…」ふみはさらに訊く。「そのお父っつぁんが蘇生師だったら、私みたいになったのかい?」

「…あんたが蘇らせた私の母親は蘇生師だよ」雪華は云った。「でも、私はおっ母さんには育てられなかった。もしおっ母さんに育てられたら、そうなったろうね。…逆に訊いてもいいかい?」

「何だい?」

 ふみは警戒するような顔付きになる。

「あんたのおっ母さんは、蘇生師なのかい?」

 雪華が訊くと、ふみはややためらうようにして、うなずいた。

 そして、急いで付け足すように、

「でももうとっくに死んじまったけどね」

 と云った。

「ねえ」ふみはさらに云う。「あんた、人斬ったことあるのかい?」

「それを訊いてどうするんだい?」

「どんな気分だい?」

 と、雪華の視線がふと動いたので、ふみは口を閉ざした。

 最後尾から車掌がのっそり姿を現したのであった。

 車掌は、検札を始めた。

 乗り継ぎの料金を払っていないので、雪華は懐中から財布を出す。

 と…。

 ふみが目を大きく見開いて、うつむいている。

 そしてふみは、財布を持った雪華の手を、ギュッと握って、小声で囁く。

「あいつだ」

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