第15話 第2部 その5

 同じ頃…。

 上野警察署、地下遺体安置所モルグ

 場所柄、薄暗く、冷んやりしているのは当然であるのだが…。

 しかしそこに立つ東部第七憲兵隊々長、橘藤伊周中佐の表情もまた、それに劣らず暗く冷たいのであった。

 もっとも、その顔の約半分は包帯に覆われているので、本当の表情はよくわからないのであったが…。

 橘藤の視線の先には、第七憲兵隊々員だった和田の遺体がある。

「おたくの隊員さんで間違いありませんな?」

 ゴマ塩頭にゴマ塩チョビ髭の、小太りの上野署々長が云った。

 神妙な面持ちだが、目が嘲笑っている。

「間違いない」

 橘藤は短く云うと、背後に控えていた二人の隊員に目配せした。

 和田の遺体に白布が被せられ、二人の隊員が台車を押して、退出していった。

「優秀な隊員さんを失われて、さぞお口惜くやしいことでしょうなあ」

 署長はなおも云うが、橘藤は黙って遺体安置所を出た。



 その同じ、上野署の中である。

 取調室の一つに、男が三人いる。

 取調べの机をはさんで、一人の男と二人の男が対峙しているのである。

 一人の男は、杉戸平之助である。

 「寿楽」で殺された刑部刑部と一緒にいたということで、当然ながら事情聴取されているのである。

 平之助と対峙しているのは、ノッポの刑事とチビでデブの刑事の凸凹コンビである。

 ノッポが鳥羽と名乗り、チビデブの方は伏見と名乗った。

 平之助は事情聴取に素直に応じている。

 とは云え、この件で話せることは少ない。

 刑部とは大学の先輩後輩であること。

 今日は刑部に呼び出されて来たこと。

 しかし刑部は急用があるとのことで、席を立とうとして崩れ落ちた。

 抱きとめて背を見たら短刀が突き立っていたこと。

 ちょうど真っ正面の扉が閉まろうとしていた所だったが、人影はあった気がするが、その顔はおろか性別さえもわからないこと。

 当然、何故刑部に呼び出されたのかについても、平之助は話した。

 第七の名前が出ると、二人の刑事は顔を見合わせた。

 むしろ平之助は、それによってこの前の「帝国グランギニョールランド」の件に触れられるのではないかと、そちらの方がヒヤヒヤしたが…。

 刑事たちはその件については何も云わない。

 まったくその件については承知していないかのようである。

 あんな大惨劇を、もみ消してしまっているのか…。

 他ならぬ雪華がかかわっていることだから、平之助にとってもその方が良いのだが…。

 第七という組織の得体の知れない不気味さは、ひしひしと伝わって来る。

 完全にあの件が不問に付されている…いや、なかったことにされているらしい、ということが、かえって無言の圧力となっている。

 余計なことは、喋るな…。

 それは例の件の直後、橘藤に引き止められ、念押しされた言葉であるが…。

 平之助は、自分のことより雪華のことを思わざるを得ない。

 雪華はその例の件を不問に付されている上に、さらに大江夫妻や丸山トミ子を蘇らせるということと引き換えに、何かをさせられているに違いないのだ。

 第七…橘藤…。

 平之助の胃から苦いものがこみ上げて来るが、しかし…。

 余計なことは喋れない。

 だが、この刑部の件に関しては、平之助は関係がない。

 いや、第七の名を出した時点で、関係がないとは云えないが…。

 しかしどういう訳か、刑事たちは第七と平之助の関わりについては、突っ込んで訊こうとはしない。

 だから、必然的に例の「帝国グランギニョールランド」の件も平之助からは喋らずに済んでいる。

 刑事たちはその件についてまったく承知していない様子であると先述したが…。

 そもそも第七に遠慮している、あるいは第七が関わって来ることを怖れているかのようにも見える。

 付け加えると、例の刑部の最後の謎の言葉、「バラのつぼみ」についても平之助は刑事たちに話した。

 刑事たちは怪訝な表情で顔を見合わせ、「一体それはどういう意味か」と訊いて来た。

 そんなこと、平之助にだってわかる訳がない。

 ただ…。

「何だかその言葉を、別のところで聞いたような、あるいは見たような気がするんです」

 平之助は云った。

 事実である。

「ただ、それが何だったか、全然思い出せないんですが…」

 平之助は続けて云った。

 これも事実である。

 この件で平之助が話せることは以上だった。

 第七との関わりの件以外は、この件に関して話せることは全部話した。

 第七の件は刑事たちがそれ以上訊いてこないのだから、仕方がない。

 しかし…。

 平之助は取調室から解放されない。

 二人の刑事はもはや質問することもなく、手持ち無沙汰に、鉛筆を転がしたり、アクビをしたり、タバコを吸ったりしている。

「あの…帰してもらえないんですか?」

 平之助が云っても、二人の刑事はニヤニヤと顔を見合わせるばかりである。

 初めは、不愉快に思っていた平之助だが、だんだん不安になって来た。

 すると、取調室に別の刑事が入って来て、二人に何やら耳打ちをした。

 チビでデブの伏見が云った。

「これから君を検察に送ってゆく。検察でも事情を訊きたいそうなんでね」

「け、検察?」

 平之助は何が何だかわからなかったが、二人の刑事はもう両脇に立っていた。

 平之助は、従わざるを得ない。

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