第12話 第2部 その2
上野駅のホームに、すでに列車が入っている。
機関車からはもくもくと煙が上がり、続々と客が乗り込んでいる。
「弁当〜弁当ッ!」
カランカランと鐘を鳴らしながら、駅弁売りが弁当を売っている。
その姿を見て、ふみが立ち止まった。
もの欲しそうな顔をしている。
「私、ずっとロクにメシ食ってないんだよ」
ふみは甘ったれたような声を出して、雪華を見る。
「あんた、留置場で出されたご飯、全然手をつけてなかったじゃないか」
雪華が呆れて云うと、
「だってあのメシ臭くてマズいんだよ」ふみは答える。「臭いメシって云うけど、ホントなんだね」
「物見遊山に行くんじゃないんだよ」
雪華はたしなめた。
「じゃ、行くのやめる」ふみはふてくされた顔になる。「でなきゃ、あの駅弁またかっぱらって、ブタ箱に戻る」
そう云うと、ふみはパッと雪華から離れて、駅弁売りの前に立つと、ニッと笑った。
「いらっしゃい」
駅弁売りがニコヤカに云うと、ふみは駅弁の一つをパッとつかんでクルッと背を向け、スタスタと離れた。
「あっ、泥棒!」
駅弁売りが叫ぶと、雪華は慌てて、
「ち、違います、違います!買います!買います!」
と財布から銭を出し、駅弁売りにつかませる。
「まいどありいっ!」
駅弁売りはニッコリ笑ってカランカランと鐘を鳴らす。
雪華はふみの手をグイッと引っ張って、列車に乗り込んだ。
車内は、だいぶ席が埋まっている。
上手い具合に空いている席が、なかなかないのであった。
しかし雪華は、空いている席があっても、通り過ぎてゆく。
雪華は、出来るだけ扉に近い席を探しているのである。
いざという時に、逃げやすくするためである。
そしてようやく、これならまあ…という席を見出した。
進行方向に向かって右側の、二つ並んで空いている席である。
その窓際にふみを押し込むようにして、雪華は通路側に座った。
ふみを通路側に座らせると、襲われる危険が大きくなる。
窓側が安全ということではないが、走っている列車内なら、少なくとも通路側よりは安全である。
二人の座った席は、方角で云えば東側の席ということになる。
席につくまでずっと、雪華はふみが手を引いていた。
「あんた一体どういうつもりだい」席につくと雪華は声を潜めつつ厳しく云った。「今度馬鹿な真似したら…」
雪華はギョッとして言葉を切った。
ふみが、弁当を胸に抱えたまま、大きく目を見開いている。
「…どうしたんだぃ?」
雪華は問いかけたが、ふみは震えるように首を小さく横に振るばかりである。
ホームの発車ベルが鳴った。
背広姿でマスクをした男が、列車に乗り込もうとしている。
その傍らに、竹中がやって来た。
「川村、和田はどうした?」
竹中に問われ、
「副官殿とご一緒ではないのですか?」
と川村は意外そうな顔で答えた。
「便所へ行くと云ったきり、戻って来んのだ」竹中は腕時計をチラと見やり、「時間がない。どこかから乗ったのかも知れん」
竹中は云いながら列車に乗り込み、川村がそれに続いた。
汽笛が鳴り、列車が発車した。
列車が動き出すと、ふみは雪華の手を握り、思い詰めたような表情で囁いた。
「この列車に、工場の用心棒だった奴が乗ってたんだ」
雪華の表情がピンと張りつめる。
「…同じ車両に乗ってるかい?」
雪華は云いながら、それとなく辺りを伺う。
と…。
雪華はギクリとして、通路をはさんだ隣の席を見やった。
その窓際の席に、冬だというのにパナマ帽を被って、風呂敷包みを抱えて、窓の外を見て駅弁を食ってる男がいる…。
雪華の袖が、引っ張られた。
「ちょっと、聞いてるのかい⁉」
ふみが苛立った表情で雪華を見ている。
「…ああ、ごめん…」
「そんなうわの空で、本当に私を守れるのかい⁉」
ふみは批難がましい口調とまなざしである。
「悪かった。悪かったよ…」
申し開きのしようもないので、雪華はひたすらふみに謝る。
「そいつは、あっちの車両に居たんだ」
ふみは進行方向の前の方を指さして云った。
雪華たちはさっき、そちらからここへ来たのである。
「…そいつは、どんな奴だい?」
雪華はちらっと横目でパナマ帽の男の方を見やりながら、云った。
「どんなって…」ふみは口ごもる。「ガタイの大きい、入道坊主みたいな男さ」
「どんな服装をしてる?」
「こ、怖くてそんなところまで見てないよ…」
すると、パナマ帽の男が弁当と荷物を席に置いて、立ち上がった。
「ちょっくらごめんなさいよ」
男はとっぱずれたかん高い声で云いながら通路に出て、進行方向の前の方へ、ひょいひょいと行ってしまった。
やがて…。
パナマ帽の男がまた戻って来て、
「ちょっくらごめんなさいよ」
またとっぱずれた声で云いながら、元の席に戻った。
その時、チラッと雪華の方を見て、小さく首を横に振る。
雪華はうなずいた。
そして、雪華の手を握って蒼ざめて震えている女の方に、鋭いまなざしを向けた…。
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