城跡と旅人

フラワー

第1話


 旅人の訪れは、城跡の中にまで晩の陰が浸りはじめた時だった。寒い冬の月夜にかけて、荒れた道が門を貫く。欠け落ちたまま伸びた人影で、城跡が捨てられたものと知った晩なのだ。石に乗せて風が開いた中庭へ、旅人の足は2、3度向け立ち止まった。この場所に人家と灯りを見た時は、星の出ていることを知らなかった。壁の欠けた虚しい城で、南の星が写り込む。悪い幻を見た気分は、過ぎた夕暮れを深い赤へとまだらに混ぜる。見上げた空が流れてゆく内に、だが旅人は1日を終えることにしたらしい。


 崩れていない壁の近くに座る。荷物を下ろし、腐りかけた牛乳に一息つけば、一昨日に後にした町を思い出す。貧しい土地の小さな町は、この城跡と同じ風に包まれていた。

 飲み干した革袋を腿に打ちつけ、もう何度めかも分からないまま眠る夜。全てを捨てようと旅に出た、若い日のまた1日。


 形無く残された月の光。崩れた塔からではもはや旅人へは届かない。空の上ではうねる大気が厚みを増して、星は一つ一つ閉じていく。空の底に夜が来ると、城跡は全てをいつものように絶えてしまった。住人を失った過去に渡り、いつくもの彼方を忘れた涙の地に。


 旅の間の思い出は、ひとつだけと決めている。爺の生きてた時のこと。星が潜らないことを教えられた子供の頃の、その記憶だけ。揺れた視野の奥から外へ、いつの間にか消えていた声の行方に重ねるために。

 骨と同じ硬さと白さで、自分の日々は遠ざかる。天文模型を通して見た、シワの通った手に覆われて、閉じた瞳が濡れだした。





 


 

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城跡と旅人 フラワー @garo5

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