第44話 勘違い2


 和泉いずみはそこで、いつか聞いた貝塚かいづかの話を思い出した。


 貝塚はサッカー部に所属していた頃、HK――ホモ確定という人物に狙われ、それを恐れて部活動を辞めたのだ。その後、貝塚は他校の彼女を作ったが、その元凶となった人物が保良間ほらま先輩だったのだろう。そこまで考えて、新たな事実にも気づく。


 保良間ほらま慶次けいじのイニシャルは――HKだ。


「……」


「……」


 先ほど言いあっていたのが馬鹿らしくなったのかも知れない。


 二人して謎が解けて、微妙な空気が流れていた。


「あの、保良間先輩?」


「……なんだい?」


 保良間先輩の目を見ながら、なんとも言えない気持ちになった。


 貝塚は和泉にとってはラブでなくライクの方の好きであって、つるんでいて楽しいとは思うものの、それ以上の関係は絶対にあり得ない。しかし、そんな自分と貝塚の姿を見せられていた保良間先輩の気持ちは複雑だったのも理解できなくはない。


「その、俺はそっちの気は全然なくて、貝塚ともただの友達です。だから、俺のことなんて本当に気にしなくて大丈夫です。何なら、今回のお礼に何か手伝えることがあるなら――」


 しかし、


「それは無理だ」


 和泉の本音に、異を唱える声が聞こえた。


 和泉が振り返ると、そこには件の元凶である貝塚が立っていた。


 和泉は貝塚のばつが悪そうな表情を見ながら、貝塚が脅迫状を見て自分を心配していた理由に思い至った。貝塚はもしかすると――脅迫状の〝君〟が誰を指すのかに気づいていたのかも知れず、だからこそ和泉の身を案じていたのかも知れない。そこまで考えて、自分はなんて滑稽な勘違いをしていたんだろうと和泉は思った。


「無理って、何が無理なんだい?」


 貝塚に言葉を返したのは保良間先輩だ。


 保良間先輩は俯いていて、貝塚は申し訳なさそうに頭を下げた。


「……直接断らなかった俺が悪いんですが、俺も和泉と同じでそういう趣味はありません。部活を辞めたのも、俺は保良間先輩と距離を取りたかったからで、俺は正直に言って保良間先輩が怖かったんです。本当にすみませんでした!」


 貝塚の言葉を聞きながら保良間先輩は顔を歪めていたが、不意にため息をついた。


「わかったよ」


「本当ですか!?」


 顔を上げた貝塚に、保良間先輩は控えめな笑みを見せた。


「どうしても貝塚君は僕を受け入れられないんだね? 僕の方が普通じゃないことは僕だって分かっていたハズなのに、今まで理解できなくてすまない」


 素直に謝る保良間先輩を見て、少し気の毒な気がした。


 保良間先輩も同性を好きになるという点で考えれば普通ではないのは間違いないが、普通でないことが必ずしも悪いことではないのだと和泉は思うからだ。


 貝塚に保良間先輩の想いは伝わらなかったけれど、別の相手が見つかると良いなと思うぐらいなら、罰は当たらないだろう。


「……それじゃ、これは返すよ」


 保良間先輩が和泉に近づいて、左手のナイフを差し出してくれた。


 和泉は手を伸ばしたが、瞬間的に、保良間先輩が動いた。


 右手でナイフの柄を掴み、刃先がきらめいた。


 予想外の行動に、まるで動けなかった。


 気づいた頃には保良間先輩が体当たりでもするかのように和泉の腹に向かって足を踏み出していて、和泉の腹には――ナイフが、突き立てられていた。


 和泉はそれを自分の目で見ても、まるで冗談か何かのようにしか思えなかった。


 突き立てられたままのナイフの周りで、夏服の白いシャツが赤く染まっていく。


 不気味に笑う保良間先輩と目が合い、腹が引きついて、どろりとした粘性の何かが腹の内側に溜まっていく感覚があった。


 そして、それは遅れてやってきた。


 頭が、痛みに塗りつぶされた。


 血に濡れた指先が痺れて震え、まるで体に力を入れる方法を忘れてしまったかのようだった。ぐらりと揺らいだと思ったら指先が地面に振れている。


 気づかぬうちに、和泉は倒れてしまったらしい。


「お前が、悪いんだっ!!」


 保良間先輩の声は、やけに遠くから聞こえた気がした。


「お前が貝塚君をたぶらかしたんだ! 散々忠告したのに、そんな作り話で僕を騙せるなんて思いやがって! 僕の気持ちを少しでも考えたことがあるのか!?」


「自分が何をしたか、わかっているんですか!?」


 喚く保良間先輩に貝塚が何か反論しているようだが、上手く聞き取れない。


「そ、そんなことより、救急車!」


 貝塚の声が近くに聞こえて、少しだけ安心した。


 慌てふためく頭の片隅に、全てを他人事のように見ている冷静な自分がいて、馬鹿みたいに泣きそうになっている姿が〝格好悪いな〟なんて和泉は思った。


 それにしても、どうして、今日だったんだろう。


「和泉! 意識はあるのか!?」


「……こんなことしてる場合じゃ、行かなきゃ」


「和泉!? おい、和泉! しっかりしろ!!」


 まるで夢の中のように思考回路がめちゃくちゃで、優先順位なんてまるで考えられなかった。でも、和泉にとってソレは、とても大切で、すっぽかせない大切なモノだったらしい。


 切り裂かれた皮膚と腹の筋肉が悲鳴をあげているが、意識を手放すほどではなかったのも幸いだった。


 和泉は顔を歪めながら、携帯を取り出す。


 そのまま電話帳を開けば、五十音順に並んだ連絡先が表示され、目に入ったのは一番上にある連絡先だった。 


『和泉? どうした?』


 能天気な声に、少し笑えた。


 痛みに呼吸が引きついて、手にも冷や汗をかいている。


「五十嵐、一生のお願いがある」


 自分がそこに行けないことが、とても残念だった。

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