第37話 無意味 1


 そこは学校の裏山にある大きな畑だった。


 太陽はすでに地平線に近く、積乱雲の昇る空や周りの木々、それに生い茂る雑草たち、和泉いずみが走ってきた車道のアスファルトなんかの全てが、茜色に染められている。


 膝に手をやって息を整える和泉の側らには、高校指定の鞄が置かれていて、その周りには女子高生の制服が生々しく脱ぎ散らかされていた。


 そして、その横には見覚えのあるノートが開いてあった。


 そこには丸や三角の図形を組み合わせた六芒星のような幾何学模様が描かれている。


 それを確認した和泉の前に広がる畑には、膝上ぐらいまでの高さの雑草が生え揃っていて、ノートに描かれている幾何学模様が、三十メートルほどに引き伸ばされて描かれ続けている。まだそのミステリーサークルの完成度は八割ほどだったし、左辺上部が上手く弧を描けなかったらしく歪んでいて、それをどうにか修正しようと四苦八苦しているらしい。


「俺も手伝うって、言っただろ?」


 和泉の声に、ようやく作業に没頭していた切通きりがよいが顔を上げた。


 切通は高校指定のジャージに身を包んでいた。勝高は学年ごとに赤、青、緑と色別のジャージを着ることになっていて、和泉達二年生は全員が緑色のジャージを着て体育に励むのだ。本来は今日の授業で使う予定だったハズのジャージを着た切通は、腰ほどの高さもある雑草を倒すために使っていた板を見せつけるようにして立っていた。その顔はどこか誇らしげで、思わず和泉も笑った。


「遅かったじゃない」


「悪かったな」


「今からでも手伝って頂戴」


 切通の手にある板の端には丸い穴が開いていて、そこに紐をくくりつけてある。


 紐を掴んで板を踏み込めば雑草を綺麗に倒せる道具らしい。


 恐らく自作なんだろうけれど、良い出来の道具だと思う。


 学校をサボってまでミステリーサークルを作ろうとなんて考える女子高生は、恐らく切通しかいないだろう。それは間違いなく褒められる行為ではないし、意味のある行為ではないけれど、和泉はそれを凄いと――




「そんな無意味なこと、すぐに辞めなさい」




 和泉が振り返った道の先には、伊知子いちこさんの姿があった。


 伊知子さんは和泉には見せたことのない鋭い視線で、切通をまっすぐに睨んでいた。


「……無意味じゃない」


 伊知子さんの姿をみとめた切通は、ゆっくりとこちらに歩いてくる。


「これは、宇宙人に向けて書いたミステリ―サークルよ!」


 切通は演説でもするかのように、手を広げて言葉を続ける。


「これはお父さんのパソコンで見つけた図案で、ここには私が宇宙人に対して害のない人間だということと、是非ともお会いしたいっていう意味が込められてるの!」


「ふざけないで」


「ふざけてない」


 二人の視線がぶつかって、先に視線を反らしたのは伊知子さんの方だった。


 伊知子さんは自らの身体を抱いて、困惑しつつ口を開く。


「昨日は分かってくれたじゃない? 現実的に考えれば、すぐに分かることでしょ? 鷲崎わしざきがいなくなったのは宇宙人の仕業じゃない。そんなことをしても、鷲崎は帰ってこない」


「……そんなの、証明できない」


 呟くように否定する切通に、伊知子さんが駆け寄った。


咲希さき、ごめんなさい」


 言葉を続ける伊知子さんの表情は暗い。


「ずっと逃げていた私が悪いのよ。咲希が悩んでいて苦しんでいることにも気づいていたのに、私がそれに曖昧な態度を取ってしまった私が悪いの。宇宙人っていう逃げ道で、少しでも咲希が救われるなら、それでも良いと思った。でも、それは間違いだった。宇宙人は、分かり合えない存在なのよ?」


「……」


 それを聞く切通も、続ける伊知子さんも、どちらもが悲痛な表情を浮かべている。


「それを続けたとしたら、あなたは誰も好きにならないし、誰からも好かれないわ」


 そこまで聞いても、切通は俯きながら、ぽつりと言葉を漏らす。


「分かってる」


「……」


「お母さんが言ってることが正しいのも、お母さんが私のためを想ってるのも、私は分かってる。だから、お父さんのコレクションが処分されても仕方ないと思ったし、お母さんの言葉を受け入れようとも思った」


「なら……」


「でも、駄目なの」


 切通は助けを求めるように、溢れる言葉を口にする。


「理解できるのに、納得できないの! こっちが現実的で当たり前で正解だって分かってるのに、私はどうしても、それが信じられないの! だから、ミステリーサークルを作って、最後にどうしても……確認したかった」


 切通にとって、それは必要な行為だったのだろう。


「伊知子さん」


 名を呼ぶと、伊知子さんは和泉に向き直った。


「なんですか?」


 伊知子さんの鋭い視線に、少しだけ焦る。


 まるで怒ることと無縁に見えた伊知子さんは――切通のためなら、本気で怒ることもできる素敵な人だった。


 でも、


「小さい頃に、俺は宇宙人に会ったことがあります」


 和泉はそれを、あの頃のように、本気で口にした。


「十年前、俺が出会った宇宙人は『マーズ・レイド』に出てくる火星人に瓜二つのタコ型でした。そして、その宇宙人は親切な奴で、家の鍵を失くして途方に暮れる俺と一緒に鍵を探してくれたんです。だから、俺はその宇宙人のことが好きで『マーズ・レイド』がどうしても観たかった」


「そんなことが?」


 伊知子さんの顔が困惑に塗りつぶされている。


 しかし、伊知子さんはその話を疑っているのではないと和泉は思った。


 伊知子さんには、和泉の出会った宇宙人の正体が分かっているのだろう。


「あの宇宙人の正体は、鷲崎さんだったんですよね?」

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